このところT&Aさんの教会のある姉妹が入院していて、皆さんでお祈りしているけれども、だんだん悪化しているという事でした。
まだお若くて、赤ちゃんは1歳半。ご主人と3人でこれからという時なのに、病いに罹るとは酷いものです。
私はお会いした事はありませんが、病床においてもクリスチャンとして立派な信仰の歩みをなさっていたという事で、Aさんが見せて下さった写真だと、一体どこが病気なの?と思うほど、笑顔が素敵な方でした。
私が彼女の話を初めて聞いた時、ちょうどデボーションか何かで読んだ伝道者の書の御言葉がふっと心に響いて来ました。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい
。」(伝道者の書3:11)
そして、私としては、神様はこの方を天に召されるつもりだな…と思ったのです。
つまり、私がそう思いたかったからではなく、そういう思いが神様から来た…という感じでした。
現実的には小さな子供がいるのに、これからなのに、ご主人は1人になってしまうのに…と色々な問題があるにもかかわらず、この方に関しては、もう天に行く用意が始まっている…と思ったのでした。
TさんもAさんも、彼女Rさんの具合や様子を身近で見ていて、それに比べて自分達は何て恵まれているのだろう…こんなに多くの恵みを毎日受けて、生かされている事をしみじみ思います…と仰っていました。
神様を信じて最後の時を悔いのないようにと精いっぱい生きているRさんを通して、教会の方々ばかりでなく、病院関係者も多数、神様の証しを聞き、彼女は立派にその使命を果たされたのでした
。
そして、今日、10月3日(月)の午前9時頃に昇天されたと、Aさんから連絡を頂きました。
このところ毎日、思い出す度に「どうぞ癒して下さい…」と祈って来た祈りですが、神様は御心をなされて、私達が願った以上の事を為して下さいました。
Aさんから連絡を受けた時、私はちょうど「生かされて」(母を偲んで)というブログを読んでいましたが、不思議な事にそこにも、伝道者の書の同じ御言葉が書いてあったのでした。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい
。」(伝道者の書3:11)
そして、その日の夜、病院でRさんを囲んで、Tさん達の教会の方々とご主人とお子さん、その他関係者の方々とで記念会が行われました。
私の教会でも癒しの為に祈りますし、中には顕著な癒しを体験なさる方々もおられますが、全員が癒されるという訳ではなく、天に召される方々もいらっしゃいます。
私の周りでも、病気に罹る方々が増えて来ていますが、本当に必要なのは癒しと共に、神様からの平安だと思います。
これで良かったんだ…私は大丈夫。…そう思える救いの確信が、本当の支えになります。
帰りの車中からAさんは沢山の御言葉を送って下さいました。
「私達は本当に平安です!」と。
Rさんは今、主と共に心からの安らぎの中にいらっしゃるのです。
神様の御名をほめ讃えます!
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい
。神はまた、人の心に永遠を与えられた。
しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書3:11)
まだお若くて、赤ちゃんは1歳半。ご主人と3人でこれからという時なのに、病いに罹るとは酷いものです。
私はお会いした事はありませんが、病床においてもクリスチャンとして立派な信仰の歩みをなさっていたという事で、Aさんが見せて下さった写真だと、一体どこが病気なの?と思うほど、笑顔が素敵な方でした。
私が彼女の話を初めて聞いた時、ちょうどデボーションか何かで読んだ伝道者の書の御言葉がふっと心に響いて来ました。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい
。」(伝道者の書3:11)
そして、私としては、神様はこの方を天に召されるつもりだな…と思ったのです。
つまり、私がそう思いたかったからではなく、そういう思いが神様から来た…という感じでした。
現実的には小さな子供がいるのに、これからなのに、ご主人は1人になってしまうのに…と色々な問題があるにもかかわらず、この方に関しては、もう天に行く用意が始まっている…と思ったのでした。
TさんもAさんも、彼女Rさんの具合や様子を身近で見ていて、それに比べて自分達は何て恵まれているのだろう…こんなに多くの恵みを毎日受けて、生かされている事をしみじみ思います…と仰っていました。
神様を信じて最後の時を悔いのないようにと精いっぱい生きているRさんを通して、教会の方々ばかりでなく、病院関係者も多数、神様の証しを聞き、彼女は立派にその使命を果たされたのでした
。
そして、今日、10月3日(月)の午前9時頃に昇天されたと、Aさんから連絡を頂きました。
このところ毎日、思い出す度に「どうぞ癒して下さい…」と祈って来た祈りですが、神様は御心をなされて、私達が願った以上の事を為して下さいました。
Aさんから連絡を受けた時、私はちょうど「生かされて」(母を偲んで)というブログを読んでいましたが、不思議な事にそこにも、伝道者の書の同じ御言葉が書いてあったのでした。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい
。」(伝道者の書3:11)
そして、その日の夜、病院でRさんを囲んで、Tさん達の教会の方々とご主人とお子さん、その他関係者の方々とで記念会が行われました。
私の教会でも癒しの為に祈りますし、中には顕著な癒しを体験なさる方々もおられますが、全員が癒されるという訳ではなく、天に召される方々もいらっしゃいます。
私の周りでも、病気に罹る方々が増えて来ていますが、本当に必要なのは癒しと共に、神様からの平安だと思います。
これで良かったんだ…私は大丈夫。…そう思える救いの確信が、本当の支えになります。
帰りの車中からAさんは沢山の御言葉を送って下さいました。
「私達は本当に平安です!」と。
Rさんは今、主と共に心からの安らぎの中にいらっしゃるのです。
神様の御名をほめ讃えます!
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい
。神はまた、人の心に永遠を与えられた。
しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書3:11)
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