講師:東北大学教授・平川新氏(仙台史誌編さん専門委員会委員長・災害科学国際研究所長)
支倉常長の実父は不始末切腹により常長も連座で処分されている。にもかかわらず何故、遣欧使節として抜擢されたか?諸説あり。
案内役の宣教師ソテロ。メキシコからの大使ビスカイノ。南蛮人40人、幕府船奉行 向井将監の家来10人、商人ら総勢180名。
商人は洗礼を受けて、フィリピンやマカオとの交易を試みた。海外交易の条件として洗礼を受ける。#遣欧使節以前に仙台藩の船がマニラに入った記録あり。
スペイン、ローマでは、大歓迎を受けるが肝心の交易については国王からの返礼ないまま、遅々として進まず。
メキシコ、フィリピンの利益を遣欧使節に侵食されたくない思惑あり。
1620年サンファン号もマニラで売り払って、長崎に帰国。
ソテロの提案によるスペイン国王、ローマ教皇への謁見。仙台から欧州への太平洋航路の開発を目指した。
スペイン・ポルトガル2国による世界征服戦略の手段としてのキリスト教布教遠征派遣 。布教の次には植民地化する目的あり。
家康は禁教から容教に転換。1609年~ しかし1612年に事件を契機にキリスト教取締りを強化した。
しかし禁令が出た翌年に遣欧を容認したのは、伊達領内のみの布教を約束したからか。禁教令は全国令でなかった故。
使節船には、幕府の役人も乗船させている。
当時の力関係から家康からの政宗への配慮。政宗の離反を怖れた。また、メキシコからの交易を仙台の手前の江戸に引っ張る思惑あった。キリスト教布教は伊達領のみとして、貿易の実は江戸に引き寄せる。
しかし、インディアス顧問会議に、日本国内のキリスト教弾圧が伝わり、メキシコからの年一回の定期派遣を削除。
政宗とスペインとの軍事同盟説。しかし、使節船に幕府の役人を乗せていた解釈。
ソテロがメキシコでもローマでも、政宗は次の*皇帝*になると吹聴したが、世界制覇を目論むスペインは*国王*であることのスペイン側の違和感あり。国王からの貿易許可の返信が無いことへの焦りによるソテロの吹聴。政宗将軍待望は遣欧使節団の願望でもあったが。
スペイン側の条件は、キリスト教布教を伊達領に限らずでなく日本国内での布教を認めるならば。家康の商教分離外交ではスペインは貿易を許可せず。 政宗は領内で商教一致外交を目指し使節派遣をしたのだが。
政宗は、メキシコ貿易を待望して常長の帰国を待っていたが、常長から交渉不成立を聞くや、即日、領内を禁教にした。
その後、鎖国にはいる。海外勢力に徹底して拒否できた徳川幕府の強権力なればこその鎖国であった。世界征服を目論むスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスに対して、250年もの間、鎖国を維持し続けた黄金の国ジバング徳川幕府の力は列強国の驚異であった。
平川教授の講話は、分かりやすく400年前の歴史へのロマンをかき立てるものでした。ありがとうございました。遣欧使節の足跡を辿る今月下旬の訪欧に胸は高まります。