本と映像の森30 宮崎駿さん著、マンガ版「風の谷のナウシカ 上」徳間書店
大好きな「ナウシカ」のマンガ版です。徳間書店からマンガ版はB5版で2種類あって、5巻のソフトカバー版(1冊 円)と、2巻のハードカバー上製版()があります。
月刊「アニメージュ」の1982年2月号から延々13年も断続的に連載された「風の谷のナウシカ」です。
巨大産業文明(たぶん現代地球の)が「火の7日間」戦争で自壊し、地球には有毒物質がまき散らされ、地上の多くが有毒ガスを発する「腐海(ふかい)」に覆われている時代です。
腐海のほとりの、海からの風で腐海からの汚染に守られている人口500人の小さな王国「風の谷」で、物語は始まります。
「風の谷」の族長ジルのただ一人の子、ナウシカは、ジェットエンジンつきのグライダー(凧)「メーヴェ」を操って、腐海の脇に降り立ち、腐海の森に入っていきます。
マンガ版でも、アニメ版と同じナウシカ・アスベル・ユパ・クシャナ・クロトワ・王虫(虫3つのムシ)・巨神兵が登場しますが、その性格も役割も運命も微妙に違っていたり、まったく違っていたりします。
違わないのは、トリウマのクイやカイ、キツネリスのテトくらいでしょうか。
ボクの好きなのは、マンガ版のほうです。とくに、アニメ版のナウシカは脳天気であんまり好きではないし、アニメ版のクシャナより、マンガ版のクシャナのほうが好きです。
最初の出だしくらいはまったく同じですが、何よりも、物語の深みと性質がまるで違います。
アニメ版ではまったく出てこない土鬼(どるく)王国が、マンガ版では、トルメキア帝国と対立する大きな極として登場して、舞台も、クシャナたちの南下で土鬼内で展開していきます。
アニメ版では、巨大な生体ロボットに過ぎなかった巨神兵(きょしんへい)が、個性と自我をもって、ここでは違った役割を意味を演じています。
マンガ版での新しい配役である、土鬼皇帝、土鬼皇弟ナムリス、マニ族の僧正さま、マニ族の娘ケチャ、トルメキアのヴ王、ヴ王に仕える道化、少年チククなども、それぞれすごくいいですね。
善とか悪とかではないんですね、それぞれがそれぞれの目的や生き方を追求していて、それが戦争という悲惨を起こし、さらに最終的に破局となるか、ナウシカや多くの人がそれにかかわっていき・・・・。
ボクはときどき、何年かに1回、ナウシカの世界に立ち返って、そこからまた現実世界に帰ってきているような気がします。
ナウシカが、下巻で、王虫の精神世界・「バーチャル腐海」に入り込み、そこから地上に帰ってくるかどうか、みんながやきもきする場面があります。
現実の人生は、たぶん誰にとっても、そういう「非現実世界」や、心の中の自分を成り立たせる「物語」が必要なような気がします。
蛇足1
腐海の清浄な底で、王虫がアスベルに、ナウシカのことを「小さき者が殺すなと願っているから、おまえを殺さぬ」というのは、その淵源は、清少納言が『枕草子』で「ちいさきもの」というのから来ているのかもしれません。
蛇足2
「王虫(おうむ)」の原形は、たぶん宮崎駿さんが子どもの頃に見た「ダンゴムシ」だろうと確信しています。
物語にするなら、巨大産業文明の末期に、この「ダンゴムシ」を誰かが遺伝子改造して、集団的知性を与え、有毒物質を浄化する「腐海」の守り手にした、というストーリーはどうでしょうか。
蛇足3
アニメ版の最後で、ナウシカを自分を犠牲にして風の谷を救う「救世主」のような終わり方にしたのは、宮崎駿さんは後悔しているみたいな話があります。
それはそうでしょうね。
マンガ版は、アニメ版のエピソードを拾って自分の物語にしていますが、ナウシカは、みんなを救えません。
救えるはずもありません。
蛇足4
マンガ版でも,最初はナウシカと恋し合うのは「ペジテのアスベル」なのに、途中からナウシカの恋の相手を「森の人」の王子に変えたのは、ファンダムサイトですごく不評でした。
ぼくも「不評」です。
