地球温暖化が世界規模で叫ばれるようになってから随分になる。紙面で「温暖化」の文字を見ない日はないし、折込チラシや市の広報でもエコドライブや家庭の省エネを謳うことが多くなった。しかしその反面、いまだに温暖化を一蹴する説を目にすることも少なくない。「温暖化なんて実は騒ぎ立てるほど深刻なものじゃなく」「実は過去の地球の歴史ではこの程度の温暖化などしょっちゅうあった」「だから無理して不便な生活に戻すことなんてない!」というような論旨がビックリ番組でとりあげられたりもする。
温暖化問題は今や地球の95%以上の科学者が深刻に受け止めている問題である。ただし現代の科学の力ではまだ手の届かないところが多く、全容解明などおそらく100年経っても無理だろう。しかし現実の差し迫った状況を考え合わせると、「証拠がない」などとこのまま手をこまぬいていたのでは後世に取り返しの付かない負の遺産を残してしまう。マスコミとしては仮に荒唐無稽でもでまかせでも、ニュースネタとしてひと目を引くならば価値があるのだろうが、しかしもしそれらの報道によってたくさんの国民が「温暖化は実は大した問題じゃない」と思ってしまったら、きっと来世紀の世界は惨めで殺伐としたものになるだろう。その時責任を取るべき人は、地球上に誰一人存在していないのだ。
ここではそのような無責任な売文的意見のひとつである「縄文時代は今よりもっと暑かった説」に反論してみよう。これは端的に説明すると、「縄文時代に今よりずっと気温が高い時代があった。だけど人も他の生物もみなこのとおりちゃんと子孫を残してきている。だから今この程度の温暖化で大騒ぎすることなどないのだ!」というものだ。
この説は一見もっともらしく聞こえるが、果たしてそのとおりなのだろうか。この説の根拠となるものはなんなのか、まずそれを検証してみたい。
太古の地球大気の状態を知る方法として、南極氷下を掘削して採取される「氷床コア」を用いた計測が行われている。今まで入手できた最も古い氷床コアサンプルは、今からおよそ80万年前の情報を現在に伝えてくれている。つまりその当時の大気成分がそのままの組成で氷の中に閉じ込められているのだ。
「80万年」といっても地球の歴史の上ではほんの一瞬のことでしかない。地球の履歴を一年に例えるいわゆる「地球時計」に当て嵌めてみようか。地球誕生が一月一日、現在がそれから一年後の午前零時ジャストとすると、今から80万年前は大晦日の午後11時頃に該当する。原人ホモ・エレクトゥスが火や石器を使っていた時代である。この短い期間の中で、地球は氷河期と温暖期をそれぞれ9回かその程度経験した。研究によればどの時代でも気温の上昇とCO2濃度の上昇は同調している。つまり気温が上がればCO2濃度は高まり、逆に下がればCO2濃度は低減するのだ。この二つは互いに影響を与えながら長期的な気候の変動に相乗効果をもたらしている。
横軸は年代で、左が80万年前、右が現在。左右の縦軸は、炭酸ガス濃度(CO2)、メタンガス濃度(CH4)、大気の平均温度(T、現在をゼロ度とする相対温度、セ氏)。炭酸ガスやメタンガスの濃度から、平均気温(気候)が明らかになった(旭硝子財団資料より)
これで見ると、過去には何度も、現在(右端が現在である)より気温が高かった時代があったことがわかる。縄文時代に当たる年代については後ほど詳述するので、ここではざっと地球気温とCO2濃度変化のパターンだけを心に留めておいてくれればいい。
この期間中、CO2濃度は常におおよそ160~300ppmの間で推移している。つまり過去最も温暖化した時代でもCO2濃度は300ppmを超えることはなかった。しかし現時点でのCO2濃度をみなさんはご存知だろうか。380ppmである。
これはこの80万年の間に、地球上で一度も起こらなかった現象だった。このように全体の流れの中で捉えれば、この数値が過激さを通り越してむしろ「発狂的」と言ってもいいというのがわかると思う。このCO2濃度の跳ね上がりは、もちろんわれわれ人為に因るものなのだが、これは例えれば100m走でいきなり5秒台の新記録が出現したに等しいかもしれない。もちろん走者はケニア出身のチーターかなにかなのだが、それがオリンピック公式記録として認めざるを得ないというところに現在私たちが置かれた状況の深刻さが存在している。
