AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

トップランナーの孤独・その2

2007-10-26 02:33:52 | Weblog
 どういう経緯であれ、人より先を走ることになった人に対しては、当然のこととして、さまざまな義務、ないし責任がついて回ることになる。何に対して、とか、誰に命じられて、というものではない。強いて言えば、神さまに対して、になるのだろうけれども、宗教観は人によってもさまざまであろうから、あまり適切な表現ではないかも知れない。ノブレス・オブリージュ、という言葉が(これもキリスト教的宗教観を背景とした言葉ではあるが)、最も近いのかも知れない。

 ここでノブレス・オブリージュとは何であるか、ということについて語り始めると、あまりにも話がそれてしまうので略すが、今このブログエントリでの文脈に即した形で言うならば、トップランナーである以上は、他の人の模範となる行動をしなければならないし、他の人を気遣い、他の人のために力を尽くさなければならない、ということなのである。AKB48 的な言い方をすれば、「推されメン」ほど他メンバーの手本にならねばならず、メンバーどうしが仲良くできるように心を配るべきだし、そしてトイレ掃除もするべきなのである。あゆ姉が卒業するまでのチーム A は ( 終演後のポラ撮影の数といった事情はあるにせよ ) まるで逆だったようだが、その後どうなったのだろうか。

 しかしこれは、言葉で言うほど簡単ではない。何しろトップランナーには、ただでさえ風当たりが強く、背負うものも大きいのだ。望んでトップランナーになったわけではないし、実のところトップランナーの地位がそんなに居心地が良いわけでもないのに、どうして…という思いは、トップランナーたる人の心を、一度はよぎることだろう。しかし、常識がある人ならば、それをわずかでも口に出したら、それは自身の心の貧しさの発露でしかないと分かっている。だから、トップランナーであることを正面から受容し、感謝を忘れず、謙虚に、ノブレスオブリージュを引き受けることだろう。

 ただ、本人が努力しているうちに、いつしかトップランナーとしての地位にたどり着いていた、という人であれば、実はこうした負荷も担ってゆけるだろう。トップランナーの地位そのものを目指していたわけではなくとも、なるべくしてトップの地位に到達したのだから、それだけの人間的な実力は持っているからだ。しかし、無自覚に、たまたま何かの拍子でトップランナーの地位に飛び出してしまったという人にとっては、ノブレス・オブリージュは、ただ窮屈で面倒な重荷としか思えまい。

 しかしここでも、困ったことが生じる。妬み ( ねたみ ) や羨み ( うらやみ ) といった個人的な感情を「ノブレス・オブリージュを果たせ」という正論にすり替えて攻撃する人が、ほぼ必ず、どこにでもいるからだ。

 また続く。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
励まされる (スギ)
2012-03-26 23:15:16
10/23とこの10/26の「トップランナーの孤独」は辛いときにいつも読んでいます、なぜならあまりに私の境遇に近いので共感できます。 カギさんは違う人を想定して書いたとおもいますが、私は前田敦子を自分自身と掛け合わせて頑張っています。センターに立つ人の気持ちは経験したものしか分かりません、アッチャンも本当は、他のメンバーと仲良く公平に活動していきたかったのだと思います。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。