物語:国王、国に帰らず その2
トトンはギャツァの南方での動向を耳にすると、トビに乗って飛んで行った。
果たして兵馬が整然と並びさながら田のようだった。
「甥よ、リンは三年もの間主がいない。首席大臣は何もしようとしない。やはりお前が表に立って王に代わって政をすべきだ」
ギャツはすぐさま遮り、
「叔父上、もし私を苦しめたくないなら、誰にもその話をしないでください」
「お前が兵器を作り兵馬を訓練していることについては、とっくにあれこれと取り沙汰されているぞ」
「私がしていることは、リンが本当に強くなるのを望む一心からなのです」
こう言った憶測からなるうわさはギャツァの耳にも入っていた。
「国王が戻られたら、私は軍を動かすことのできる割符を返し、母について漢の地へ行き、母の望郷の想いを慰めるつもりです」
そう言うとすぐに信書をしたため、同じ想いを首席大臣にも伝えることにした。
使者に信書を届けさせたが、心の中はやはり不安を拭えず二人の伴の者を連れて、自ら会いに行った。
首席大臣は言った。
「これはむろん良いことだ。だが王が戻られるのを待つべきだろう」
「もしその時、外敵が侵入して来たら」
「賢い甥よ、我々の王は天の命を受け、強い神の力を持っておられる。そのように軽はずみに、自ら滅ぼされに来るものなどいるだろうか。また、王は深い知恵を持ち、全てを知っておられる。辺境に火の手が上がるようなことを許すはずはない」
首席大臣は話題を変えた。
「お前は鉄を溶かして砦の壁を作っていると聞いたが、それは本当なのか」
「辺境の砦は強固でなくてはなりません」
「臣下の居場所が王宮を超えてよいのか。つきつめて行けば、それは本分をわきまえない罪となる」
「叔父上、あなたはこれまでの老総督のようではありません」
「賢い甥よ、誰もが国となるのを望んだのだ。これが国なのだ、ワシも思うようにならず辛いのだ。お前は暫く辺境に帰らず王宮で務めを果たし、ワシを安心させてくれ」
ギャツァはもはや辺境に戻ることはなく、心の中は憂鬱で塞がれていた。
ジュクモはその様子を見て却って喜んだ。
クルカル王から妻に望まれていることは口にしようもなく、ただこう言った。
「近頃、夜ごとに悪い夢を見るのです。リンに何か事が起こるのではと心配です。あなたが王宮を守っていてくれれば、心安らかでいられます」
この時、クルカル王はリンの国境に大軍を配備し、使者を送ってジュクモへの求婚を顕かにした。
ジュクモはついにこの時が訪れたかと、涙をこらえることが出来なかった。
ギャツァは、自ら魔国へ行って国王の帰国を促すことを願い出たが、誰も同意しなかった。
一つには、ギャツァには神の力がなく、遥かな地へ行くのにどれほどの時を費やすか分からなかったため、二つには、この時国には強者がおらず、戦いに臨んで彼のような優れた大将を欠くことが出来なかったためである。
協議の結果、リン国の魂の鳥、白い鶴を北への遣いとし、ケサルに速やかに戻り国を救って欲しいと伝えることにした。
白鶴はケサルの元へと飛んで行ったが、ケサルは日夜二人の妃と酒を楽しみ、心も思考も朦朧としていた。
「この鳥を前から知っていたような気がするのだが」
鶴はケサルがこのように腑抜けている様を見て言った。
「私はリン国の魂の鳥。リン国の王であれば、当然ご存じのはず。リンでは長い間君主が不在であったため、ホル国が大軍で押し寄せ、王妃ジュクモを無理やり妻にするよう迫っています。リンの民は大王がすぐさま戻られることを望んでいるのです」
この知らせにケサルは驚き、全身から冷汗が噴き出した。
すぐに人を呼び準備をさせ、あすの朝早くここを発って国へ帰ることにした。
だが、次の日、朝日が昇り二人の妃の壮行の酒を飲むと、また頭が朦朧として、総てきれいさっぱり忘れてしまった。
彼はメイサに尋ねた。このように大勢の者が整列しているのは何のためか、と。
メイサは考えた。ジュクモは私に嫉妬したために、自分が恐ろしい目に遭うことになったのだわ、と。そこで答えた。
「今、勇壮なお芝居の稽古をしているのです。広々とした場所で芝居が演じられるのを見てみたいと王様がおっしゃったからです」
国王にも微かにそのような記憶があった。
ここで猶予したために、また丸々一年が経った。
その後、危急の情況にあるリンはカササギを遣いとして国王へ知らせを伝えようとした。
カササギは城門に停まり苛立ったようにギャアギャアと鳴いた。
飛び立つ前、ジュクモはカササギに言った。国王は強い神の力を持っているのでお前の言葉を理解するでしょう、と。
