あの長く長く感じた大揺れとテレビから流れる大津波警報。あの日あの時から2年。2万人を超える犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げます
国際センタ―に繋がる地下鉄東西線の広瀬川橋梁工事はほぼ完工しています。
国際センターで仙台市の追悼式が挙行されました。神戸市長、新潟市長にも参列いただきました。仙台市内では984名の命が奪われ今も30名は行方不明のままです。
津波被災地区の集団移転事業、宅地崩落地区の宅地復旧事業、そして復興公営住宅3000戸の建設、県道塩釜亘理線の道路6Mかさ上げ工事等、これらを出来る限り早く進めていくことが仙台市では最優先の復旧復興事業です。けれども昨日訪問した志津川の状況がそうであるように他の自治体の遅々とした状況は険しく今日を迎えています。
現在避難中の被災者への意向調査では、復旧後に元の土地に戻りたいと答えた数は半分とのこと。海岸線に防潮堤を建設し地区のインフラを再整備しても人が戻らなければ町は再生できません。月日の経過とともに被災地の過疎化が加速し町の機能が回復できなくなるのではと憂いています。
テレビでは2周年の番組が集中していて、また涙を誘った夜。全国の人々はそれらのテレビをどう見て、2年の時の経過と今日を視たのだろうか。首都圏・東南海巨大地震の発生予測も伝えられる中、私達は東日本大震災の被災体験を教訓として生き方・暮らし方を考え直すとともに(普通の日常の有り難さを痛感した体験を風化させてはいけない)、災害の被害を可能なかぎり減らすための知恵と工夫と訓練、そして絆をあらためて確認しなければならないのだと思います。 市役所前の市民広場では仙台JCが主催した追悼キャンドルナイト。4000個の紙コップにロウソクの火を灯し「かがやけ仙台」と。 合掌