新装なった京都競馬場は「庶民」には居づらくなった気がする。どういうことかと言えば、観覧席が有料ばかりになって自由に観られる一般席はゴール前から、ほど遠い場所に追いやられてしまった感がある。
それはそうだろう。いい席で観たければ対価を払うべきだろう。そうなのか。凱旋門賞を観戦に行った人からは何度か聞いたことがある。フランスの競馬場は一般席はゴール近くないと。どうも日本の競馬場もそれに倣って来たようだ。
それのどこに違和感を覚えるのか。例えば指定席でない一般席で観戦するとゴールにはほど遠いので、肝心のゴール前の攻防をターフビジョンで観ることになる。そうだよ。それのどこが違和感何だ。立派な大きなターフビジョンだろう。
ライブだよ。競馬はライブに限るね。ライブかあ? 競馬場に行ってまでモニター越しで観るなら自宅でTV観戦したほうがましじゃないか。
日本の競馬は確かにイギリスや欧米に範をとって施行されてきた。でも一つだけ日本独自に発達したものがある。馬券だ。ブックメーカーなどでなく日本中央競馬会だけで売る方式だ。もちろん欧米にもブックメーカーだけでなく競馬場でも買えるだろう。
しかし、日本の競馬の馬券の売り上げは欧米に負けないというより遥かに多く売り上げてきた。もちろん競馬会の馬券を売るためのキャンペーンや施策の賜物でもある。あるが「庶民」が買わなくてはそれも達成できなかったのも事実だろう。
「庶民」が馬券を買ってくれた。そのおかげで競馬の賞金が世界でも高額になり、賞金を手に入れた馬主や生産者が種牡馬や繁殖牝馬や優れた競走馬を外国から購買し、競走馬のレベルがアップしてきた。
また、日本の高額賞金を目当てに優秀な外国人騎手が短期免許で来日し、騎乗するということが当たり前になり日本人ジョッキーの刺激にもなり、騎乗技術が向上した。ルメールとデムーロがJRA所属のジョッキーになったりした。
それもこれも「庶民」の馬券の売り上げだと言ってしまうのも大人気ないが、間違ってはないはずだ。
そこで競馬場の観覧席を欧米化するのは、JRAの勝手なのでいまさら文句を言う筋合いはない。ただ、争って席を獲得していた昔が懐かしいだけだ。日本独自で発展してきた競馬には「庶民」の「一家揃って楽しい中央競馬」のキャッチコピーをJRAには忘れないでほしい。
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