アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

毒を盛られた小麦の旅 3

2010-08-16 18:48:43 | 思い
 さて、先に国産小麦はそのほとんどが「うどん用」として使われていると述べたが、ではパンでは勝てなくても、「うどん」ならば国産品が輸入小麦よりも優れていて、うどんの多くは国産小麦を使っているのだろうか。
 実はここでも日本人はがっかりさせられることになる。なんとうどんの世界でも、品質・量ともに外国産には敵わないのだ。
うどん用原料として現在もっとも使われている小麦は、ASW(オーストラリア・スタンダード・ホワイト)。もちもちとした食感やクリーミーホワイトのめん色から需要を伸ばしたオーストラリア産麦です。一方、国産のうどん用麦は、輸入麦に比べて食感や色が劣りASWを超える品種開発が望まれていました。(「農林水産省」HPより)

 現在うどん用新品種も幾つか開発されているが、やはり総合的観点から輸入ものには及ばない。このようにうどんについても品質・価格の点で大きな開きがあるので、結果的に国産小麦は「輸入ものに少量ブレンドする」(そして「国産小麦使用」などと表示する)という使われ方が主流なそうだ。さる業界筋によると、国産100%のうどんはおそらく全体の0.1%にも満たないだろうという。
 ついでにラーメンはどうかというと、こちらも国産小麦のシェアは、ラーメンの麺の中の1%程度と言われている。因みに通常、業務用中華麺に用いられる小麦粉は準強力の特等粉クラスだが、デカ盛り店や格安店の中にはコストを下げるため、一等粉、二等粉を素材に選ぶ所もあるらしい。あまりに安い店、その割に量の多い店には気をつけなければいけない。
 麺類はパンに次いで小麦粉需要の三分の二を占める大きな市場であるが、この本家本元的分野においても、国産小麦は外国勢に刃が立たないのだ。
 このように日本市場を総なめにした輸入小麦のポストハーベスト問題に、日常的に直面しているのが直接小麦粉を扱うパン職人である。あるパン屋さんはポストハーベストについて次のように述べている。

小麦粉の段階ではかなりの濃度で含まれているんじゃないかと思うのです。
一般の方は問題ないと思いますが、仕事上毎日これらを吸い込んでいるパン職人にはちょっと怖い話です。
特にパン屋さんが小麦アレルギーになってしまう例が多いです。
この場合の小麦アレルギーは食べて起きる小麦グルテンアレルギーでは無く、一般的にアトピー性皮膚炎と呼ばれるものです。
実際10年くらい製パンに従事すると発症する人が多く、そういう自分も数年前になりました…。(ToT)
酷くなって店を閉めたパン屋さんも知っています。
職業病ですね。
そんな訳でアトピーを発症してから自分の為にも国産小麦に切り替えました。
それ以来症状が出ていないのは不思議ですね…。
「パン屋くらのパン教室 - 輸入小麦」より)

 彼が扱っていたのは、おそらく農薬残留量の少ない一等粉だろう。それでもってこれだけ顕著な現象が起こるとすれば、更に残留量の多い二等粉を扱う菓子パンや加工パン、学校給食パンの職人さんたちはいったいどうなのだろうか。パン作りが趣味の家庭的な主婦は?ましてやポストハーベストをモロに食べさせられている、ふすま部分を飼料にした家畜たちに症状の出ないはずがない。そして彼らを食べる私たちにも。
 遠い外国で毒をまぶされた小麦たちは、遥か海原を越えて太平洋の端の小さな島国に至り、そこで毒を含んだまま粉にされ製品化し流通し、あるはパン職人さんをアトピーにし、あるは就学児童に強制的に食べさせられ、またあるは家畜の配合飼料の中に混ぜられて、牛や鶏の肉としてそこの国民の食卓に上る。このように、一度振りかけられた毒はほぼ余すところなく、われわれ日本人の口の中へと消えていく。いや、消えていくのではない、体内で「毒」としての活動を継続し続けるのだ。これが毒を盛られた小麦1万5000キロの旅である。

 以上、小麦のポストハーベストに的を絞って書き記したが、ただ留意しておかなければならないのは、だからといってポストハーベストの使われていない、国産小麦が手放しで安全というわけではない。元々農薬大好き!な国民の国である。そこで栽培される小麦がどのようなものか、それは諸外国に比べてどうなのかを、少しは知っておく必要があるかもしれない。
 基本的に小麦栽培は温暖湿潤な気候には合わない。特に半乾燥地に適した植物を湿潤地に移した場合には、赤さび病などのカビに由来する病気を多発しやすくなる。また小麦は収穫時に雨に当たると品質が低下してしまうが、日本はその時期にまさに梅雨に当たっている。そこで梅雨がなく雨の少ない北海道が小麦栽培に適しているということになるが、それも「国内で比べれば」である。
 その条件不利を補おうとして、ますます各種農薬使用による「防除」が推奨されるのだが、日本で平均的に行われている小麦栽培にかかる薬剤防除はだいたい次のとおりである。
種子消毒                 1回
病害防除(赤さび病・雪腐病など) 2回
雑草防除(土壌処理・茎葉処理)  2回

