上杉隆氏が代表を務める自由報道協会が事務局を解散した。もはや実際の公益法人の体をなしていない。それでも協会のホームページに「寄付のお願い」の大文字が躍っている。こんなペーパーカンパニーに一体どれだけの人が寄付を申し出るだろうか。
思えば上杉隆氏の報道人生も、ペーパーカンパニーともいうべき虚業の色濃いものだった。まずスタートからしてNHK社員見習いという危うい立ち位置だった。ウィキベディアによれば、大学側のミスで単位が取れず、NHKに内定を得たものの卒業資格がないため、研修生扱いで2年1ヶ月勤務したという。「黒い池上彰」と後に自称(自嘲?)するところにも、彼の虚業報道家としての複雑な心理が垣間見える。
その後、「アルカイダに友人がいると称する知人」をもつ鳩山邦夫代議士の秘書を務めた後、ニューヨークタイムズ日本支局のインターンとして勤務する傍らフリーの執筆も手がける。ただ、このインターンの仕事が「リサーチアシスタント」らしいが、これはなんぞや。秘書時代の親父がアルカイダの?これまたよくわからない。
2002年、晴れて?フリージャーナリストとして独立。独特のボソボソした皮肉まじりでドライな物言いが根強い支持者を獲得した反面、その取材方法には問題が多く、与党の政治家中心に抗議を度々受けている。
その後自由報道協会設立。「報道の自由と言論空間の健全性を求める」高い理念のもと、当初はダライラマや一色正晴氏といった、異色でタイムリーな人物に講演させたりして、注目を集めた。しかし彼が心酔する小沢一郎氏の持論を一方的に独演させるなど批判も多かった。
そして、震災と原発事故。東電、政府、役人批判が当初猛威を振っていた最中、大手メディアの追求はなまぬるいと反原発の急先鋒に立った。一時は我が世の春を迎えたかに見えた。しかし、彼の報道姿勢はこれまで同様不確かなものが多く、デマ・捏造が続きその信頼性を失っていく。
*INESがレベル7になると半径600kmも人が住めなくなる、東京だけでなく大阪も住めなくなる
*このペースで行くと自殺者が5万人を超える。放射能事故を起こすと自殺者が増えるのに政府やマスコミは無視している
*郡山市役所の空間線量が1.8マイクロシーベルトを超えるのに公式発表で数値が低いのは計測前に水洗いをしているから。福島では人が住めない。…
といった根拠のない暴言の数々、これらが国民の放射能不安を煽り、多くの福島県民を苦しめた。これには報道仲間の江川紹子さんの痛烈な批判を受けたばかりか、自由報道協会の設立仲間からも不信を招いた。決定打は、読売の記事の盗作疑惑だ。
これを指摘した池田信夫氏を相手に逆に名誉毀損で訴訟を起こす。しかし口頭弁論に原告としては上杉氏本人が出席せず「老弁護士1人」だけで被告の池田氏側が6人の大弁護士団だったのとは対照的だった。池田氏が「こんなやる気のない原告ははじめてみた」と酷評していた。上杉氏は最初から裁判などやる気がなかったのである。彼には「東京脱力メールマガジン」という名のメール配信があるが、裁判はこの脱力を地でいったものだ。
攻めは強くても守りは苦手という人は多い。小生もその傾向があるかもしれない。(汗)上杉氏もその典型ではないか。自分が報道した相手から反撃を受けると、途端に馬脚を現す。反撃もしないまま、逃げを決めこむ。そして相手側の騒ぎが収まるのを待つ。
結局、彼の報道としての内実は虚業に満ちているといえる。あのジャーナリスト休業宣言もよくわからない。ただ単に、大手メディアの出演を取り止めただけなのか。実際は、もはや相手から拒否されただけだと思うが。これを「休業」と称する所に、彼の「逃げ」が見られる。
そして今回の「事務局解散」しかし依然自由報道協会はそのまま残り、寄付も募っている。これまた虚業家の一面が垣間見える。ただ少ないが未だ彼に心酔している人間がいる。フリーのラジオアナなどその典型だろう。しかし、今や多くの仲間が離れていく中、もはや八方ふさがりでほぼ四面楚歌の状態だ。
原発事故でデマや煽りを続けた新聞や週刊誌は、いつの間にか担当者が交代し、これまでの騒ぎが嘘のような静けさだ。大手新聞や大出版社の援護もあって彼らの言論もその責めを受けることは少ない。しかし、上杉氏個人はこの後も、「デマ、捏造」のレッテルがつきまとう。いわば、虚業廃棄物といえるものだ。しかし、放射性廃棄物は地中に埋めることはできても、これは生涯廃棄できない。どこかのアイドルのように頭を丸刈りにするほどの潔さが欲しかった?
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