ドルフィンベルベット

高齢馬のケアと徒然日記

『朽ちていった命』

2011年12月12日 13時20分13秒 | 読書日記
『朽ちていった命~被曝治療83日間の記録』(「NHK東海村臨界事故」取材班著)
1999年9月に起きた茨城県東海村の臨界事故で被曝した大内久さん(享年35歳)の治療記録です。

放射線の中で最もエネルギーの高いとされる中性子線を致死量の倍以上(20シーベルト)浴びたのだそうです。
当時、「被曝」と聞いて、広島や長崎のような熱傷をイメージしました。

しかし、大内さんの場合は、被曝直後は少しひどい「日焼け」程度で、意識もはっきりしていて、とても大量の放射線を浴びた人とは思えず、「助かるかもしれない」と思わせたそうです。
そこから、大内さん、そしてご家族、医療者の、それはそれは壮絶な闘病が始まるのです。

大量の放射線は大内さんの遺伝子を破壊していました。
それは新しい細胞が作られないことを意味しました。
骨髄細胞も破壊され、免疫力がなくなりました。

やがて、臨界地点に近かった右手、そして体の前面の皮膚はやがて剥がれ落ち、赤むけの状態になります。火傷と同じです。
それはものすごい痛みだったと思いますが、医療チームは大内さんの苦痛を最大限取り除く治療をしています。

治療のメインは、骨髄細胞の免疫力低下による感染予防と皮膚粘膜からの体液損失の補てん。
そのために、妹さんから抹消骨髄移植を行い、定着しますが、新たな細胞の遺伝子が数週間で壊れてしまったり、これまでの医学の常識では考えられないような現象がつづきます。

世界中から被曝医療の専門家が集まりますが、誰にとっても未知の世界だったそうです。
日本で未承認の薬を輸入したり、経口薬を点滴薬に変えたり、ありとあらゆる方法で治療が続けられました。
皮膚の移植もしましたが、定着することはありませんでした。
毎日大量の体液が失われ、包帯交換は10人がかりで2-3時間かかることもあったそうです。
大内さんには苦痛を感じないように鎮痛剤や安定剤が投与され、眠っている状態が多かったのが救いです。

しかし、事故から2カ月後、心肺が停止します。
懸命の処置で蘇生しますが、臓器への影響は大きく、12月17日に亡くなりました。

チェルノブイリ原発事故から、被曝=白血病や甲状腺がんという認識が一般に広まりましたが、大内さんからも白血病を心配する言動があったそうです。
不安を抱えつつも、冷静で、明るくふるまっていた彼も、毎日毎日長時間の検査が重なると「おれはモルモットじゃない」と言うことがあったそうです。

当時治療にあたった医師や看護師へのインタビューがあり、ものすごい葛藤があったことがわかりました。
日に日に変化していく体を見ながら、大内さんが望んでいることを考え続けていたのです。
彼らは純粋に「助けたい」という一心だったのだと思います。
現に「これはダメだろう」と思われる症例でも、奇跡的に回復し、歩いて退院したりすることがあるのです。

大内さんの気持ちは誰にもわかりません。
ただ、少なくとも、ご家族の方は最後まで望みを持ち続けていたようです。

この本を読んで、あらためて被曝の恐ろしさを知り、医療のあり方を考えさせられました。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前の記事へ | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
過酷すぎるたたかい (シャル君)
2011-12-12 15:00:47
 治らないとわかっていて、患者に苦痛を強いる治療をしなければならない。患者も医師団にとってもつらいことです。そんな時の心の支えは何なのでしょう。
返信する
答えはないのかも (alohadream)
2011-12-12 18:58:26
 ☆シャル君さん
医療チームが諦めてしまったら、そこで終わりです。
ご家族も最後まで諦めませんでした。
ご本人の言葉を聞くことができないのでわからない、と看護師の一人は悩んでる様子でした。
答えはないのかもしれません。
返信する

コメントを投稿

読書日記」カテゴリの最新記事