 合計5回ほど、農薬ポイント7~9辺りがほぼどの県でも推奨する栽培基準となっている。一方栽培適地であり、かつ日本のように農薬指向の強くない他の先進諸国では、麦類の栽培に際しても使用薬剤量はおおよそこの数分の一程度であろうことは想像に難くない。なにしろ日本人は農薬に関して、欧米の5~7倍量を撒いているのだ。それが麦だけ特別だということはありえない。実際そのような作物を流通させるため、食品ごとの残留農薬基準も、平均すれば欧米の6~7倍に設定されている。小麦はその中で最も差が少ない方で、3倍程度ではあるのだが。
 実のところ農家の見地から言わせてもらえば、小麦栽培にこんなに農薬が必要なはずはない。若干土地が痩せていても、旱魃でも冷夏でもそれなりに穫れるのが麦である。私の家でも輪作しながら堆肥さえ撒かず地力だけで、毎年2種類の小麦を育てている。農薬など使ったこともない。これが普通だと思う。しかしながら農薬と化学肥料で汚染された土地では土壌が疲弊し尽くしているので、しかもそれをカバーすべき生態系さえも壊滅状態にあるので、到底地力だけでは育たないし容易に病害虫を発生させてしまう。それで更に化学肥料と農薬を多投する、の悪循環に陥ってしまっているのだ。
 またそんな環境で育てられた小麦はおのずと栄養価が低く、本来の力で私たちを守り育ててはくれない。せいぜい農薬という人工毒のキャリアとして、人間に過去になかった災厄をもたらしてくるだけなのだ。
 ポストハーベストがかけられていないからといって、必ずしも安全ではない。実際多くの小麦アレルギーは、国産小麦を食べながら発症している。またひとつの食べものにアレルギーを示す人が、大概の場合他の幾つもの食べものにもアレルギー反応を示すことをどう説明すればいいのだろう。彼らのうちの何人かは、小麦のタンパクや果物、卵、玄米に対するアレルギーなどではなくて、それらの食品の含む「農薬」に反応しているのかもしれない。だから同じ系統の農薬が使われている場合にはどの作物であれ同じように反応するのである。
 「農薬アレルギー」はまだ医学の教科書には出ていない比較的新しい概念である。だから病院に行っても、単にアトピーですね、小麦アレルギーですね、ハウスシック症候群ですねと既に知れ渡っている病名を付けられてお茶を濁される。山ほど薬をいただいて帰って、しかも病状は決してよくはならない。しかしそれは、見識の狭い医者を頼った本人の責任なのである。病気を見つけるのも、その原因を突き止めるのも、それを治すのも、医者ではなく本人自身の仕事である。人間にはそれだけの力があるし、自分の足で歩こうとする人のみが歩けるようになる。医者や周りの人は、その補助をするだけしかできない。
  
 最後に小麦に関する、少し日本人には晴れがましくも複雑な思いのするエピソードを紹介してこの話を締めくくろう。
 1960年代は世界中が未曾有の危機に直面すると考えられていた。人口増加が食糧生産力を上回り、もはや世界的な飢餓は避けられないと目されていたのである。このままでは南アジアを中心として何千万人という餓死者を出す大惨事となる、当時誰もがそう考えていた。
 しかしその頃から、農業を巡る世界情勢は大きく転換し始めた。かつて小麦需要の半分を輸入に頼っていたメキシコが輸出に転じ、フィリピンが米の自給を達成し、最も深刻と考えられていたインドやパキスタンが、稲や麦の生産効率を大幅に増やしたのである。
 1960年代の世界飢餓は訪れなかった。それは主に、ロックフェラー財団によって後押しされた国際機関や研究グループが、新品種の導入や化学肥料の多投による穀物の大量生産体系の開発に成功したことによる。それらの技術は間をおかず中米やアジアに導入され、当初予想されていた飢餓を未然に食い止めることができたのである。人々は奇跡的とも言えるこの出来事を、後に「緑の革命」(Green Revolution)と名付けた。
 この時小麦の新品種開発に使われた遺伝子が、岩手県立農事試験場が1935(昭和10)年に開発した「農林十号」のものだったのである。育成者は稲塚権次郎(当時38才)。仕事仲間から「小麦の神様」と呼ばれたほど研究熱心な技官だった。ただこの農林十号は、短棹で分けつが多く多肥料でも倒伏しにくい半面、病害に弱いという短所を持っていたので、日本では東北地方を除き広くは普及しなかった。
 第二次世界大戦後、アメリカはGHQを通して日本の様々な分野の研究成果を本国に持ち帰ったが、その際に収集した遺伝子資源のひとつがこの「農林十号」だった。これは後にメキシコでトウモロコシや小麦の品種改良の研究を手がけていたノーマン・ボーローグ博士の手に渡り、彼はこれとメキシコ品種をかけ合わせて、1961年に草丈90~120cmのBevor14系の品種群の育成に成功した。この品種がインド・パキスタン・ネパールを始め世界各国で栽培されるようになり、小麦の生産性向上に大きく貢献したのである。
 ボーローグ博士は「歴史上どの人物よりも多くの命を救った人物」として、1970年にノーベル平和賞を受賞する。その翌年、退官して故郷に身を寄せていた稲塚もまた勲三等瑞宝章を受賞した。
 稲塚権次郎は生まれ故郷の富山県城端(じょうはな)町にて1988年、享年91才の生涯を閉じた。
「個人の功に就いては、大量無関心なれ」
 稲塚の若き日の日記に記されていた言葉である。この言葉のとおり、ボーローグ博士とは対照的に、自らの功績に驕ることなき地道で目立たぬ生涯だった。

