雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

人間・心・集団の学習5 何が正しいかは魂(人格)が判断する

2010年04月29日 05時51分39秒 | 人間・生命・宇宙
人間・心・集団の学習5 何が正しいかは魂(人格)が判断する

 うわ!「何が正しいかは魂(人格)が判断する」とタイトルで書いてしまいました。
 どうしよう。

 「何が正しいかは、組織で判断するんだ!個人で判断するのは個人主義だ!」と怒る人、
 「魂だ、人格だなんて、おまえは観念論者か!」と詰問する人、
 「小さな子どもは親が導くし、何も知らない大衆は○○○が導くんだ!」と断言する人。
 そういう人に、どう説明しましょうか。

 人格=魂というのは雨宮理論ですが、そもそも、人格の絶対性は、科学的社会主義の始祖のマルクスさんとエンゲルスさんの基本概念なのを知らない人がいるのは困りますね。 
 知らないのは自由ですけど、知らないのは証拠にはなりません。

 で、4月24日付け「本と映像の森31 安冨歩・本條『ハラスメントは連鎖する』」で書きました。再録します。
 
 「私の理解した範囲でまとめると、ハラスメントとは、
 ① Aという個人が他人に、「これをしろ」あるいは「これをするな」と押しつけ・強要・強制をすること。
 ② ①のことは、AがBに、教育として・助言として・先輩として・親としておこなう善意の行為だから、拒否するな、拒否するならAがBを罰するというさらなる押しつけ。
 ③ ①や②を拒否するBに、受け入れるまで①②を押しつける強制、さらに暴力(言論も含め)をふるうこと。
 つまり、たんなるいじめ・暴力ではなくて、「これはおまえを愛するがゆえの」とか「上司としての指導・教育だ」とか、入ってくるんですね。」

 民主主義の本質は、何が正しいか、一人ひとり、内面の基準で決めていいよということだと思います。

 それを否定して、他人の基準・集団の基準・社会の基準で「決めなさい」ということを押しつける・強要するということが、ハラスメントの本質であるということです。

 ボクは、みんなに「だいじょうぶだよ、他人に聞かずに、自分で決めていいんだよ」と言い続けたいと思います。

 妻のN子さんが決断して○○○するときも、保母をやめるときも、いつも「自分で決めたらいいよ」と言ってきました。

 子どもたちにも同じです。次女のIさんが「非登校」「退学」を決断するときも、長女のTさんがなかなか仕事が見つからないときも、「ボクはきみじゃないから、きみの代わりに決断はできないよ。決めるのはきみ自身だよ」と。

 もちろん、みんなのことはみんなで決めましょう。
 雨宮家の全体のことは、雨宮家の全体で決めます。

 そういう基本原則をはっきりさせながら、支配・押しつけ・強要・従属・いいなり・共依存・固定化・孤立化・いじめ・暴力・ハラスメントなどがない集団・社会を創りたいです。

 この項は、さらに思考中。


 

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