敗戦直後の哈爾浜において、外務大臣「重光葵」のお達しはこう書かれていた。(怒!)
『哈爾浜地区の事情がまったくわからないので、引揚交渉を行うにも方法がない。さらに日本内地は米軍の空襲によって壊滅状態にあり、
加えて、本年度の米作は六十年来の大凶作。
その上、海外からの引揚者数は満洲を除いても七百万人にのぼる見込みで、日本政府には、あなた方を受け入れる能力がない。
日本政府としては、あなた方が、哈爾浜地区でよろしく自活されることを望む。』
その頃 父は哈爾浜の家族のもとへ
部隊を離れて
二ヵ月かけて命懸けで帰宅した
冬になれば酷寒の地となる哈爾浜から
暖かい新京へ即刻一家で移動した
知り合いの中国人に雇われて
父はすぐに働きはじめる
日本人の手による電気製品
日本人の科学知識は大いに役立った
満鉄が日本人がいなくなったら
動かせない、ということと同じことだ
そこで父は引揚の時期をじっと待つことにした
無駄な動きはしない
その頃動き出した三人の男たちがいた
丸山邦雄 新甫八朗 武蔵正道
彼等は命がけで日本に渡り
満州からの引揚を実現した
日本政府ではなく GHQによって。
我が家族が帰国できるまでの道筋を作って下さった人たちがいたのだ。
その情報を正しく入手して、判断を誤らなかった父のことも思う。