 「緑の革命」は確かに当時、来るべき世界飢餓という深刻な問題を大幅に先送りにしたかに見えた。一挙に数倍に跳ね上がった農業生産力を、人々は驚嘆の思いで眺めたものである。人類の、科学の勝利!誰しもがそう思った歴史的瞬間だったと言える。
 しかしそれから半世紀を経た現在、「緑の革命」にはまた別の側面があったことを人々は否応なく知るようになる。
 生物はどれも、生態系の中でバランスをとって生きている。ある生物が極端に繁殖力が強く、それが全体の生物相の構成から突出するものである場合には、自然界は往々にして、その生物に釣り合いを持たせる意味合いで他の要因、例えば生命力が弱いとか、環境の変化に弱い、または世代の経過とともにその繁殖力や生命力は順次失われていくとかの、マイナス因子を付加するのが常である。
 興味深いことに、当時緑の革命で開発された多収品種のいずれもがその範疇を出なかった。つまり人為的な多肥料・多農薬の環境を保持しない限り、自然状態では多産どころか、通常の品種と同じか、またはそれを下回る生命力しか持っていなかったのである。
 それゆえに、育成された新品種は常に「化学肥料・農薬・除草剤」という化学物質群とセットで栽培せざるをえなかった。結果、それから数十年の歳月を経て初めて実証されたことではあるが、その時を境として地球の財産である多彩な生物相の消滅と深刻な環境汚染、作物それ自体の栄養価の低下とそれを食した人間の体内汚染とが、地球規模で引き起こされることになる。
 加えて、それら化学物質に依存することによって、農業は更に石油製品に依存せざるをえなくなってしまった。有限なる化石燃料。言わば人類の命脈は「袋小路」のような状況に陥ってしまったのである。
 この「緑の革命」には現在賛否さまざまな意見がある。あの瞬間だけを考えれば、確かに大成功したかに見える人類の英知が、数十年、数百年後のとうに世代が変わっている時代に初めて、実はとんでもない過ちや失策であったこと、または変化に気づいたその後に理性的な修正が行き届かず、結果的に災厄としてわが身に還ることとなってしまった事例などは枚挙にいとまがない。近代科学とは、なべてそのような繰り返しの歴史と言っても過言ではない。


(おしまい)

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2 コメント

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失礼します (r)
2010-08-18 20:43:54
 記事読ませていただきました。
とても勉強になりました。
ありがとうございました。
 「緑の革命」については、いわゆるこの世界を牛耳っている人間達の計画的な
世界食料支配の一環であるという説が
ありますね。私もそれを
信じています。
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1186478_629.html
世界的なF1品種の増大もそれに含まれる
と思います。
嫌な世の中になったものです・・・。
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Unknown (agrico)
2010-08-19 19:25:57
「種子銀行」の話は初めて聞きました。ターミネーターのような技術を実用する彼らにとって、種子銀行の意図も表向きのようなものでは決してないでしょうね。おのれの野望、欲望のためなら人も生きものもいのちも何もかもがただ利用する道具にすぎない、そんな感じです。
 緑の革命では、確かに何万人もの人が餓死から免れたかもしれません。しかし徒に人口を膨張させてしまった結果、これから先果たして何億人の人が餓死にも劣らない苦しみを受けるか、想像できないところです。でもどんな状況にあっても、彼らだけは儲け続けていくのでしょう。
 自己の利益のためにこの世に不幸をもたらすことを顧みない彼らは、しかし自らは決して幸せになれない格好の例かもしれません。本当の幸せを求めるものがそのために他者を不幸にすることはないし、また幸せを得たものは、あえて人を不幸にすることはありません。
 つまるところ彼らは地獄の住人であり、私たち(という人間)の持つ地獄的側面の一部なのでしょうね。
 貴重な情報ありがとうございました。
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