だが、国王は酒色に溺れ宴の真っ最中、二人の妃に尋ねた。
「あの鳥は何を焦っているのだ。何か用事があるようだが」
メイサはこの鳥はジュクモが寄こしたのだと知って、言った。
「王様がお楽しみなのに、あの鳥はなんと喧しいのでしょう。王様は久しく弓の稽古をされていらっしゃいません。丁度良い機会ですから、いっそ射落としてはいかがでしょう」
ケサルは知らせを携えて来たカササギを一矢の元に城門の下へと射落した。
こうしてまた一年が経った。
ジュクモは、首席大臣に国王に帰国を促すよう願った。
だがロンツァは言った。
「二度遣いを送りました。国王は知らせを御存知のはず。もし国王がお帰りにならないのなら、帰らない理由があるのでしょう」
今の首席大臣は当時の英明で洞察力ある老総督ではなくなった、と言う者がいた。
首席大臣は言った。
「ワシに不満を持つのは構わない、だが国王の英明を疑ってはならない」
こう言われては、人々は口をつぐむしかなかった。
ジュクモは仕方なく狐に手紙を届けてもらうことにした。
狐は口が利けないので彼女は指輪をはずした。国王が目にすればきっと自分を思いだしてくれるだろうと信じていた。
狐は二人の妃に遭わないよう進んで行き、その指輪をケサルの前で吐き出した。
それを見たケサルは何かを感じたかのように、城の頂上に登って天を仰いだ。
もし大切な使命があるのなら、天の母が知らせに来るだろうと考えたのである。
だが、天は雲が風に流されて、海のように平和な青を湛えるばかりだった。
ケサルは水晶の宝鏡を持っていることを思い出し、取り出して覗くと、あっと驚いた
。鏡の中に見えたのは、リンとの境界にホルの兵馬が一糸乱れず整列し、襲撃の開始を今か今かと待っている様子だった。
続けて、リンの宮中でジュクモが憔悴し切っているのが見えた。
すぐにケサルは命令を下し、月の昇る前に軍を挙げて出発することにした。
だが、馬に乗って壮行の酒を二杯飲むと、再び記憶をなくして馬から下りてしまった。
もともと魔国の酒はすべて物忘れの酒だった。
魔国には元は民はいなかったのだが、魔王ロザンが周囲から人間をさらって来て、魔国の各地に住まわせたのである。
彼らは酒を飲まされ、故郷のことをすべて忘れた。
トトンはギャツァの南方での動向を耳にすると、トビに乗って飛んで行った。
果たして兵馬が整然と並びさながら田のようだった。
「甥よ、リンは三年もの間主がいない。首席大臣は何もしようとしない。やはりお前が表に立って王に代わって政をすべきだ」
ギャツはすぐさま遮り、
「叔父上、もし私を苦しめたくないなら、誰にもその話をしないでください」
「お前が兵器を作り兵馬を訓練していることについては、とっくにあれこれと取り沙汰されているぞ」
「私がしていることは、リンが本当に強くなるのを望む一心からなのです」
こう言った憶測からなるうわさはギャツァの耳にも入っていた。
「国王が戻られたら、私は軍を動かすことのできる割符を返し、母について漢の地へ行き、母の望郷の想いを慰めるつもりです」
そう言うとすぐに信書をしたため、同じ想いを首席大臣にも伝えることにした。
使者に信書を届けさせたが、心の中はやはり不安を拭えず二人の伴の者を連れて、自ら会いに行った。
首席大臣は言った。
「これはむろん良いことだ。だが王が戻られるのを待つべきだろう」
「もしその時、外敵が侵入して来たら」
「賢い甥よ、我々の王は天の命を受け、強い神の力を持っておられる。そのように軽はずみに、自ら滅ぼされに来るものなどいるだろうか。また、王は深い知恵を持ち、全てを知っておられる。辺境に火の手が上がるようなことを許すはずはない」
首席大臣は話題を変えた。
「お前は鉄を溶かして砦の壁を作っていると聞いたが、それは本当なのか」
「辺境の砦は強固でなくてはなりません」
「臣下の居場所が王宮を超えてよいのか。つきつめて行けば、それは本分をわきまえない罪となる」
「叔父上、あなたはこれまでの老総督のようではありません」
「賢い甥よ、誰もが国となるのを望んだのだ。これが国なのだ、ワシも思うようにならず辛いのだ。お前は暫く辺境に帰らず王宮で務めを果たし、ワシを安心させてくれ」
ギャツァはもはや辺境に戻ることはなく、心の中は憂鬱で塞がれていた。
ジュクモはその様子を見て却って喜んだ。
クルカル王から妻に望まれていることは口にしようもなく、ただこう言った。
「近頃、夜ごとに悪い夢を見るのです。リンに何か事が起こるのではと心配です。あなたが王宮を守っていてくれれば、心安らかでいられます」
