ジュール・シュペルヴィエル(1884~1960年)との出会いはフランス詩人としての詩「動作・(詩集「引力」1925年)」と
「灰色の支那の牛が・(詩集「無実の囚人)1930年」から始まった。
そして、短編集「海に住む少女・他9編」を開くことになった。
詩と短編小説のシュペルヴィエル独自の生と死の感覚、時間感覚、信仰への感覚は、いつも変らないように思う。
それがジュール・シュペルヴィエルの心の底にいつでもたゆたっているようだ。
ウルグアイ生まれ、ご両親は幼い頃に同時に急死。祖母に育てられ、後に父の兄夫婦に育てられ、フランスに移住。
決して不幸ではないが、彼の心のなかでは「死」は重い。さらにウルグアイとフランスとの心の往復は引き裂かれるものだったのだろう。
「海に住む少女」と「セーヌ河の名なし娘」はどこかで繋がっているように思える。
さらに、この時期(東日本大震災&津波&深刻な原発被害と西日本の大洪水)をニュースで目の当たりにしていると、
この短編小説の現実ではありえない物語が、残酷なようでありながら、どこかで「救いがある。」と言ったら、
被災者の方から顰蹙をかうかもしれない。しかし、あえて書きます。
それは「同情」ではない考え方で、この日本の惨状にささやかな「言葉」として書ければいいと思うから。
「死者」「行方不明者」という区別は、いつか大方は「死者」に吸収されていくのでしょう。
(残酷な言い方をお許しください。)
「海に住む少女」と「セーヌ河の名なし娘」は共に溺死した女の子です。
その事実を受け入れる生者と死者と双方の心の過程がこの2つの物語には流れています。
「海に住む少女」は、生前と同じ風景(家、街など。)が海のなかにあって、そこでたった1人で暮らしています。
規則正しい生活が空しく、淋しく続くだけです。
同情した波(これも規則正しい動きの繰り返しだが、)は、少女を高い波で押し上げますが、また落ちてしまいます。
以下、引用。
少女は、ある日、4本マストの船アルディ号の船員、スティーンヴォルト出身のシャルル・リエヴァンの思いから生まれました。
12歳の娘を失った船乗りは、航海中のある晩、北緯55度、西経35度の位置で、
死んだ娘のことを、それはそれは強い力で思いました。それが、少女の不運となったのです。
「セーヌ河の名なし娘」も溺死した少女です。
セーヌ河から海まで流されてゆき、海底には、溺死した人たちが、人魚(びしょぬれ男という男性もいますが。)のように、
水中で暮らしていたのです。その世界に留まるために、足に重りをつけられてしまいます。
その世界のわずらわしさは、地上よりも辛いものでした。裸で生きるのですから。
ついに足の重りを切って、少女は水面に浮かびます。
「これでようやくほんとうに死ねるわ。」溺死体の少女の唇に微笑みが浮かぶ……。
* * *
ここでは、2編だけを取り上げましたが、「キリスト誕生」にまつわる「飼葉桶を囲む牛とロバ」については
また後ほど書きたいと思います。(←約束不履行かも……。)
(2009年第2刷・光文社古典新訳文庫)