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懐かしい、不思議な歌

2009年09月20日 16時02分33秒 | Weblog
 歌と言うのは、本当にその時代を反映し、心に残るものである。中でも、名曲としてではなく、不思議な独特の空間を作りだす歌も、何故か心に残るものなのだ。今でも、大半が口ずさんで出てくる不思議さがある。それだけ、心に鮮明に残っているんだろうと思うのです。今回は、そんな古い、心に残る不思議な空間を作りだす歌を集めてみました。

1.皆川おさむ黒猫のタンゴ
 
 元祖子供歌手である皆川おさむの「黒猫のタンゴ」は大ヒットした。みそっ歯ながら、愛くるしい皆川おさむの、優しい子供の歌声は多くの女性の心を捉えたようだ。どの歌番組を見ていても、必ずこの子役歌手・皆川おさむが出演していたものだ。皆川 おさむ(みながわ おさむ、1963年1月22日 - )は元子役、童謡歌手である。現在は工業デザイナー。ひばり児童合唱団の運営にも携わっている。カーマニアとしても有名。 現在では往年の名作曲家山本直純を思わせる風貌となった。笑顔に幼少時代の面影が残っている。

<!-- 皆川おさむ「黒猫のタンゴ」 -->


2.ザ・ダーツ「ケメ子の歌
               こちらはケメ子の「歌」
 ケメ子の歌(けめこのうた、ケメ子の唄)は、作詞・作曲:馬場祥弘,採譜・補作:浜口庫之助 の楽曲。編曲は、浜口庫之助(ザ・ダーツ盤)/寺岡真三 (ザ・ジャイアンツ盤)。ザ・ダーツ(『ケメ子の』・1968年2月1日発売・CBSコロムビア)と、ザ・ジャイアンツ(『ケメ子の』・1968年1月25日発売・日本ビクター
)との競作でシングル盤が発売され、ザ・ダーツ盤がオリコンチャート2位、ザ・ジャイアンツ盤がオリコンチャート6位を記録した。当初から「本命盤」と表示して売り出したザ・ジャイアンツ盤に対し、ザ・ダーツ盤は後になってジャケットに「オリジナル盤」と表示している。

<!-- ザ・ダーツ「ケメ子の歌」 -->


3.ザ・フォーク・クルセダーズ「帰って来たヨッパライ
   
 
帰って来たヨッパライ(かえってきたよっぱらい)は、ザ・フォーク・クルセダーズのデビューシングルであり、同グループの代表曲である。一般には「帰ってきたヨッパライ」と曲名が表記されることが多いが、初版レコードでは「帰って来たヨッパライ」となっている。キャピトルレコードによる英文曲名表記は “I ONLY LIVE TWICE” 。この英題は映画 “007/You Only Live Twice” のもじりである。

<!-- ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」 -->


4.ソルティー・シュガー「走れ!コウタロー
 
          ソルティー・シュガー/ソルティー・シュガー茶歌集~走れコウタロー

 走れコウタロー(はしれこうたろー)とはバンド・ソルティー・シュガーの代表曲である。1970年7月5日にシングル盤が発売された。作詞・池田謙吉、作曲は池田と前田伸夫の共作である。レコード売り上げが100万枚近い大ヒットとなり、同年の第12回日本レコード大賞の新人賞を受賞した作品。日本を代表するコミックソングの1つであり、現在でも運動会の徒競走のBGMでよく流れている。

<!-- ソルティーシュガー「走れコウタロー」 -->


5.平田隆夫とセルスターズ「ハチのムサシは死んだのさ
                  ハチのムサシは死んだのさ/悪魔がにくい / 平田隆夫とセルスターズ 
 
1971年(昭和46年)、平田が25歳になるころ、「平田隆夫とセルスターズ」は、ミノルフォンレコード(現徳間ジャパンコミュニケーションズ)と契約、同社の新レーベル「DANレコード」の設立第1弾シングルとして、『悪魔がにくい』(作詞・作曲平田隆夫)をリリース、オリコン週間シングルチャート第1位を記録するヒットとなる。翌1972年(昭和47年)、作詞に俳優の内田良平を迎えた『ハチのムサシは死んだのさ』のヒットで、同曲の編曲者土持城夫が「第14回日本レコード大賞」で編曲賞を受賞、平田はセルスターズとともに、第23回NHK紅白歌合戦に「紅組」として出場した。

