どういう経緯であれ、人より先を走ることになった人に対しては、当然のこととして、さまざまな義務、ないし責任がついて回ることになる。何に対して、とか、誰に命じられて、というものではない。強いて言えば、神さまに対して、になるのだろうけれども、宗教観は人によってもさまざまであろうから、あまり適切な表現ではないかも知れない。ノブレス・オブリージュ、という言葉が(これもキリスト教的宗教観を背景とした言葉ではあるが)、最も近いのかも知れない。
ここでノブレス・オブリージュとは何であるか、ということについて語り始めると、あまりにも話がそれてしまうので略すが、今このブログエントリでの文脈に即した形で言うならば、トップランナーである以上は、他の人の模範となる行動をしなければならないし、他の人を気遣い、他の人のために力を尽くさなければならない、ということなのである。AKB48 的な言い方をすれば、「推されメン」ほど他メンバーの手本にならねばならず、メンバーどうしが仲良くできるように心を配るべきだし、そしてトイレ掃除もするべきなのである。あゆ姉が卒業するまでのチーム A は ( 終演後のポラ撮影の数といった事情はあるにせよ ) まるで逆だったようだが、その後どうなったのだろうか。
しかしこれは、言葉で言うほど簡単ではない。何しろトップランナーには、ただでさえ風当たりが強く、背負うものも大きいのだ。望んでトップランナーになったわけではないし、実のところトップランナーの地位がそんなに居心地が良いわけでもないのに、どうして…という思いは、トップランナーたる人の心を、一度はよぎることだろう。しかし、常識がある人ならば、それをわずかでも口に出したら、それは自身の心の貧しさの発露でしかないと分かっている。だから、トップランナーであることを正面から受容し、感謝を忘れず、謙虚に、ノブレスオブリージュを引き受けることだろう。
ただ、本人が努力しているうちに、いつしかトップランナーとしての地位にたどり着いていた、という人であれば、実はこうした負荷も担ってゆけるだろう。トップランナーの地位そのものを目指していたわけではなくとも、なるべくしてトップの地位に到達したのだから、それだけの人間的な実力は持っているからだ。しかし、無自覚に、たまたま何かの拍子でトップランナーの地位に飛び出してしまったという人にとっては、ノブレス・オブリージュは、ただ窮屈で面倒な重荷としか思えまい。
しかしここでも、困ったことが生じる。妬み ( ねたみ ) や羨み ( うらやみ ) といった個人的な感情を「ノブレス・オブリージュを果たせ」という正論にすり替えて攻撃する人が、ほぼ必ず、どこにでもいるからだ。
また続く。
ここでノブレス・オブリージュとは何であるか、ということについて語り始めると、あまりにも話がそれてしまうので略すが、今このブログエントリでの文脈に即した形で言うならば、トップランナーである以上は、他の人の模範となる行動をしなければならないし、他の人を気遣い、他の人のために力を尽くさなければならない、ということなのである。AKB48 的な言い方をすれば、「推されメン」ほど他メンバーの手本にならねばならず、メンバーどうしが仲良くできるように心を配るべきだし、そしてトイレ掃除もするべきなのである。あゆ姉が卒業するまでのチーム A は ( 終演後のポラ撮影の数といった事情はあるにせよ ) まるで逆だったようだが、その後どうなったのだろうか。
しかしこれは、言葉で言うほど簡単ではない。何しろトップランナーには、ただでさえ風当たりが強く、背負うものも大きいのだ。望んでトップランナーになったわけではないし、実のところトップランナーの地位がそんなに居心地が良いわけでもないのに、どうして…という思いは、トップランナーたる人の心を、一度はよぎることだろう。しかし、常識がある人ならば、それをわずかでも口に出したら、それは自身の心の貧しさの発露でしかないと分かっている。だから、トップランナーであることを正面から受容し、感謝を忘れず、謙虚に、ノブレスオブリージュを引き受けることだろう。
ただ、本人が努力しているうちに、いつしかトップランナーとしての地位にたどり着いていた、という人であれば、実はこうした負荷も担ってゆけるだろう。トップランナーの地位そのものを目指していたわけではなくとも、なるべくしてトップの地位に到達したのだから、それだけの人間的な実力は持っているからだ。しかし、無自覚に、たまたま何かの拍子でトップランナーの地位に飛び出してしまったという人にとっては、ノブレス・オブリージュは、ただ窮屈で面倒な重荷としか思えまい。
しかしここでも、困ったことが生じる。妬み ( ねたみ ) や羨み ( うらやみ ) といった個人的な感情を「ノブレス・オブリージュを果たせ」という正論にすり替えて攻撃する人が、ほぼ必ず、どこにでもいるからだ。
また続く。