こうして暖かい炬燵にあたっていると思い出す。
あれは4年前。引っ越して来て最初の冬だった。
その頃我が家には真四角い小さな炬燵がひとつあるだけだった。それと芯が燃え尽きそうな古い石油ストーブ。いつも調子が悪くて燃えたり消え入りそうになったりを繰り返す、暖房器具としてはまったく当てにならないストーブを横目で見ながら、僕らは小さな炬燵に丸くなっていたもんだ。当時猫家の家族は、僕と友人、そして猫3匹。
馬舎を修理したり物置を片付けたり、雪掻きをしたりした後にこぶしを両のズボンに擦りつけながら部屋に入る。寒い。早く炬燵に入って、温まりたい!
しかしそんな時決まってそこには先客がいた。猫たち3匹。彼らはさもそこが自分たちのテリトリーなんだと主張するように、日がな一日炬燵の中に陣取っている。僕が足を伸ばそうとしても猫にぶつかる。彼らは狭い炬燵の中の主要な位置に「梃子でも動かん!」と丸くなっている。つまり既に満員状態。どっちに足を伸ばしても必ずどれかの猫にぶつかった。
ああ、そうだな。炬燵が小さいから仕方ないんだ。本当はもっと温まりたいのに、僕は猫たちに遠慮していつも足を縮めてあたっていた。しかし・・・天は我を見捨てず。やがて知り合いからもっと大きな炬燵を頂けることになった。長方形をしていて大きさはゆうに今までの1.5倍はある。やった!これでやっと伸び伸びと炬燵にあたれる!僕と友人は手放しで喜んだ。さっそく電気を入れて炬燵布団ごと温めておいて、僕らは外に雪掻きに出かけ、そして帰って来ていつもどおり炬燵にあたる。ああ、やっぱり大きい炬燵はいいな、自然に笑みが口元に漏れ・・・
あれ?おかしい!やはりどこに足を伸ばしても猫に当たる。おかしい!そんなはずは無いんだが・・・
布団を捲り、中を覗いてみたら、なんと炬燵が大きくなった分だけ猫たちが「長く」なっていた。そして炬燵の中は、やはり「満員」!・・・
・・・・・・・・
彼らもそれまで狭い、狭いと思って我慢していたんだろうか。今あたっているこの炬燵を見ると、4年前のあのことが思い出されて来る。
【写真は当時の猫3匹組。今では彼らもみんな外で寝るようになった。】
あれは4年前。引っ越して来て最初の冬だった。
その頃我が家には真四角い小さな炬燵がひとつあるだけだった。それと芯が燃え尽きそうな古い石油ストーブ。いつも調子が悪くて燃えたり消え入りそうになったりを繰り返す、暖房器具としてはまったく当てにならないストーブを横目で見ながら、僕らは小さな炬燵に丸くなっていたもんだ。当時猫家の家族は、僕と友人、そして猫3匹。
馬舎を修理したり物置を片付けたり、雪掻きをしたりした後にこぶしを両のズボンに擦りつけながら部屋に入る。寒い。早く炬燵に入って、温まりたい!
しかしそんな時決まってそこには先客がいた。猫たち3匹。彼らはさもそこが自分たちのテリトリーなんだと主張するように、日がな一日炬燵の中に陣取っている。僕が足を伸ばそうとしても猫にぶつかる。彼らは狭い炬燵の中の主要な位置に「梃子でも動かん!」と丸くなっている。つまり既に満員状態。どっちに足を伸ばしても必ずどれかの猫にぶつかった。
ああ、そうだな。炬燵が小さいから仕方ないんだ。本当はもっと温まりたいのに、僕は猫たちに遠慮していつも足を縮めてあたっていた。しかし・・・天は我を見捨てず。やがて知り合いからもっと大きな炬燵を頂けることになった。長方形をしていて大きさはゆうに今までの1.5倍はある。やった!これでやっと伸び伸びと炬燵にあたれる!僕と友人は手放しで喜んだ。さっそく電気を入れて炬燵布団ごと温めておいて、僕らは外に雪掻きに出かけ、そして帰って来ていつもどおり炬燵にあたる。ああ、やっぱり大きい炬燵はいいな、自然に笑みが口元に漏れ・・・
あれ?おかしい!やはりどこに足を伸ばしても猫に当たる。おかしい!そんなはずは無いんだが・・・
布団を捲り、中を覗いてみたら、なんと炬燵が大きくなった分だけ猫たちが「長く」なっていた。そして炬燵の中は、やはり「満員」!・・・
・・・・・・・・
彼らもそれまで狭い、狭いと思って我慢していたんだろうか。今あたっているこの炬燵を見ると、4年前のあのことが思い出されて来る。
【写真は当時の猫3匹組。今では彼らもみんな外で寝るようになった。】
猫ってほんとに「長く」なりますよね。こんなに大きかったっけと思うほど。
読んだ後は、実家のトラ吉に会いたくなってきました。。。
今ではみんな外か玄関で寝ているので、もう炬燵が猫で塞がることはないんですが、でもだから、いつまでもこうして思い出すんでしょうね。
つかの間の幸せは思い出として残ってくれるので一生の宝です。
当たり前になった幸せはそんな大切なことを思い出させるように、いつか無くなってしまうのかもしれないですね。
猫にとっての4年って、人間にとっての10年位には当たるんでしょうか。のんびりしてるように見えて、私たちよりも集約した時を生きている。
今可愛がってやらないと、と思いますよ。
その次からの1年1年は人間の4歳4歳だそうです
うちにいた猫は21歳になりましたが、老化でよぼよぼしていました。介護者の立場でいました。
沢山の楽しい思い出を残してくれました。
生は決して時間の長さで計れるものではないけれど、でも愛されて長命を得た生き物というのは嬉しいものですね。それが人間でも猫でも。
子どもの頃飼っていた猫のこと、私も今でも忘れられません。それはあまりに特別な存在だったですね。子ども心に「愛する」ということの何がしかを教えられたのかもしれません。
愛することは、生き物と付き合うことで深められるものなのでしょうか。生命の乏しい環境や机の上からは少し遠いところにあるのかもしれない。
しかも愛する行為はその対象を失った後もいろいろな形で長く残るものですね。思い出もそのひとつですが、何より自分の心が一枚愛情の布を被ったように温められでいる。
日常の中で愛することや憎むことによって、自分の心は出来ていくのですね。
死に別れる時の涙は辛いけれど、それが愛することと引き離せない行動の対価であるならば、その涙は充分に流す甲斐があるのでしょうね。