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双子デュオの歌

2009年09月22日 12時42分58秒 | Weblog
 双子の歌手は、そんなに多くは無いが、全く同じ顔で歌われる歌は、心に残るものである。芸能人や漫才師でも、双子と言うだけで、なんか魅かれてしまうものがある。双子は、よく、自分の考えが相手に以心伝心すると言うが、本当なのだろうか?でも、元々同じ細胞からの遺伝子分岐なので、共有していても不思議ではない。こんな、双子デュオの歌をいくつか披露してみましょう!!

1.ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」
            
 ザ・ピーナッツ(The Peanuts)は愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)出身、同県名古屋市育ちの双子で、女性歌手(デュオ)、俳優である。略称「ピーナッツ」。1959年2月11日、「第2回 日劇コーラスパレード」で歌手デビュー、4月、「可愛い花」でレコードデビュー。1959年6月17日から1970年3月31日までフジテレビ系の歌謡番組『ザ・ヒットパレード』のレギュラーに抜擢される。その後1961年6月4日から1972年10月1日まで日本テレビ系の人気バラエティー番組『シャボン玉ホリデー』でメイン司会を務めた。日本国外でも活躍し、『エド・サリヴァン・ショー』(アメリカ)や『カテリーナ・バレンテ・ショー』(当時の西ドイツ。現・ドイツ)、『ダニー・ケイ・ショー』(アメリカ)にも出演したことがある。また、女優活動も少ないながらも行っており、映画などにも数作出演。中でもモスラでの「小美人」役は現在もなお人気が根強くある。和製ポップスを海外公演などによって世界に広めた功績は大きく、特に当時の東西両ドイツやイタリアでは、日本の歌手と言えば即座に「ザ・ピーナッツ」と連想されるほどの活躍振りも多くの芸能関係者に評価された。1975年2月18日に当時東京都千代田区有楽町の三信ビルヂングにあった渡辺プロダクション社屋にて記者会見を開き、現役を引退することを表明(1972年頃より引退を検討していた)した。同年3月31日には番組開始時より数多く出演をした「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)にて引退記念特集「さよならピーナッツ」が組まれ、続く4月5日にはNHKホールにおいて、高橋圭三司会で「さよなら公演」を興行。この時、渡辺プロの主要タレントがほぼ総出で見届けていた。なお、このさよなら公演は3月から4月に掛けて大阪・京都・名古屋でも行われていた。なお同公演を最後に芸能界を引退した。以後は現在に至るまで一切公の場には姿を現していない。

<!-- ザ・ピーナッツ「恋のバカンス他」 -->


2.ザ・リリーズ「好きよキャプテン」
                
 ザ・リリーズは、
1970年代を中心に活動した、双子姉妹の燕奈緒美(つばめ なおみ)、燕真由美(つばめ まゆみ)(両名とも1960年12月7日- 北海道夕張市出身)の女性アイドルデュオ。デビューした昭和50年代が全盛期であるが、2005年に復活し、現在は東京を拠点に、都内周辺と出身地の北海道でライブやショー、歌番組の出演を行っている。当時、とんねるずの「雨の西麻布」と言う歌がヒットしていたが、最後の歌詞で ゛♪~ふたごのリリーーズ゛と歌われたことでも有名になった。

映像はこちら>>http://www.youtube.com/watch?v=XpKQcMNsbA0&feature=related

3.リンリン・ランラン「恋のインディアン人形」
               まぎれもないインディアン?
 
リンリン・ランランは、1959年1月3日生まれの香港出身の双子姉妹によるポップデュオ。所属事務所、レコードレーベルはサンミュージックプロダクション、ビクターエンタテインメント。1972年から「ロッカーシスターズ」として活躍していたのをスカウトされ、1974年のテレビ番組「スター誕生!」からデビュー(アシスタントとして)。インディアンの格好をして歌っているが、実際は白人。代表曲は「恋のインディアン人形」「陽気な恋のキューピッド」「恋のパッコンNO.1」。また、人気絶頂期に東京・芝公園(最寄り駅は御成門駅)にあった中華料理店『留園』のCMに出演したこともあった。

