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戦国一の兵(つわもの) 真田幸村

2012年05月20日 21時50分03秒 | Weblog

 昨日のTBS番組「ザ・今夜はヒストリー」は面白かった。スポットを当てられた人物は、真田幸村である。真田幸村は、その勇猛果敢さ・主君をたてる謙虚さから、「戦国一の兵(つわもの)」と讃えられ、戦国武将の中でもNO.1の人気を得ている人物である。戦国時代の大合戦「関ヶ原の戦い」では、真田家は、東軍の大将である徳川家康に仕えた長男・信幸と豊臣秀吉の忠義から石田三成の西軍に就いた父・昌幸と幸村が、家族間で対峙するという、危機的状況に追い込まれる。これは、徳川、石田双方に忠義があることから、一方に加担することができなかったこと、東西陣営のどちらが勝とうとも、真田家は残ること、そして、家を守り子孫を残していくことができることの利点を考えてのことであったということだ。
 しかし、この真田幸村という戦国武将は、非常に勇敢な武将であったことが、歴史的に伝えられている。豊臣家を守るため大阪城に籠城し、大阪冬の陣では、大坂城の唯一の弱点であったとされる三の丸南側、玉造口外に真田丸と呼ばれる土作りの出城(三日月形)を築き、鉄砲隊を用いて徳川方を挑発し先方隊に大打撃を与えて、その武名を天下に知らしめる事となる。(真田丸の戦い)。大阪夏の陣では、「今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただひとつのみ!」とつぶやき 、真っ正面から家康本陣のみに狙いを定めて突撃を敢行した。これには、徳川家康も顔を青ざめ恐れたと言われている。
 また、真田と言えば、゜真田十勇士゜が連想される。この真田十勇士は、真田幸村に仕えた家臣十人(猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三入道、穴山小介(穴山小助)、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎)を指すのであるが、このメンバーを見ても、本当に忍者集団を家臣に持っていたということがわかる。真田幸村は、忍者の総大将だったのではないだろうか。
              
 真田家の家紋は、上記の「六文銭」である。これは、三途の川を渡る船の渡し賃が、金六文であったところから、常に死を意識した行動をとるという家訓からのものである。真田家は、現当主まで14代が続いていると言う。それほど、名家の誉高い家なのである。