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その企業の存在理由「ミッション」

2013年11月09日 10時40分46秒 | Weblog

 昨日はナレッジフォーラムに参加した。講演者は、元スターバックスコーヒージャパンCEOの岩田松雄である。この人、驚くべき経歴の人であり、ミッション経営やリーダー資質を説く第一人者なのである。

【岩田松雄の経歴】
大阪大学経済学部卒業
カリフォルニア大学ロサンゼルス校アンダーソンマネジメントスクールMBA取得
1982年 日産自動車(株)入社
1995年 ジェミニ・コンサルティング・ジャパン入社
1996年 日本コカ・コーラ(株)入社
1999年 コカ・コーラビバレッジサービス(株) 常務執行役員
2000年 (株)アトラス入社代表取締役社長 (2001年就任)
2003年 (株)タカラ取締役常務執行役員
2005年 (株)イオンフォレスト代表取締役社長
2009年 スターバックスコーヒージャパン(株)最高経営責任者
2011年 リーダーシップコンサルティングインクを設立

 実に色々な企業に属し、担当から経営まで幅広く経験してきた人であることが分かる。

「ミッション経営」とは、その企業の存在理由であり、また、個々人にとって何のために働くのかという根本を意味するものなのである。個々人が生きているということは、「生かされている」という意味合いが強い。多くの障害や災害の中、自分自身はこうやって生きているということは単なる偶然ではなく必然である。生きているという現実は、生かされている、何かの目的によって生かされているということに他ならないのである。
 岩田松雄は、日産自動車に勤務していた。その当時、車を多く売ろうということで、セールスを展開。大きな目標を立て、その目標に向かって毎日やる目標を細分化することを身に付け行動を起こす。マラソンランナーと言えども、42.195キロを完走することは難しい。彼らはまず、あそこまでの電柱まで頑張って走ろうと決め、その目標が達せ出来たら、次はあの交差点まで頑張ろうと新たな目標を設定し、その繰り返しにより、膨大な距離である42.195キロの完走を行うのだということ。これは、大きな目標を達成するための、必要なもので、「目標の細分化」というもの。できる目標を小さく行い、その集大成で大きな目標をクリアーするという手法である。
 しかし、日産自動車に勤務している時にむなしさを感じた。「我が部のミッションはなんですか?」と統轄役員に聞いても、明確な答えが聞けなったという。日産自動車と言う会社には、ミッションがない、または、ミッションと言うものを経営陣さえも見出し理解していなかったのである。これは、ゴーン社長の来るずっと以前の話。
 それで、ここにいても意味がないと感じ、ジェミニコンサルティングに移る。ここでは、企業のコンサルティングを習得する。ハンバーガーショップAとBでは、売っているものがほとんど変わらないのに、Aで働く従業員はいつも笑顔で気持ち良さそうに働いているのに、Bでは、全くと言って逆の状況の従業員がいた。同じものを扱い、同様の仕事なのに、なぜこれほど違うのかと言うことを経営という視点から解き明かすことを始める。経営とは何かをこの時学んだという。
 その後ビジネススクールでマーケティング・ファイナンスについて学ぶのであるが、なにか飢餓感があったという。知識やスキルと同じように、哲学や倫理の必要性を強く感じたのだという。
 次には、日本コカコーラに入った。ここでは、世界企業の最高峰の運営について学ぶ。
 そして、ゲーム機のアトラスにて初めて社長として就任し、経営トップとして手腕を奮う。当時、アトラスはプリクラで一世を風靡したのちの停滞期に入っていた。ここでいろんな改革を行う。会社の朝礼で「これからは企業価値やキャッシュフロー経営だ」と力説しても、全くの無反応だったことが、一番のショック。これではだめだと、立ち直す決意を固めるのである。従業員には、ことあるごとに「働く姿勢や価値観、会社の方向性」を話すように徹底した。そっして、業績は急回復する。
 スターバックスコーヒーに社長として招かれた。この企業は、本当に素晴らしい会社であると感じいったそうである。スターーバックスには「ここで働くと、悪人でも善人となって出ていける」と言われるほどのカルチャーがあるのだそうだ。全員が、笑顔で働いている。経営者も単なるアルバイトも、スターバックス内ではパートナーと呼び合う。会社の中には、役職の違いはあるが、序列はなくフラットな組織なのだという。しかも、スターバックスには、サービスに関するマニュアルがない。マクドナルドのように、すべてがマニュアルに書かれその通りやることを求められる企業とは全く異なる。確かに、コーヒーを提供するということに関しては、ドトール等となんら変わらない。しかし、そのコーヒーの品質と、従業員の働くことの意味が全く違うのである。スターバックスには、「道徳、法律、倫理に反しない限り、お客様が喜んでくださることを何でもして差し上げる」という精神が浸透している。「Just Say Yes!」(できませんとは言わない)という、強い精神基盤が構築されているのである。
 岩田松雄は、ある娘さんの母親から、感動的な手紙を受け取ったことを披露した。それは、娘が必ず寄る二子玉川にあるスターバックスコーヒー店にいた女性従業員についてであった。どんな日も、娘さんはその人に会いたくて、必ずその店に行くのだったという。ただ、娘さんは重い心臓病を患っていたため、ある時アメリカで手術をするのに渡米しなければならなかった。しかし、日本で最後となる日は、早朝の出発であったため、娘が大好きなシナモンロールとコーヒーを食せない。こんなことを、その二子玉川の店員である、娘の好きな女性に相談したところ、出発の当日早朝、その女性は娘の大好きなシナモンロールとコーヒーを携えて、出発の空港で待っていてくれた。この行動に母親は大変感謝したと同時に、うれしくてたまらなかったという。娘が大好きだったその女性の意味が、この時強く分かったのだそうだ。今は亡き娘に代わって、その時の感謝を手紙にしたためたかったという内容だった。
 岩田は言う。こんなことは、マニュアルではできない。その人の思いから、何かしてあげたいというところで行動となったことである。教えられてできることでもない。大事な相手のことを思い、自分でできる最大のことを考えて行動する。これが、スターバックスの神髄なのである。
 経営とは、ミッションがある。そのことが、どれほど個々人の中に浸透しているかが大事だし、それをやるのが経営者なのである。ミッション経営とは、かくも重要なものなのである。


島倉千代子、逝去。

2013年11月09日 00時38分55秒 | Weblog

 人生の生き方の模範?だった島倉千代子が逝去した。享年75歳。芸能界の辛酸をすべて経験した女性歌手だったのではないかと思う。大きな借金も、自分と言うよりは、他人の借金の保証人になってのことが多かった。家族で苦労していた美空ひばりにも随分保証人になるなと忠告されたようであるが、島倉は大半自分以外の借金の支払いのため、多くの芸能活動を行っていたのではないかと思う。

【記事】

 亡くなった島倉千代子さんは歌手としてヒット曲にめぐまれ、華やかな芸能界でスターの座を射止めたが、その私生活は波乱万丈の人生を送っていた。
 1963年に元阪神タイガースの藤本勝巳内野手と結婚したが5年後に離婚。
 75年には知人やマネージャーなど複数の人間の借金の保証人になり、総額で10億円を超える借金を背負った。故美空ひばりさんから「実印は貸すな」とたしなめられたこともあったが、人がいい島倉さんはその後も手形に裏書をしていたことで、再度他人の借金を払わなければならなかった。
 その後完済したという島倉さんだが、その間は仕事を選ばず寝る間も惜しんで働いたという。88年のヒット曲「人生いろいろ」は、そんな苦労をした島倉さんの人生もたぶってヒットにつながった。