<!-- リンリン・ランラン「恋のインディアン人形」 -->

去りし人への最高の送り出し『おくりびと』

2009年09月22日 00時03分37秒 | Weblog

                 「おくりびと」美学の極致まで達した死の儀式を見せる美しい映画
 
人は「生」を受けてから、必然的に担っているもの、それは「死」である。生きている者は、必ず死ぬという局面に遭遇する。万物の道理なのかもしれない。形あるものは、最後には滅びるのである。未来永劫、永久にその形のまま長らえることは、不可能なのである。「生」きし者が、最後には「死」すところに、貴重な存在を醸し出す。未来永劫、今の形を留めるものがあったなら、それは、貴重な存在ではない。常に、いつもある存在でしかないのだ。この意味で、人間も、「万物の摂理」に従っていることで、貴重な存在なのだ。
 本日、地上波で『おくりびと』が、ノーカット放映された。冠婚葬祭の中で、忌み嫌われる、「人間の死」の部分。人の死である「葬」の部分は、田舎に行くほどタブー視されてしまう。ましてや、この陰の部分を職業とするならば、世間から冷たい仕打ちを受けてしまうのである。しかし、本当に「陰」の部分は、そんなに忌み嫌わねばならないものだろうか?「人間は必ず死ぬ」という原則の中にあって、忌み嫌うことになるのだろうか?必然の中で、いかに綺麗に「最後の場」を作ってあげるかは、本当に重要な事である。私の父が急逝した時にも、この場面に遭遇した。納棺士と言う人たちが、実に丁寧に体を清め、死に装束を着せてくれたかについては、今もって、大きな感動の記憶として残っている。これほどまでに、親族さえも出来ないことを、慎重にして、大事に行なってくれたことに、感謝の念が絶えない。このような人たちに、尊敬の念を抱いた程だ。この時の納棺士は、男女二人で、しかも、若い女性が中心で、こちらが恥ずかしくなるほど、慎重に、大事に行なってくれた。
 この作品の中で、「石文(いしぶみ)」のシーンがある。主人公が幼い頃、慕っていた父と、河原で石を交換した。言葉を持たない太古の人間は、石を自分の気持ちの表現として相手に渡した。石の感触や形、大きさによって、相手に伝える意味があったのである。結局、その父は、主人公を捨てたのだったが、30数年以上たったある日、訃報が届く。最後の再会時、納棺士として対応していた主人公が見たものは、・・。幼少の頃、父と交換した自分の石が、息を引き取った父の手に握られていたのである。はっきりした父の顔も分からない主人公にとって、唯一鮮明に残っていたのは、父と交換した「石文」だったのである。

 本木雅弘演じる主人公の“納棺師”が死に化粧と納棺の儀式を行う。死に装束の着物の衣ずれの音まで耳に心地よく響く。彼の所作ひとつひとつが指先まで神経が行き届いて、(ポーラ伝統文化振興財団の)記録映画でよく見る“匠の仕事”、美学の極致にまで達している。男の前の職業が指先が器用なチョロ奏者だという仕掛けが効いている。  滝田洋二郎監督と脚本家の小山薫堂がつむぎ出す物語は、死の儀式を執り行う主人公の周りからの“けがれの職業”だという意識をむき出しにする。やがてその儀式なしに、故人との別れは成り立たないことを訴える。最初はショックを受ける広末涼子演じる妻さえも、儀式の凄みに刮目せざるをえなくなる。  納棺師の先輩役の山崎努がフグの白子焼きを、伊丹十三映画のように美味そうに食べるシーンがある。食べることも人間の営みのひとつで、生き物の“死”に始末をつける行為であることをグロテスクなまでに見せつけるのが興味深い。人間は生き物の“死”の上にしか“生”を享受できない。なかなか深い。  この納棺師のひたすら美しい死の儀式は、一度でも親しい者を出棺した過去がある御仁なら、涙なくして見られないだろう。藤沢周平文学でおなじみの山形・庄内地方の移り変わる四季の自然が表情豊かで、美しい映画だ。(佐藤睦雄)(eiga.com)