グリーンブレーカーズ by 高木肥料店

農業の現場の おはなしなどなど。

SDGs。日本について考える。

2021-06-18 23:13:33 | Weblog
SDGs。日本について考える。

このままの状況がつづいていくと今の世界の持続は不可能になる。も
う地球は耐えられない、だから本格的で根本的な変革を地球上のひと
りひとりがおこしていこう・・・
ということで国連で2015年に採択されたSDGs。このSDGsを達成
するための目標は、開かれた場所で女性や子ども、先住民や労働者に
NGOや民間企業等多くの人や団体が議論に加わって作り上げたもの。
国連や各国政府そして企業が勝手に決めたものではないという
性質のものであるのです。いち例をあげれば 途上国の人々が劣悪な
環境下や低賃金で働かされることで、先進国の人たちが利益を得たり
するといった不公平の是正も大切な課題のひとつとされています。だ
からこそ地球上の一人ひとりが当事者であり、誰ひとり取り残さない
というコンセプトが掲げられているというわけですね。
そんなSDGsに関連するはなしとして 当ブログの2009年7月に
挙げたわが日本国についての回があります。世界のエネルギーや食料
を、金にあかして無秩序ともいえるかたちで輸入してきている日本で
はありますが、その為に失われたものもおおきかったというおはなし
ですが、よろしかったらご参考に。

 ↓

『昔話で日本をかんがえる/2009年7月分』

昔話のおきまりですね、山へ行くおじいさんと、川へいくおば
あさん。そうです、昔は山と川でいろいろなものが手にはいっ
たのです。食料や肥料に燃料、それに工芸品の材料など生活に
必要なものはほとんど山や川で手にはいったのです。

桃太郎を少し説明してみましょう。

たとえば、おじいさんのおこなう「柴かり」。これは芝生を
かることではありません。
このおはなしのなかの柴とは、小枝や木のこと。おじいさんは、
料理をしたりお風呂をわかしたりするときにつかう燃料を山に
とりにいっていたのです。そしておじいさんはいろいろな木を
植えた「雑木林」や材木用の山をつくり、そこから炭の原木や、
紙の材料となる木、家の材料となる木などを手にいれていたに
ちがいありません。

おばあさんもそう。川の水は洗濯だけではなく飲み水や料理を
するときにつかえましたし、川の流れは粉をひく水車の動力や、
さらには交通手段としても使用されたのです。

それだけではありません。「かぐや姫」のおじいさんは竹山を
つくり、世話して、その竹山から取れる竹で、おはしやカゴや
ザルなどといった竹でできた道具をつくっていました。そうそ
う、もちろん春にはおいしいタケノコももちろんたべていたこ
とでしょう。

このように、ひとびとの生活を支えてきた山や川のある場所は、
里山(さとやま)とよばれ大事に管理されてきました。そして、
その里山につながったひとびとの暮らす場所や田畑を、われわ
れ日本人は里地〔さとち〕と、よんできたのです。

ヒトの作った里地と里山には、畑や水田やしっ地、ため池、草
地、落葉広葉樹林などのさまざまな場所が作られ、そのさまざ
まな場所にはそれぞれの場所に住むたくさんの動物や植物がヒ
トとともに生活していました。カチカチ山のウサギやタヌキ、
サルカニ合戦にでてくるサルやカニ、そしてそのほかのむかし
ばなしにでてくるたくさんの生き物たちです。そこには美しい
森と清らかな水の流れがありました。牛や馬といった家畜も、
田畑を耕す労働力として、家族同様に里人に大事にかわれてい
たものでした。

そんな里山が変わり始めたのは昭和40年代になってから。
まずは 燃料の主役が石油やプロパンガスに変わってきました。

新しい燃料は、炭焼きのような苦労をしないで得られるため、
町はもちろん、里地や里山にまでふきゅうするようになったの
です。たくさん外国から輸入される木材で住宅を作るヒトがふ
え、山にうえられていたスギやヒノキも売れなくなりました。
プラスチックやビニールの普及で、わら製品や竹製品も売れな
くなります。里人も、農業のかたわら輸入されたエサを使い・
狭い場所でたくさんの食用となる家畜を飼うようになっていき
ます。作物に施すために落ち葉や野草でつくられていたたい肥
も、たくさんでる家畜のフンにおきかえられました。外国から
たくさん輸入される食料のため、里山でつくられていた農作物
は半分以上も売れなくなってしまいました。
たくさんの家畜のフン尿や外国から輸入される食料ののこりの
ために日本の土は次第に肥えていきました。
そのために川は汚れ、川では炊事はおろか洗濯までできなくな
っていったのです。

こうして里山は人々から見捨てられ、やがて ますます大きな
家畜飼育用の施設や作られなくなった田畑がふえていきました。
山々の木々が伸び放題になり、人々が次第に近づかなくなって
しまいました。里山にたくさんのいたはずのいろいろな種類の
動物や植物もいつのまにかいなくなります。
五穀豊穣(作物が豊かに実ること)を祝うお祭りや、ご神木であ
る木にまつわるお祭りをとおして、長く里山をみまもってきた
鎮守の森の神様もきっとさみしくおもわれていることでしょう。

さて、里山と里地は死んでしまったのでしょうか。一度失われ
た里山と里地は復活することはかなわないのでしょうか。
いえ、希望はあります。

少しずつ暮らしを変えていけば
きっと里山と里地、そして美しい森と清らかな水の流れはよみ
がえることでしょう。
そこでは昔話で登場してきたたくさんのいろいろな種類の動物
や植物もたちも、里人といっしょにきっと笑顔で生きていける
はずです。