「蛇足5」は姫さまから抗議が来そうなので自主検閲で削除しました。
大好きな「ナウシカ」のマンガ版です。徳間書店からマンガ版はB5版で2種類あって、5巻のソフトカバー版(1冊 円)と、2巻のハードカバー上製版()があります。
月刊「アニメージュ」の1982年2月号から延々13年も断続的に連載された「風の谷のナウシカ」です。
巨大産業文明(たぶん現代地球の)が「火の7日間」戦争で自壊し、地球には有毒物質がまき散らされ、地上の多くが有毒ガスを発する「腐海(ふかい)」に覆われている時代です。
腐海のほとりの、海からの風で腐海からの汚染に守られている人口500人の小さな王国「風の谷」で、物語は始まります。
「風の谷」の族長ジルのただ一人の子、ナウシカは、ジェットエンジンつきのグライダー(凧)「メーヴェ」を操って、腐海の脇に降り立ち、腐海の森に入っていきます。
マンガ版でも、アニメ版と同じナウシカ・アスベル・ユパ・クシャナ・クロトワ・王虫(虫3つのムシ)・巨神兵が登場しますが、その性格も役割も運命も微妙に違っていたり、まったく違っていたりします。
違わないのは、トリウマのクイやカイ、キツネリスのテトくらいでしょうか。
ボクの好きなのは、マンガ版のほうです。とくに、アニメ版のナウシカは脳天気であんまり好きではないし、アニメ版のクシャナより、マンガ版のクシャナのほうが好きです。
最初の出だしくらいはまったく同じですが、何よりも、物語の深みと性質がまるで違います。
アニメ版ではまったく出てこない土鬼(どるく)王国が、マンガ版では、トルメキア帝国と対立する大きな極として登場して、舞台も、クシャナたちの南下で土鬼内で展開していきます。
アニメ版では、巨大な生体ロボットに過ぎなかった巨神兵(きょしんへい)が、個性と自我をもって、ここでは違った役割を意味を演じています。
マンガ版での新しい配役である、土鬼皇帝、土鬼皇弟ナムリス、マニ族の僧正さま、マニ族の娘ケチャ、トルメキアのヴ王、ヴ王に仕える道化、少年チククなども、それぞれすごくいいですね。
善とか悪とかではないんですね、それぞれがそれぞれの目的や生き方を追求していて、それが戦争という悲惨を起こし、さらに最終的に破局となるか、ナウシカや多くの人がそれにかかわっていき・・・・。
ボクはときどき、何年かに1回、ナウシカの世界に立ち返って、そこからまた現実世界に帰ってきているような気がします。
ナウシカが、下巻で、王虫の精神世界・「バーチャル腐海」に入り込み、そこから地上に帰ってくるかどうか、みんながやきもきする場面があります。
現実の人生は、たぶん誰にとっても、そういう「非現実世界」や、心の中の自分を成り立たせる「物語」が必要なような気がします。
蛇足1
腐海の清浄な底で、王虫がアスベルに、ナウシカのことを「小さき者が殺すなと願っているから、おまえを殺さぬ」というのは、その淵源は、清少納言が『枕草子』で「ちいさきもの」というのから来ているのかもしれません。
蛇足2
「王虫(おうむ)」の原形は、たぶん宮崎駿さんが子どもの頃に見た「ダンゴムシ」だろうと確信しています。
物語にするなら、巨大産業文明の末期に、この「ダンゴムシ」を誰かが遺伝子改造して、集団的知性を与え、有毒物質を浄化する「腐海」の守り手にした、というストーリーはどうでしょうか。
蛇足3
アニメ版の最後で、ナウシカを自分を犠牲にして風の谷を救う「救世主」のような終わり方にしたのは、宮崎駿さんは後悔しているみたいな話があります。
それはそうでしょうね。
マンガ版は、アニメ版のエピソードを拾って自分の物語にしていますが、ナウシカは、みんなを救えません。
救えるはずもありません。
蛇足4
マンガ版でも,最初はナウシカと恋し合うのは「ペジテのアスベル」なのに、途中からナウシカの恋の相手を「森の人」の王子に変えたのは、ファンダムサイトですごく不評でした。
ぼくも「不評」です。
「蛇足5」は姫さまから抗議が来そうなので自主検閲で削除しました。