次に80万年の時間のうち、最新の2万年ほどの期間だけピックアップしてみよう。この期間は先の地球時計でいうと、いよいよ旧い年も残り僅かとなった午後11時58分前後、みながお茶の間で除夜の鐘を聞いている時刻にあたる。われわれ現生人類の直接の先祖であるホモ・サピエンスは集団で狩りをしているが、農耕牧畜を始めるにはまだ間がある。
南極ドームCで掘削された氷床コアを解析して得られた22,000年前から9,000年前にかけての、氷を形成している水分子の水素同位体比(δD、南極の気温の指標となる)、二酸化炭素濃度およびメタン濃度の変遷。(Monnin et al., Science, 291, 112-114, 2001)
(American Association for the Advancement of Scienceより無断転載)
この図上の左上に示される「高温地帯」が縄文期以降現代に連なる直近の温暖期である(前出の図と異なって今度は左端が現在)。これで見ると確かに1万~1万1000年前を中心にして、何度か現在の気温より高温だった時期があったことが伺える。気温の変動幅も今と比べて先鋭化している。これがつまり、「縄文時代は今より暖かだった」根拠なのである。
しかしこの期間の中で一見“急激”にも見えるCO2の増加は、数値で言えば1000年でおよそ20ppmの増加と計測されている。それに対して、現在では“たった10年”で同程度の濃度上昇が観測されているのである。これはなにを意味しているのだろうか。今のCO2濃度変化の速度は、単純に捉えて縄文時代の100倍。こんな現象は過去80万年で一度もなかった。つまり現在の地球温暖化は、縄文期のそれとは全然異なった質と次元で起きているのだ。
CO2濃度で見る限り、現在の気候変動はけっして今の時点のままで収まりそうにない。気温もまたたく間に縄文時代の記録を超えて、史上突出した「最高値」を更新続ける公算が大である(これがもし株の話だったら、きっと誰もが『温暖化株』で儲けることができるだろう。だが悲しいことにこれは「バブル」でないれっきとした現実である)。元々地球気候のサイクルから言えばそろそろ温暖期も終焉を迎えてこれから徐々に寒冷期に・・・というところだったのだが、私たち人類は過去の歴史に挑戦してここで一躍地球気温の「超記録」を作り上げようと一丸となっているのである。日々もうもうと石油を焚きタバコをくゆらし発電タービンを回しながら、快適な暮らし、経済成長、食の楽しみ・所有の楽しみに手を弛めることはない。私たちの『欲』はこれほどまでに、他の資質や能力や志向性を凌駕しているのだ。
そのはざ間に捉えられて私たちの理性や良心は決定的に苦しんでいる。それゆえ事態を適当に過小評価したり無理繰り折衷させた「口当たりのよい」新説が捏造されたりもする。地球温暖化なんて本当は大したことじゃないんだよ的な論が跋扈するのはここに根本的な原因がある。「無理しなくたって、技術開発がすべてを解決してくれるんだよ」と囁かれると、欲に対して自制心を欠いた私たちはすぐにころりとなってしまう。
しかし地球も生命も、ここに至って人間に都合を合わせてくれるほど親切でも迎合的でもない。たかがライフスタイルを再構成すること(原始人の生活をしろ!と言っているのではない)、生活水準を部分的に数十年前のそれに戻すこと(江戸や明治時代のようにしろ!と言っているのではない)に、なにをそんなに抵抗しているのか。こんなことでは次世代ならずとも、今目前にある人生においてさえ大事のひとつも成し遂げられず、私たちはみな世の中に不幸ばかりを撒き散らして死んでいくことになるだろう。
参考にしたサイト:
「Oh!MyLife:80万年で未曾有の高濃度を生きている」
「CGER ココが知りたい温暖化 氷床コアからわかること」
温暖化問題は今や地球の95%以上の科学者が深刻に受け止めている問題である。ただし現代の科学の力ではまだ手の届かないところが多く、全容解明などおそらく100年経っても無理だろう。しかし現実の差し迫った状況を考え合わせると、「証拠がない」などとこのまま手をこまぬいていたのでは後世に取り返しの付かない負の遺産を残してしまう。マスコミとしては仮に荒唐無稽でもでまかせでも、ニュースネタとしてひと目を引くならば価値があるのだろうが、しかしもしそれらの報道によってたくさんの国民が「温暖化は実は大した問題じゃない」と思ってしまったら、きっと来世紀の世界は惨めで殺伐としたものになるだろう。その時責任を取るべき人は、地球上に誰一人存在していないのだ。