<!-- 平田隆夫とセルスターズ「ハチのムサシは死んだのさ」 -->


6.殿さまキングス「なみだの操
             
 
殿さまキングス(とのさま -、1967年 - 1990年 )は、歌謡曲・コミックソングなどを手がけたバンド。殿様…という表記も見られるが、正しくは殿さまキングスである。愛称は、「殿キン」(とのきん)。大ヒット曲「なみだの操」の影響で、歌謡曲が主流になったが、元々はコミックバンドとしてお笑い番組に多数出演していた。ちなみに「殿さま」という名前は「キング」を日本風に言い換えようとして思いついたという。1967年に結成。『大正テレビ寄席』などバラエティ番組に多数出演していた。元々歌唱力には定評があったこともあって、その後、歌謡曲を歌うバンドに転身、1973年にリリースした「なみだの操」は300万枚近い爆発的なヒットとなり、現在でも人気の高い歌謡曲の一つ。1975年にリリースした「夫婦鏡」もミリオンセラーになった。演歌系の楽曲に限らず、「恋は紅いバラ」「けい子のマンボ」などのリズムもの、「ハワイ音頭」「ブラジル音頭」などのワールドものにも意欲的に取り組んだ。その後もバンド活動などしていたが、昭和天皇の病状悪化を受けた“自粛ムード”によって、いわゆる「営業」の数が激減したこともあり、1990年に解散。メンバーは現在ソロで活躍しているが、懐メロ番組などで不定期に再結成している。

<!-- 殿さまキングス「なみだの操」 -->



スリリングな展開『007黄金銃を持つ男』

2009年09月20日 09時48分36秒 | Weblog
               
 007シリーズ第9作目、2代目ジェームズ・ボンド役であるロジャー・ムーア第2作目が、『007黄金銃を持つ男』(1974年イギリス制作)である。この作品は、1973年「007死ぬのは奴らだ」に続くヒットを飛ばそうと、製作元であるユナイテッド・アーティスツ社が、速やかに次作をと、プロデューサーに働きかけ制作を急がせた作品でもある。この作品では、なんと言っても、トレイドマークである組立式黄金銃を持つ男・スカラマンガ役に、「吸血鬼ドラキュラ」で名声を得ていたクリストファー・リーをボンドの好敵者に配置して、物語展開しているところが面白い。クリストファー・リーは、さすがに独特の雰囲気を持った役柄で、このスカラマンガを演じている。サーカスで鍛えた正確な銃の使い手として、好演をしている。また、スカラマンガの補佐役として、これまた得体の知れない小人役ニック・ナック役にフランス人俳優エルヴェ・ヴィルシューズを配し、奇妙な殺人鬼スカラマンガを引き立てている。このような小人俳優を使うことは、「チャーリーとチョコレート工場」のウンパ・ルンパや「ロード・オブ・ザ・リング」のホビットのように、独特の雰囲気の場を作りだす効果があるのだ。日本で言えば、「てなもんや三度笠」に出演していた珍念こと、白木みのるが該当する。
 これまでのボンド映画と比べると、007シリーズの売りとも言うべき巨大セットのインパクトも薄く、ボンドにもユーモアさが欠け、若干地味な印象を受ける。唯一のカーアクションの見せ場、車を360度回転させての川越えのジャンプのスローモーションシーンは、見応えがあった。コンピュータで予め着地地点が計算され、6台のカメラを使って撮影された。スタントは、一発で成功したそうです。空手道場のシーンでは、ボンドは、柔道着を着せられ、格闘家達と対決させられるが、当時流行ったブルース・リーの映画の影響でも受けたのだろうか。道場の門下生達よりも女学生達のほうが強かったのは、意外。小人の殺し屋ニックナックは、色々と見えないところで巧妙な罠を仕掛けたりするのですが、ちょっと漫画チックで面白い。プーケット島で撮影されたクライマックスの孤島でのボンドのワルサーPPKとスカラマンガの黄金銃の対決シーンは、面白かったが、しかし、物足りなさもあった。黄金銃が今見るとやはり、古さを感じさせられ、玩具に見えてしまうのが残念。

 【ストーリー】
 ある日、ロンドンのMのオフィスに、ジェームズ・ボンドの命を奪うと書かれたメモと共に一個の黄金の弾丸が届けられた。送り主は、百万ドルで仕事を引き受ける"黄金銃を持つ男"スカラマンガという男だった。ボンドはスカラマンガを追って香港へ飛ぶ。そこでボンドはメアリー・グッドナイトという魅力的な女情報部員と会った。彼女から情報を得たボンドは、スカラマンガの愛人アンドレアを見出し、スカラマンガが行方不明の科学者ギブソンを追い、彼の発明した太陽エネルギー装置「ソレックス・アジテイター」を狙っていることを知る。実はあの銃弾は、スカラマンガの情婦アンドレアが、ボンドに彼を殺させようして仕組んだトリックだった・・・。

<!-- 「007黄金銃を持つ男」 -->