雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

新・本と映像の森 173 ことばと詩 5 ポール・ゴーギャン ① 絵とことば

2018年08月22日 15時03分30秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 173 ことばと詩 5 ポール・ゴーギャン ① 絵とことば

 フランスの画家ポール・ゴーギャンには有名な絵とことばがある。ことばは

  「われわれは どこから 来たのか
   われわれは 何なのか
   われわれは どこへ行くのか」

 というものだ。引用は松岡正剛さんの『千夜千冊』1226夜「佐治晴夫・宇宙の不思議」(2008年3月6日)による。というより、松岡正剛さんの『千夜千冊』1226夜を昨日、偶然見て、このことばを思い出した。

 松岡さんの同じページに「トマス・アクィナス以来の有名な問いを絵にしたもの」とあるので、中世のトマス・アクィナスにまで少なくともさかのぼりそうだ。今は詳しくはわからない。

 これがボクが、ついこのあいだ「新・本と映像の森 170 ことばと詩 3 パルミロ・トリアッティ」でとりあげたトリアッティのことばに類似することは、ボクにとっては新発見です。

 というより、アクィナス=ゴーギャンの「問い」に対する、トリアッティとしての1つの「解答」のように見える。

 アクィナス=ゴーギャンの問い。

  「われわれは どこから 来たのか
   われわれは 何なのか
   われわれは どこへ行くのか」

 トリアッティの解答。

  「われらは遠くから来た
   そして遠くまで行くのだ」
 
 ボクはトリアッティの言う「われら」というのは「共産主義者」と今まで解釈してきました。しかしアクィナス=ゴーギャンと対比するなら、それは思い込みであって、「われら」を「人類」と解釈すべきようにも思えてきました。

 気になるのはトリアッティは、アクィナス=ゴーギャンの問いの真ん中の第2点「われわれは何なのか」を欠落させていることです。それとも、まったく別物だったりして。

 すべては今後の文献批判が決することです。何かわかってきたら、続報を書くつもりです。

 


雨宮日記 8月22日(水) 「青い地球 4号」編集完成

2018年08月22日 11時23分16秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 8月22日(水) 「青い地球 4号」編集完成

 今日で「青い地球 4号」の編集完成。A4で1ページ。「青い地球」は日本平和委員会の『平和新聞』の浜松版に織り込む付録で「浜松市平和委員会ニュースレター」です。

 以前は、企画・記者・編集・印刷・配達と全部やっていましたが、この前の「8月5日号」から「企画」「編集」だけ復帰しました。「記者」部分は他の「編集部員」に頼ります。ある程度は電話・ファックス・メールでできますが。

 どれくらいできるか、車椅子の挑戦です。

 「青い地球 4号」のメインはフィリピンのA・G・サニョさんの絵「富士山と平和行進」です。

 


雨宮日記 8月21日(火)の2 カネタタキ?が鳴いていた

2018年08月22日 11時10分47秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 8月21日(火)の2 カネタタキ?が鳴いていた

 夜、2階のボクの寝ているすぐ外でリッ、リッ、リッ、リッ、リッと小さなきれいな声で虫が鳴いている。これはカネタタキ?かな。

 か細い声で。なんで、こんなに遠慮してるんだろうと思うくらい。繊細で遠慮深いオスクン。

 真夜中2時ごろ、雨が降ったようですが、ボクは1時前からグッスリ眠ってました。