ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

夜の歌 なかにし礼

2017-06-04 22:32:47 | Book


なかにし礼(1938年・黒竜江省牡丹江生れ)の小説を読むのは初めてです。以前、テレビドラマの「赤い月」を観ました時に、「あぁ、この方も満洲からの引揚者だったのね。」と思い、「お父上はあの時代に満洲国を目指した実業家の1人だったのね。」と思った記憶はありました。

その彼の少年期の引揚者体験を読むつもりでこの本を開きました。藤原ていの「流れる雲は生きている」を読む動機と同質でした。しかしちょっと違っていた。「癌の克服」ののちに書かれた彼の小説には「ゴースト」が登場するのでした。それによって過去と現在が入り乱れ、さらに地獄とこの世を往来して、彼の満洲国における少年期と現在は交錯します。体験記を読むこととは違う側面がありました。作詞家としての彼には興味がないのだけれど、あの敗戦体験はなかにし一家のそれぞれに大きな影を落としているようです。

さらに小説全体に気になるのは、詩人、作家、哲学者などの有名な一節を多量に引用することでした。

主人公一家(…と言っても父親の行方がわからず。)は、敗戦後に軍用列車で牡丹江から哈爾浜へ移動。そこでしばらく暮らすが、やっと会えた父親は、自分の意志でソ連兵に連れていかれる。そしてかえってきた父は間もなく死んでしまう。戦争が終わったにも関わらず。

敗戦直後の哈爾浜において、外務大臣「重光葵」のお達しはこう書かれていた!

『哈爾浜地区の事情がまったくわからないので、引揚交渉を行うにも方法がない。さらに日本内地は米軍の空襲によって壊滅状態にあり、加えて、本年度の米作は六十年来の大凶作。その上、海外からの引揚者数は満洲を除いても七百万人にのぼる見込みで、日本政府には、あなた方を受け入れる能力がない。日本政府としては、あなた方が、哈爾浜地区でよろしく自活されることを望む。』

怒りがこみ上げる。

私達一家は哈爾浜において、暮らしていました。赤ん坊だった私は、敗戦後の暮しも引揚体験も記憶にないのですが、父母の手記によれば、敗戦後間もなく哈爾浜から気候のよい新京へ移動しています。新京において引揚げまでの日々を過ごしたとのことです。なかにし一家のように哈爾浜で引揚の知らせを受け取った方々もたくさんいらしたのですね。

戦争は、大いに非人間的な生き方を強いられます。その体験は生涯心を病み、体を蝕みます。二度と戦争はしないでください。その思いを込めて、たくさんの手記や小説や詩歌、評論などが書かれています。それらを忘れないでください。

 (2016年 毎日新聞出版 発行)