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アポロ11号、40年目の真実

2009年09月28日 21時26分26秒 | Weblog
              
 アポロ11号は、人類を初めて月面に到達させた偉大な功績を称えられている。当時の宇宙飛行士に対し、現アメリカ大統領バラク・オバマも賞賛し、食事会を開いて最高のもてなしをした通り、アメリカ国民にとって、偉大な英雄なのである。今日、目覚しく発展してきた宇宙開発競争において、アメリカを最上の位置に押し上げた輝かしい功績を持っているのだ。しかし、1969年当時の宇宙技術は、今からすると、かなり稚拙なものだった。当時の宇宙センターのコンピューターは、現代のノートパソコンと同程度の解析力しかなく、本当に貧弱な技術で、人類を月に送り込んだことになる。この貧弱な技術を補ったのは、当時の宇宙飛行士たちの頭脳・判断力・技術力だったのである。これらの驚愕な真実が、本日の日本TV「世界まる見え!で放映された。
 人類初の月面着陸から40年。当初の不安を乗り越えて初の月面有人探査を成功させ、無事帰還を果たしたアポロ11号の歴史的な旅を振り返る。1969年7月16日、世界中が期待のまなざしで見つめる中、3人の男を乗せたロケットが月に向かって打ち上げられた。その9年前、大統領ジョン・F・ケネディは、1960年代の終わりまでに人間を月面に運び、無事に地球に帰還させる計画を打ち出していた。アポロ11号が打ち上げられたのは、この約束の期限までわずか数カ月のことだった。そして7月20日、アポロ11号の搭乗員が月面に降り立った。それは後にも先にも例がない、月探査時代の到来を告げる出来事だった。
 ケネディの野心的な計画は、宇宙開発競争が先鋭化する中で全世界に向けて発表された。この競争は、アメリカとソビエト連邦(当時)による冷戦時代の一側面でもあった。先制したのはソ連だ。1957年10月に打ち上げられた83.5キログラムのスプートニク1号を皮切りに、人工衛星を次々と地球の周回軌道に乗せた。やがてソ連とアメリカは有人飛行の地球周回数を競い始めたのだが、ケネディが掲げた月面着陸計画はアメリカが大きく方向転換したことを示すものだった。
 月面着陸計画は当初、NASAの内部で大きな波紋を呼んでいたようだ。特に宇宙飛行士の候補者たちは眉をひそめていた。アポロ13号の宇宙飛行士ジム・ラベルは2007年のドキュメンタリー『ザ・ムーン』の中で、「当時、打ち上げロケットのアトラスは、ケープ・カナベラル(フロリダ州)で毎日のように爆発を起こしていた」と振り返っている。
 しかし、アポロ11号の宇宙飛行士エドウィン・ユージン・“バズ”・オルドリン氏はナショナルジオグラフィック ニュースに対し、「ケネディの構想は決して絵空事ではなかった」と話している。「空軍を筆頭に皆が未来に目を向け、さまざまな可能性を検討していた。例えば、月に貨物を送ることだ」。もっともその時点では、人間を月に送り込むためにはまだまだ多くの課題が残されていた。月面着陸の計画にはアポロというポジティブな名前が付けられた。ギリシャ神話のゼウスの息子にちなんだ名前で、光と太陽の神として知られる。
 しかし最初のミッションは、月面着陸に向けた米国の努力が水泡に帰す結果となる。1967年1月27日、アポロ1号司令船が打ち上げのシミュレーション中に突如炎上したのだ。この火災で、搭乗予定の宇宙飛行士3人が焼死した。NASAはこの事故を徹底的に調査し、4月に1つの報告書を発表した。それはアポロのハードウェアから打ち上げの手順、品質管理に至るまで、大幅な見直しを求める内容だった。
 その後、計画は再び軌道に乗った。1969年の前半には、アポロ10号の宇宙飛行士トーマス・スタフォードとユージン・サーナンが月面から15.6キロメートルまで接近し、着陸したい気持ちを抑えて戻ってきた。後にアポロ11号の着陸地点に選ばれた“静かの海”が調査されたのもこのときだった。それから数カ月後、アポロ11号の宇宙飛行士ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズが月を目指して出発することになる。
 アメリカ東部標準時、午前9時32分、フロリダ州のケネディ宇宙センターからアポロ11号がサターンVロケットによって打ち上げられた。アポロ11号は司令船コロンビアと着陸船イーグルで構成されている。イーグルの名は、アポロ11号ミッションの徽章に描かれた国鳥ハクトウワシから採られた。3日半の後、アポロ11号は月の周回軌道に乗る。月の影を通過し月面に接近。オルドリンとアームストロングは、クモにも似た月着陸船に乗り込み降下を開始する。
「ヒューストン、こちら“静かの基地”。イーグルは着陸した」(アームストロング)。
世界中の5億人がテレビで見守る中、宇宙飛行士たちはついに月面に降り立ち、2時間にわたる人類初の月面での探査を開始した。
月のなめらかな砂地に足を下ろしたアームストロングの有名な第一声。
 「これは1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ」。思わず出た言葉だと後に報道された。二人は、アメリカの国旗を立て、倒れた仲間たちの遺品を置いた。7月24日、三人の乗った指令船コロンビアは太平洋に着水した。着陸船イーグルの上昇モジュールは月の周回軌道に残され、やがて月面に墜落した。コロンビアは現在、ワシントンD.C.の航空宇宙博物館に展示されている。
 それから40年。月面に降り立った日にオルドリンが抱いた印象は今も色あせていない。「私を魅了したのは、生命が存在しない静寂に包まれた月の姿だ」とオルドリン氏は振り返る。「幾世代も育まれた人智の不変さをかえって強く感じた」。
 オルドリンはまた、アポロ11号のミッションが世界にもたらした意味、そしてそれが現代の我々にも与える影響について深く考え続けている。彼は現在、アメリカが40年前よりさらに高い目標を掲げ、「われわれが成し遂げた偉業を誰もが追えるように、アメリカが先んじて前進する」ことを提言している。「現代のさまざまな問題に必要以上に非観的になる必要はない。われわれには明るい未来を思い描く自由があり、問題を克服する素晴らしいチャンスがある」。