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ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

詩の樹の下で  長田弘

2012-02-07 21:30:31 | Poem
実は自分が詩の書き手でありながら、詩集の感想文(あえて批評とは言わない。)が苦手です。
冷汗が出ます。しかし今回は書いてみます。長田弘氏は「樹」と「木」を使い分けています。念の為。

ここに収録された作品は、2006年~2011年11月までに、雑誌掲載、
2011年3月以降の作品は主に新聞掲載、テレビ朗読などで公表されたものとなります。
多感な少年期を福島で過ごした長田氏を育んだものは「木」であったようです。
そして、2011年3月11日と前後して、長田氏は東京で命の瀬戸際を彷徨う病の床におられ、
そこから無事生還なさったという。その意識の放浪のなかで長田氏は記憶の「木」に出会っているようです。

この詩集の目次は、3部に分かれているわけではないのですが、
読み手のわたくしには、3部と考えられます。
1部は「記憶の木」、2部は「樹の絵」、3部は「人はじぶんの名を」に代表されるように東日本大震災及び原発事故に関する作品でした。

「人はじぶんの名を」の最終部分を。。。

 人はみずからその名を生きる存在なのである。じぶん
の名を取りもどすことができないかぎり、人は死ぬこと
ができないのだ。大津波が奪い去った海辺の町々の、行
方不明の人たちの数を刻む、毎朝の新聞の数字は、ただ
黙って、そう語りつづけるだろう。昨日は一万一〇一九
人。今日は一万八〇八人。

              (2011年5月3日に記す)



この↓「大きな影の樹」は「人はじぶんの名を」の前に置かれています。

 来て見てごらんよ。ここからは、歴史の木に吊るされ
た人びとの影が揺れながら消えていった、何もない向こ
う側が、とてもよく見える。



次は「樹の絵」と名付けた作品の1編です。

  

「モディリアーニの木」の最終部分から。。。

 モディリアーニの木の絵は、木がなにより自然のつく
った傑作であることを。あらためて想起させる。
 モディリアーニの完璧な肖像画が、自然のつくった失
敗作は人であることを、いつでも想起させるように。




最後になりましたが、「切り株の木」から。。。

 舗道のそばに、一本、大きな切り株だけがのこる木が
ある。椅子くらいの高さの切り株のまわりを、切り株の
木がずっと生きてきた時間が囲んでいる。日々の魂を浄
めるような時間が、そこにはのこっている。


  *    *    *

実は長田弘氏の詩集は何冊かは読んでいますが、苦手でした。
難解ではないのですが、ふっとかすかに「言葉の道徳教育」を受けているような気がするのでした。
(ごめんなさ~い。)
追憶の樹、画家たちの描いた樹(これは絵画の知識がないと…。)そしてこの詩集編纂以前に遭遇した病と津波と地震。
これらの3方向から書かれた「樹」と「木」は人間のささやかな幸福とは比べようもない永い時間を生きるのだと。
ここに人間はあらゆる思いを託すことができるのだろう、と思いました。

(2011年12月2日・みすず書房刊)