ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

速水御舟―日本画への挑戦

2009-11-07 01:29:57 | Art
 6日、AM:9:00~PM:5:00まで、我が高層住宅全体の給水管の工事となり、その間は断水という悪夢のような時間から逃げるため、美術展へ・・・・・・と言ったら失礼ですね(^^)。つまり「速水御舟」を観に行こうという予定をこの日に当てることにしたのです。千鳥ヶ淵から広尾に移転した「山種美術館」の柿落し(?)の美術展は「速水御舟」の138点の展示でした。絵画、屏風、掛け軸、未完のスケッチなどなど。



「炎舞」(1925年(大正14年)、山種美術館蔵、重要文化財)
軽井沢に滞在中、代表作の1つであるこの「炎舞」を完成させる。この絵のヒントとなったものはひどく単純なもので、庭で炊いていた焚火に蛾が集まってきたことによる。もう1つの特徴は、蛾がすべて背中(?)を見せていること。


「名樹散椿」(1929年(昭和4年)、山種美術館蔵、重要文化財)
京都市北区にある地蔵院の椿の老木を描いた作品。日本画にキュビズム的要素を取り入れた。




 速水 御舟「1894年(明治27年)~1935年(昭和10年)」は大正期~昭和初期の日本画家。東京浅草に生まれる。従来の日本画にはなかった徹底した写実、細密描写を目指す。これはいつの時代にもあること。
 「御舟」の号の由来は俵屋宗達の「源氏物語澪標関屋図屏風」の屏風に描かれた金銀の波上に浮かぶ「御舟=貴人の乗る舟」からとったもの。また、速い水に舟を御すという意味もあるようです。

  



 1930年(昭和5年)にはイタリア政府主催のローマ日本美術展覧会の美術使節として横山大観夫妻、大智勝観らと共に渡欧。ヨーロッパ各地及びエジプトを巡る。渡欧中、ジョットやエル・グレコに会う。このエジプト人を描いた絵に「埃及土人」と題したことには、いささかたじろぐが。。。

 帰国後も日本画の新しい表現方法を模索し続け、多くの美術家から日本画の将来の担い手として嘱望されたが1935年(昭和10年)腸チフスで急逝。未完の絵画は「婦女群像」だった。数人の女性たちの着物にはまだ模様が描かれていなかったのでした。かつて「京の舞妓・1920年(大正9年)」発表時はその細密すぎる描写が話題となり賛否両論を招き、横山大観からは酷評された。つまり「美人画」ではなかったからです。御舟はこの作品以降、人物画をずっと描かなかった。



 また、関東大震災では多くの美術品が犠牲になったが、御舟の作品も例外ではない。横山大観らに激賞された、初期の傑作の多くが地震によって遺失した。その上、御舟は早世でもあった。惜しまれた画家であった。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
是非、お出掛けくださいませ。 (Aki)
2009-11-07 20:59:14
根津美術館も改築されたようですね。
明日までですか・・・またまた断水にしたいなぁ。

山種美術館は29日までやっています。
水道管の破裂を祈りませう(^^)。
返信する
うらやましいです。 (ban)
2009-11-07 20:15:26
我が家もなにか水道管でも破裂してほしいと思いました。

根津美術館も改築?はじめての特別展覧会、明日まで、やっています。行くかもしれません、元気があったら。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。