雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森28 谷川俊太郎さん著『生きる』角川SSC

2010年04月08日 06時04分55秒 | 本と映像の森
本と映像の森28 谷川俊太郎さん著『生きる』角川SSC

 数日前に、妻のN子さん(と長女のTさん)の部屋のN子さんの机の上に乗っていたのを、なにげなしに手にとって、ページを開きました。

 谷川俊太郎さんは、前から「詩人」として名前は知っていましたが、この瞬間まで、まじめに谷川さんの詩を読んだことがありませんでした。

 谷川さんの詩「生きる」は、次のような言葉から始まります。

 「生きているということ
  いま生きているということ
  それはのどがかわくということ
  木もれ陽がまぶしいということ
  ふっと或るメロディを思い出すということ
  くしゃみすること
  あなたと手をつなぐこと」

 これがだい1連目です。
 そして、こんな感じの5連の言葉の塊りがあって、
 その最後に、こう結びます。

 「人は愛するということ
  あなたの手のぬくみ
  いのちということ」

 「生きる」「生きている」ということは、
 「あなたと手をつなぐこと」で「あなたの手のぬくみ」を感じることです。
 それが「いのちということ」です。

 「いのち」は、つながりです。
 あなたの、ぼくの両親が、つながって,あなたやぼくが生まれました。
 
 そういう肉体的なつながり、
 精神的な,心のつながり、
 職場や社会での生産・交換・消費でのつながり、

 「生きる」「生きている」「いのち」を、もっと考えていきたいと思います。

 

雨宮日記 4月6日(火) 演奏は歌うように,歌は語るように・・

2010年04月08日 05時48分02秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月6日(火) 楽器の演奏は歌うように、歌は語るように・・

 名古屋に住む,私の兄夫妻は、今年定年退職で(つまり私の妻のN子さんと同年齢ということで)、4月半ばから7月半ばまで、約100日間、夫婦で世界1周の船旅を楽しむそうです。
 それで、出発前に、実家の我が家へ泊まって、「別れの宴」をしました。うわ、大げさな。ほぼ99.99%、確実に帰ってくるんですからね。
 
 妹一家も含めて、3家族で、高林の「天竜そば」で会食をしてから、家に帰り、おじいちゃんは寝て、仕事で疲れた長女も寝て、僕たちと、兄夫妻と次女の5人で飲み、語りました。
 
 その時に、僕が里山喫茶でフルートの先生が強調していた「楽器演奏は歌うように」という話をしたら、演劇を永年やっている兄が「歌は語るように、と言うね」と言いました。
 それは共感しますね。
 日本語になっていない日本語の「歌」もあり、とくにクラシック系統であるのが「セリフとして聞き取れない歌」です。

 そのときに思ったのは、じゃあ、演劇や朗読など「語る」のは「○○のように」なんだろう、ということです。
 やはり「語るのは楽器を演奏するように」あるいは「語るのは歌うように」ですか。どっちかな。

 「語るのは楽器を演奏するように」ならば、楽器演奏 → 歌う → 語る → 楽器演奏、と循環して、なんとなく形式的には、いい感じなのですが。

 いま仕事を退職して、精神的に余裕のできたN子さんと、詩や体験の朗読チームを作ろうよと話をしているので、いろいろ考えます。

 (時間的には、仕事をしている時より余裕はなかったりします。すみません、この時とばかりに、僕がいろいろ、あれやろう、これやろうと、企画を出すので)