ここではそのような無責任な売文的意見のひとつである「縄文時代は今よりもっと暑かった説」に反論してみよう。これは端的に説明すると、「縄文時代に今よりずっと気温が高い時代があった。だけど人も他の生物もみなこのとおりちゃんと子孫を残してきている。だから今この程度の温暖化で大騒ぎすることなどないのだ!」というものだ。
この説は一見もっともらしく聞こえるが、果たしてそのとおりなのだろうか。この説の根拠となるものはなんなのか、まずそれを検証してみたい。
太古の地球大気の状態を知る方法として、南極氷下を掘削して採取される「氷床コア」を用いた計測が行われている。今まで入手できた最も古い氷床コアサンプルは、今からおよそ80万年前の情報を現在に伝えてくれている。つまりその当時の大気成分がそのままの組成で氷の中に閉じ込められているのだ。
「80万年」といっても地球の歴史の上ではほんの一瞬のことでしかない。地球の履歴を一年に例えるいわゆる「地球時計」に当て嵌めてみようか。地球誕生が一月一日、現在がそれから一年後の午前零時ジャストとすると、今から80万年前は大晦日の午後11時頃に該当する。原人ホモ・エレクトゥスが火や石器を使っていた時代である。この短い期間の中で、地球は氷河期と温暖期をそれぞれ9回かその程度経験した。研究によればどの時代でも気温の上昇とCO2濃度の上昇は同調している。つまり気温が上がればCO2濃度は高まり、逆に下がればCO2濃度は低減するのだ。この二つは互いに影響を与えながら長期的な気候の変動に相乗効果をもたらしている。
横軸は年代で、左が80万年前、右が現在。左右の縦軸は、炭酸ガス濃度(CO2)、メタンガス濃度(CH4)、大気の平均温度(T、現在をゼロ度とする相対温度、セ氏)。炭酸ガスやメタンガスの濃度から、平均気温(気候)が明らかになった(旭硝子財団資料より)
これで見ると、過去には何度も、現在(右端が現在である)より気温が高かった時代があったことがわかる。縄文時代に当たる年代については後ほど詳述するので、ここではざっと地球気温とCO2濃度変化のパターンだけを心に留めておいてくれればいい。
この期間中、CO2濃度は常におおよそ160~300ppmの間で推移している。つまり過去最も温暖化した時代でもCO2濃度は300ppmを超えることはなかった。しかし現時点でのCO2濃度をみなさんはご存知だろうか。380ppmである。
これはこの80万年の間に、地球上で一度も起こらなかった現象だった。このように全体の流れの中で捉えれば、この数値が過激さを通り越してむしろ「発狂的」と言ってもいいというのがわかると思う。このCO2濃度の跳ね上がりは、もちろんわれわれ人為に因るものなのだが、これは例えれば100m走でいきなり5秒台の新記録が出現したに等しいかもしれない。もちろん走者はケニア出身のチーターかなにかなのだが、それがオリンピック公式記録として認めざるを得ないというところに現在私たちが置かれた状況の深刻さが存在している。
次に80万年の時間のうち、最新の2万年ほどの期間だけピックアップしてみよう。この期間は先の地球時計でいうと、いよいよ旧い年も残り僅かとなった午後11時58分前後、みながお茶の間で除夜の鐘を聞いている時刻にあたる。われわれ現生人類の直接の先祖であるホモ・サピエンスは集団で狩りをしているが、農耕牧畜を始めるにはまだ間がある。
南極ドームCで掘削された氷床コアを解析して得られた22,000年前から9,000年前にかけての、氷を形成している水分子の水素同位体比(δD、南極の気温の指標となる)、二酸化炭素濃度およびメタン濃度の変遷。(Monnin et al., Science, 291, 112-114, 2001)
(American Association for the Advancement of Scienceより無断転載)
この図上の左上に示される「高温地帯」が縄文期以降現代に連なる直近の温暖期である(前出の図と異なって今度は左端が現在)。これで見ると確かに1万~1万1000年前を中心にして、何度か現在の気温より高温だった時期があったことが伺える。気温の変動幅も今と比べて先鋭化している。これがつまり、「縄文時代は今より暖かだった」根拠なのである。
しかしこの期間の中で一見“急激”にも見えるCO2の増加は、数値で言えば1000年でおよそ20ppmの増加と計測されている。それに対して、現在では“たった10年”で同程度の濃度上昇が観測されているのである。これはなにを意味しているのだろうか。今のCO2濃度変化の速度は、単純に捉えて縄文時代の100倍。こんな現象は過去80万年で一度もなかった。つまり現在の地球温暖化は、縄文期のそれとは全然異なった質と次元で起きているのだ。
