真実は常に意外であり、そして往々にして悲しいものだと思う。以下は先日の広島原爆の日に同地で開催された田母神俊雄氏の講演の動画である。
「8.6田母神講演会」 1/3
「8.6田母神講演会」 2/3
「8.6田母神講演会」 3/3
田母神元航空幕僚長が自衛隊を退職したのは昨年の秋のことだった。その当時私は農作業に明け暮れていて、ましてやテレビも新聞も無い身とあっては、ネット上でなんとなくそんなこ . . . 本文を読む
前回に引き続いて、中朝の影響下にある(というか半ば支配されかけている)日本の大手マスメディアが流さない情報に関連する動画を2本紹介しておこう。どちらもYouTubeで見つけたものである。
ひとつは大日本国帝国が、当時のどのような動機と目的で大戦に突入したのか、結果から遡ることによってその一端を説明した動画。国際舞台にあってただ一国有色人種を国民とする先進国「日本」は、国際連盟理事会において人種 . . . 本文を読む
乳幼児から児童期における虐待は身体や精神に深い痕跡を残す。成長ホルモンに異常をきたすことによって小人化する子どももいれば(小人化症候群)、一見それとはわからなくても、情緒や認知、行動の上で重篤な障害を残してしまうケースも多い。というより、何らかの障害を残さない方が稀である。
虐待が子どもの心理に残した影響を、ジョン・ホプキンス病院の医療心理学者ジョン・マネーは、「人格の中に深く刻み込まれた特性 . . . 本文を読む
さて、幼児が心に「見捨てられ不安」を根ざしたことによって引き起こされる「境界性人格障害」について話したところで、今度はそのような子どもが成人したときに起こりうる、「ミュンヒハウゼン症候群」とその関連症状について触れておこう。
昔、自分を病人に見たてて、病院を渡り歩く男がいた。そういう男を、イギリスの学者リチャード・アッシャーは、「ミュンヒハウゼン症候群」と名づけた。ミュンヒハウゼンというのは、 . . . 本文を読む
なぜ幼児期の虐待が、こうまで人間の人格形成に影響を及ぼすのだろうか。これは人が生まれてから死ぬまで織り成し続ける「絆」の作り方に関わってくるような気がする。
胎児や新生児が最初に織り成すのは、当然のことながら母親との絆である。子が自らの人格を形成し始めるのは、一般に思われているよりもずっと早い。例えば生まれてから36時間経過した新生児は、眼前にある大人の表情を捉えてそれを模倣することがわかって . . . 本文を読む
私たち人間は、自分が直面したくない物事から自分を守るために、日々たくさんのエネルギーを費やしているという。直面したくないもの、それは一見外側にあるように見えるのであるが、その実体はいずれも「自分自身に内在するもの」である。つまり私たちは自分の中のなにか」を直視できないでいるのだ。
そういった抑圧の習慣は、否定する対象をそれが存在する自分自身の中にではなく、他者や他の生きものなどの中に投影する。 . . . 本文を読む
【第一場】地球温暖化って、どんなこと?
田植の終わった田んぼに、青年とおじいさんが補植をしている。水を張った田面をすいすいと軽やかに渡り歩くおじいさんと対照的に、青年の動きはぎこちなくて遅い。
(ナレーション)「この春高校を卒業したばかりのカズヤは、晴れて農業一年生。じっちゃんに手取り足取り教えてもらいながら、毎日田んぼで働いています。苗作り、堆肥散らし、耕起、代掻きと仕事は進んで、今は田植の . . . 本文を読む
去年の11月にこのブログでアップした「地球温暖化と生きものたち」(1~4)。実はこれ、隣りの金ヶ崎町で開催された「環境推進大会」で、寸劇仕立てでプレゼンテーションしたものです。
今度これを、奥州市内の幾つかの中学校で上演することになりました。
そこで同じ内容を中学生相手にわかりやすく、かつ授業時間内に収まるように、一部内容を修正したものをこれから数回に亙ってアップします。
芝居をするとなる . . . 本文を読む
1937(昭和12)年、東京日日新聞(現在は朝日新聞に統合)の紙面に次の記事が載った。しかしこの当時、これが後にどんな悲劇を招くかを知る者はただの一人もいなかった。
「百人斬り競争」は、当時大阪毎日新聞と東京日日新聞において掲載された記事だった。南京侵攻途上の白兵戦において、日本軍将校2人が日本刀でどちらが早く100人を斬るかを競い、その手柄を語り合うという内容である。一人は向井敏明少尉(歩 . . . 本文を読む
今日「南京大虐殺」と言われるものは、戦後の東京裁判で日本の戦争責任を問うために、その根拠のひとつとして提示されたのを発端とする。概要としては次のとおり。
「1937年日本軍は南京への侵攻途上において、途中の村々で米や豚、鶏などを奪取し、更に放火や暴行、強姦、殺害などを繰り返し、特に12月13日の南京陥落以後2ヶ月間に亙っては、市内にて略奪や強盗、放火、更には無抵抗の市民や婦女子、捕虜30万人以上 . . . 本文を読む
松井石根(まつい いわね)陸軍大将をご存知だろうか。1937年の上海事変と、それに続く日本軍による南京攻略の総司令官だった人である。以下にこの、中国を敬い軍人ながら日中親善のために心を砕いたひとりの日本人将校が、どのようにして生き、また東京裁判にて罪を問われたかを見てみよう。
松井石根は1878年愛知県に生まれ、成城学校から陸軍士官学校、陸軍大学校へと進学。日露戦争時から40余年間陸軍に在職 . . . 本文を読む
東京裁判は敗戦国である日本に今大戦の一切の責任を負わせるとともに、今後再び日本が白人社会に対して交戦する能力を持ち得ないように、日本国民へ徹底した自虐史観を植えつける、その第一歩となる重要な「イベント」だった。
それゆえ判事はすべて戦勝国側(11カ国)から選出され、被告にも一応弁護人は付けられたが、日本側から提出された3千件を超える弁護資料(当時の日本政府・軍部・外務省の公式声明等を含む)は . . . 本文を読む
地球温暖化が世界規模で叫ばれるようになってから随分になる。紙面で「温暖化」の文字を見ない日はないし、折込チラシや市の広報でもエコドライブや家庭の省エネを謳うことが多くなった。しかしその反面、いまだに温暖化を一蹴する説を目にすることも少なくない。「温暖化なんて実は騒ぎ立てるほど深刻なものじゃなく」「実は過去の地球の歴史ではこの程度の温暖化などしょっちゅうあった」「だから無理して不便な生活に戻すこと . . . 本文を読む
前記事に関連して、日韓併合前後の朝鮮半島の様子を捉えたYouTubeの動画があったので紹介する。既に一世紀を遡る当時の実情に関する資料は、当然ながらそれほど多くはない。その中で貴重な写真や文献、公文書などをこうして居ながらにして参照できることは、日本に住む私たちはごく当たり前に思ってしまうけれど、実は世界的に見れば希少なことなのかもしれない。
「朝鮮の本当の歴史」
朝鮮半島は当時、決して豊かと . . . 本文を読む
昔南米を歩いてて、通りすがりの人や出会った人たちに、よく「Chino, chino!(中国人の意)」と呼ばれたものだった。アジアから遠く離れた彼らにとっては東洋人はみな同じに見え、その代名詞が「chino」だったのだ。ところが呼ばれたこちらにとってはあまり面白くない。それに対しては必ず、「No! Soy japones.(いや、オレは日本人だ!)」と応えたものだった。
あれは今からもう20年以 . . . 本文を読む