この時、クルカル王はリンの国境に大軍を配備し、使者を送ってジュクモへの求婚を顕かにした。
ジュクモはついにこの時が訪れたかと、涙をこらえることが出来なかった。
ギャツァは、自ら魔国へ行って国王の帰国を促すことを願い出たが、誰も同意しなかった。
一つには、ギャツァには神の力がなく、遥かな地へ行くのにどれほどの時を費やすか分からなかったため、二つには、この時国には強者がおらず、戦いに臨んで彼のような優れた大将を欠くことが出来なかったためである。
協議の結果、リン国の魂の鳥、白い鶴を北への遣いとし、ケサルに速やかに戻り国を救って欲しいと伝えることにした。
白鶴はケサルの元へと飛んで行ったが、ケサルは日夜二人の妃と酒を楽しみ、心も思考も朦朧としていた。
「この鳥を前から知っていたような気がするのだが」
鶴はケサルがこのように腑抜けている様を見て言った。
「私はリン国の魂の鳥。リン国の王であれば、当然ご存じのはず。リンでは長い間君主が不在であったため、ホル国が大軍で押し寄せ、王妃ジュクモを無理やり妻にするよう迫っています。リンの民は大王がすぐさま戻られることを望んでいるのです」
この知らせにケサルは驚き、全身から冷汗が噴き出した。
すぐに人を呼び準備をさせ、あすの朝早くここを発って国へ帰ることにした。
だが、次の日、朝日が昇り二人の妃の壮行の酒を飲むと、また頭が朦朧として、総てきれいさっぱり忘れてしまった。
彼はメイサに尋ねた。このように大勢の者が整列しているのは何のためか、と。
メイサは考えた。ジュクモは私に嫉妬したために、自分が恐ろしい目に遭うことになったのだわ、と。そこで答えた。
「今、勇壮なお芝居の稽古をしているのです。広々とした場所で芝居が演じられるのを見てみたいと王様がおっしゃったからです」
国王にも微かにそのような記憶があった。
ここで猶予したために、また丸々一年が経った。
その後、危急の情況にあるリンはカササギを遣いとして国王へ知らせを伝えようとした。
カササギは城門に停まり苛立ったようにギャアギャアと鳴いた。
飛び立つ前、ジュクモはカササギに言った。国王は強い神の力を持っているのでお前の言葉を理解するでしょう、と。
だが、国王は酒色に溺れ宴の真っ最中、二人の妃に尋ねた。
「あの鳥は何を焦っているのだ。何か用事があるようだが」
メイサはこの鳥はジュクモが寄こしたのだと知って、言った。
「王様がお楽しみなのに、あの鳥はなんと喧しいのでしょう。王様は久しく弓の稽古をされていらっしゃいません。丁度良い機会ですから、いっそ射落としてはいかがでしょう」
ケサルは知らせを携えて来たカササギを一矢の元に城門の下へと射落した。
こうしてまた一年が経った。
ジュクモは、首席大臣に国王に帰国を促すよう願った。
だがロンツァは言った。
「二度遣いを送りました。国王は知らせを御存知のはず。もし国王がお帰りにならないのなら、帰らない理由があるのでしょう」
今の首席大臣は当時の英明で洞察力ある老総督ではなくなった、と言う者がいた。
首席大臣は言った。
「ワシに不満を持つのは構わない、だが国王の英明を疑ってはならない」
こう言われては、人々は口をつぐむしかなかった。
ジュクモは仕方なく狐に手紙を届けてもらうことにした。
狐は口が利けないので彼女は指輪をはずした。国王が目にすればきっと自分を思いだしてくれるだろうと信じていた。
狐は二人の妃に遭わないよう進んで行き、その指輪をケサルの前で吐き出した。
それを見たケサルは何かを感じたかのように、城の頂上に登って天を仰いだ。
もし大切な使命があるのなら、天の母が知らせに来るだろうと考えたのである。
だが、天は雲が風に流されて、海のように平和な青を湛えるばかりだった。
ケサルは水晶の宝鏡を持っていることを思い出し、取り出して覗くと、あっと驚いた
。鏡の中に見えたのは、リンとの境界にホルの兵馬が一糸乱れず整列し、襲撃の開始を今か今かと待っている様子だった。
続けて、リンの宮中でジュクモが憔悴し切っているのが見えた。
すぐにケサルは命令を下し、月の昇る前に軍を挙げて出発することにした。
だが、馬に乗って壮行の酒を二杯飲むと、再び記憶をなくして馬から下りてしまった。
もともと魔国の酒はすべて物忘れの酒だった。
魔国には元は民はいなかったのだが、魔王ロザンが周囲から人間をさらって来て、魔国の各地に住まわせたのである。
彼らは酒を飲まされ、故郷のことをすべて忘れた。