CO2濃度で見る限り、現在の気候変動はけっして今の時点のままで収まりそうにない。気温もまたたく間に縄文時代の記録を超えて、史上突出した「最高値」を更新続ける公算が大である(これがもし株の話だったら、きっと誰もが『温暖化株』で儲けることができるだろう。だが悲しいことにこれは「バブル」でないれっきとした現実である)。元々地球気候のサイクルから言えばそろそろ温暖期も終焉を迎えてこれから徐々に寒冷期に・・・というところだったのだが、私たち人類は過去の歴史に挑戦してここで一躍地球気温の「超記録」を作り上げようと一丸となっているのである。日々もうもうと石油を焚きタバコをくゆらし発電タービンを回しながら、快適な暮らし、経済成長、食の楽しみ・所有の楽しみに手を弛めることはない。私たちの『欲』はこれほどまでに、他の資質や能力や志向性を凌駕しているのだ。
そのはざ間に捉えられて私たちの理性や良心は決定的に苦しんでいる。それゆえ事態を適当に過小評価したり無理繰り折衷させた「口当たりのよい」新説が捏造されたりもする。地球温暖化なんて本当は大したことじゃないんだよ的な論が跋扈するのはここに根本的な原因がある。「無理しなくたって、技術開発がすべてを解決してくれるんだよ」と囁かれると、欲に対して自制心を欠いた私たちはすぐにころりとなってしまう。
しかし地球も生命も、ここに至って人間に都合を合わせてくれるほど親切でも迎合的でもない。たかがライフスタイルを再構成すること(原始人の生活をしろ!と言っているのではない)、生活水準を部分的に数十年前のそれに戻すこと(江戸や明治時代のようにしろ!と言っているのではない)に、なにをそんなに抵抗しているのか。こんなことでは次世代ならずとも、今目前にある人生においてさえ大事のひとつも成し遂げられず、私たちはみな世の中に不幸ばかりを撒き散らして死んでいくことになるだろう。
参考にしたサイト:
「Oh!MyLife:80万年で未曾有の高濃度を生きている」
「CGER ココが知りたい温暖化 氷床コアからわかること」
私は高校生で縄文時代の気候について調べています。しかし地球規模で考えられていませんでした。
行き詰まっていましたがまた考え直したいです。
よかったらもう少し縄文時代について教えていただけませんか?
また私は現在を生きるために歴史を学ぶのだと思っています。だからアグリコさんの様々な歴史感の考察をまた待っています。
現在直面している地球温暖化や、気候変動、地球磁場の変化は、数万年単位で繰り返されている地球のサイクルの一環ですし、避け得るものではありませんでした。そして化石燃料の消費や化学物質汚染、自然の破壊などという「人為」は、それらを大幅に加速する効果を生みました。
ポイントは「速度」なのです。これらの変化がもし緩やかだったのなら、生物も人類もそれに適応する余裕を得て、劇的な大量絶滅やカタストロフィは起きないでしょう。しかしここ100年の変化はあまりに急で加速度的だったものだから、結果として全地球的に生物の大量絶滅が起きているし、それが現在もエスカレートし続けています。
でも結論を言えば「心配ではあるが恐れるには当たらない」というのが、今現在の私の見解です。この理由を言葉で説明するには、長い長い文章が必要かもしれません。今の私の視力では正直少し難しいところがあります。でも私だけではなく、世界中の多くの人たちが、この可能性に気づいています。地球温暖化現象も含めて、今の地球規模の環境変化を、今の時点でも地球の、生物界や人類の適応許容範囲内に収めることは可能なのです。鍵は一人一人の「愛」や「良心」「思いやり」に基づいた選択にあります。
私自身は人類の未来を輝かしいものと信じています。どうか希望を持ち続けてください。ヒトが地球を汚してきたのは事実ですが、その同じヒトがこの地球を救おうとしており、その努力は確実に実を結んでいます。私もまた、私自身と次の世代のために、美しい地球を創ろうと日々懸命な努力を重ねています。
このことについて、今まとまった言葉を連ねることができないのが残念ですが、いつかまた書ける状態になったなら、書こうと思います。大丈夫。私たち人類の潜在力、能力、そして他を愛する力を信じてください。私たちは誰も独りではないのです。