ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

漱石俳句探偵帖  半藤一利

2016-02-12 22:13:08 | Book




これは漱石の俳句に関する随筆集です。雑誌『俳句研究』に連載されたもので、31編のエッセイからなる。漱石の残した俳句2500句余から、彼の姿と創作の秘密を見せて下さっています。まず、私が最初に立ち止まった一文は、漱石が芭蕉の「古池や」の俳句に対する、様々な解釈に対して、物申している部分でした。引用します。

『……文学を味わうに当り、なんらかの講釈を附せざればとうてい理解しがたき記号を濫用し、評家また富籤的了見をもって、これに理屈を求め、その真意ここにありなどと吹聴するは笑うべし。(中略)感興の比較的乗りがたき哲理学説をその裏面に伏在せしめて、文学の深遠なる処ここにありとなすは、文学の本領を棄てて理知の奴隷たるを冀(ねが)うものの言のみ。文学者は哲学を詩化することを防げず、詩を哲学化するにいたっては、戈(ほこ)を逆まにしてわが主を撃つが如し』

訳わかんない詩に苦しんでいる私には、救済の言葉でした。

半藤一利にとって、夏目漱石は義祖父にあたる。岳父は松岡譲。その身近さが半藤氏の筆を自由にしている感がある。それとも漱石さんの人徳(?)かしらん。半藤氏が、漱石俳句2500句余のなかから「最高の作を1つ挙げよ。」と難題を押し付けられたら、この句を選ぶそうです。


  秋風や屠(ほふ)られに行く牛の尻


最晩年の未完の大作「明暗」に書かれているように、漱石さんは「大痔主」だったようです。「朝後架(=ごか、こうか=厠と洗面所)にてひよ鳥の声を聞く。医者に行く。『今日は尻が当たり前になりました。漸く人間並のお尻になりました。』と云われる。」そして帰りの「車上にて“痔を切って入院の時”の句を作る」それが上記の句だとのこと。はぁ~~。それにしても、漱石せんせいのお下のお話は多うございますね。かろうじてこれらのお話を面白いと思えるのは、漱石の奥にある深い教養の賜物でしょう。

さらに漱石は1907年に総理大臣西園寺公望が有名文人を集めた懇話会の招待を受けた時に


  時鳥厠半ばに出かねたり


……という句を添えて招待を断ったそうです。その後も7回にわたって開かれた西園寺の懇話会の招待を断っているとのこと。あっぱれ。

おしものお話ばかりが先走りましたが、「立ち小便」やら「野糞」やら「馬の尿」とか「放屁」とかの話題が多うございました。

さて、話題を変えて、友・正岡子規が病んで、漱石の松山の下宿「愚陀仏庵」にて、しばらく共に暮らした時期があって、別れる時に漱石が送った句です。


  お立ちやるかお立ちやれ新酒菊の花


下戸の漱石が詠んだ句であるので、探偵さんは推理しました。それは中国の故事「菊花の酒」が隠されているのではないか?重陽の節句には、菊を酒杯に浮かべて、高い処で飲むと長生きができるという。病を抱える子規への友情と思える。

それにしても、漱石さんはいまさらながら面白いお方です。半藤さんが漱石について何冊かのご本を書かれた気持もよ~くわかりました。漱石と同じ時代に生まれたかったわ。



(平成11年 1999年 角川書店刊 角川選書)