まずは日本語の横書きに悩まされる。
さらに「、」が「,」になっているし、「。」が「.」になっている。
さらにまた「漢字」で書けば読みやすいであろうと思われる部分が
「ひらがな」になっているので、時々読み直しをしている。
作家の年齢(1937年生まれ)を知らなければ、若い娘の舌足らずの言葉遊びだと思うかもしれない。
こんな苦労しても読むのは、それなりの作家の意図があるのだろうと思いつつ……。読んでいる。
(中間報告)
読了。結局最後まで苦しんだ(笑)。
最初の「a」と「b」とは、どちらの小学校に行くのか?という選択であったが、
引っ越しのために、どちらも選択しないままに新しい奇妙な住居に移る。
母親不在となった、少女期から大人までの娘の生きた軌跡を描きながら、
そこに介在する父親と家事がかりとの、希薄で濃密な人間関係が描き出される。
「家事がかり」はいつの間にか「妻」のような存在となる。
その「受像者」として、その主人公が存在していた。
しかし、それなりの年齢になれば家を出る娘。
そこは「さんご」のような家であるらしい。書棚が間仕切りになったような家である。
この物語のなかでは、時間の進み方が遅かったり、逆戻りしながら進む。
最後の「a」と「b」とは、「巻き貝のなかからにじりでた者=父親か?」と幼かった主人公との散歩の
コース選択になるのだが、「a」と「b」とのどちらも選べないほどに、日々はかぐわしいのだった。
「さんご」はおそらく「珊瑚」だろう。
ここには、従来の「家」とか「家族」というものは存在しない。
貧しい暮らしなのか?豊かな暮らしだったのか?という問いに応答することはない。
あくまでも、この家の受像者としての主人公(=書き手)の視線が注がれているようだった。
芥川賞の選考委員の方々は、「読みにくい」とは思わないわなかったのよね?
わたしだけが苦しんだのよね?
(2013年・文藝春秋刊)