AJCCをノースブリッジが勝ったというのは、ボクにはいろんな意味で大袈裟に言えば「事件」が起きた。そう思った。何がどう「事件」なのか。
既にマスコミ等で報道されているように、ノースブリッジは2020年12月の葉牡丹賞を勝ってから一度も放牧に出されないで自厩舎で調整されて、重賞を2つ勝った。そのことがなぜ特別なことなのかは次のノースブリッジを管理する奥村調教師のレース後のコメントではっきり分かってくる。
「馬のオフの時期にいろいろなことを教育出来るし、本来はこうあるべき。調教師なんだから、自分の手元に置いてちゃんと調教するのが仕事」とコメントしている。
このコメントの意味するものは、大きくて深い。現状トレセンで預かっている馬は、1戦ごとにレースが終わると外厩と呼ばれる民間のトレーニング牧場に放牧されて、レース後のストレスを解消するなどケアを施し、次のレースに向かってのメニューをこなしたりする馬が多い。この流れはノーザン系(社台、サンデーレーシング、シルクやキャロット等も含む)では、主流になっている。もちろんそれ以外の例えばコントレイルのノースヒルやマイネルのビッグレッドファームも例外ではない。ボクはそのことには疎いので間違った名称や事実誤認があるかもしれないので、ご容赦いただきたい。今回の事象の裏の大きな流れについての見解を述べているので、ボクの言わんとするところを斟酌していただければ幸いです。
奥村調教師の「仕事」という言及の意味するところは、では奥村調教師以外の外厩に出して仕上げている調教師は「仕事」をしていないのかと言葉尻を捉えて反論するのは、やめていただきたい。奥村調教師は他の調教師が「仕事」をしていないとは言っていない。ましてや非難しているわけではないと読める。
ボクなりの見解はこうです。ボクは競馬サークルから見て門外漢の競馬好きな一ファンに過ぎないので、ある意味好きなことが言える。無責任ということではありません。
ボクは現状のトレセンの調教師の立場をよしとしてない。はっきり言えば「仕事」をしていないと言い切ってもいい。ただ、そのことは調教師が間違っているとか競馬サークルの体制に欠陥があるとかではないです。
では、翻って「調教師の仕事」とは何か。別に明確に定義されているものでないので、どこからどこまでが「調教師の仕事」なのか。ただ、端的に言って馬を調教してレースに送り出すのが「調教師の仕事」でしょう。
では、その「調教師の仕事」を現場の調教師たちがやらないのか。やれないのかを考えてみました。
ちょっと長くなったのでその2へ