塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来『ケサル王』 84 物語:国王、国に帰らず

2014-12-26 02:31:25 | ケサル
物語:国王、国に帰らず その1



 リンの東北、砂漠と草原と塩の湖の間、そこは広大な領地を持つホル国である。
 国王ジルハトは自ら天帝と称し、国を三つに分けて三人の息子をそれぞれの王としていた。

 三人の息子が住むテントの色が異なるため、それぞれ黒帳王、白帳王、黄帳王といった。
 その中で白帳王―クルカルは武芸に最も優れ、その臣下のシンバメルツは猛々しく朴訥で、向かう所敵なしだった。

 ここで述べるのはまさに、ギャツァが国王の帰還を待ちきれず、民を移して金沙江のほとりで鉄を練成し兵を配備した年のことである。

 不吉なことに、四羽の鳥がホル国からリンに向かって飛び立った。

 ホルのクルカル王が寵愛していた漢妃が世を去り、クルカル王は、異国から来た女性だけが漢妃の死による心の傷を補うことが出来る、と考えていた。
 そこでオウム、鳩、孔雀、カラスに命じて異族の美女を探しに行かせたのである。

 四羽の鳥はあらゆる地を飛んだが、いまだにクルカル王を満足させる女性を見つけ出せずにいた。
 この時、四羽はリンとホルの境にいた。
 オウムは言った。

 「我々四羽は、クルカル王の放った矢と同じで、飛び出すのは簡単だが帰るのは難しいぞ。王様の望む美女を探すのはなんと難しいんだ。それに、もし探し出せても、王様は兵を連れてその女性を奪いに行くだろう。そうなったら、どれほどの人が苦しむことか。このまま逃げたほうがいいんじゃないか」

 「じゃあ、どこへ逃げればいい」

 「鳩は漢の妃様と一緒に来たのだから漢の地へ戻ればいい。孔雀はインドへ戻り、オレはモンの辺りへ戻る。カラスは一番簡単だ。世界のどこにでもカラスはいるんだから、好きな所へいけばいい」

 三羽の鳥は翼を羽ばたかせながら雲の中へ飛んで行った。
 カラスは木の枝に止まって驚きながらも喜びを隠せなかった。

 この間、カラスはずっと考えていた。
 美女を見つけたとしたらそれは誰の手柄になるのだろうか。

 自分は醜いので、褒美を与えるにも美しいものを好むクルカル王は自分には目もくれないだろう。
 今ならば、美女を探し出しても手柄を奪われることはない。
 こう考えるとカラスは歯を食いしばり飢えを偲んでリンの上空を飛び回った。

 七七四十九日飛んでもまだクルカル王の目に適う美女は現われなかった。
 リンに美女がいないからではなく、リンの平安を守るケサル大王が久しく帰らないために、クルカル王が様々な地で美女を探しているという知らせが伝わると、美しい女性たちはほとんど姿を現さなくなったのである。

 カラスが四方を飛び回ると、リンのすべての地はどこも不安に陥った。
 ただ妃ジュクモだけは、空の澄み渡った時に高台に登ってはるか彼方を見つめていた。

 カラスは何度か近くを通ったが、兵たちの矢が怖くて、王宮には近づかなかった。
 そのためジュクモを見つけることが出来なかったのである。

 ケサルが王になった後、トトンの心は常に塞いでいた。
 この日目覚めた時、やはり気持ちが晴れなかった。
 そこで、通力を使ってハヤブサに変身して空へと飛び上がった。

 ハヤブサは頭が小さく、人間のようにあれこれと思慮することが出来なかった。
 そんな時にカラスが現われた。

 ハヤブサは考える間もなく襲い掛かり見る間にその翼を引き裂くと、カラスは大声で叫んだ。
 「お許しください。私は白帳王クルカル様の手下です」

 「クルカル王の手下?美女を探しに来たのか」

 「まさにその通り」

 ハヤブサは何かを思いついたが、脳が小さくてうまく頭が働かず、そこで山の頂を回って木の後ろに降り、人の姿に戻って頭を働かせてからまた飛び上がり、カラスが慌てて逃げて行くのを見て言った。
 「怖がらなくてよい。リンの最も美しい娘は王宮の上にいるぞ」

 果たして、カラスは王宮の頂上にジュクモを見つけた。
 その美しさは一々細かく述べるまでもなく、軽くひそめた美しい眉、愁いをおびた表情だけでも、亡くなった漢の妃と見まごうばかりだった。

 カラスは一目見るなり、空中からまっすぐにとびかかり、ジュクモの頭のトルコ石の髪留めをくわえて飛び去った。
 カラスは空の上で得意そうに翼を揺らした。
 「暫くお待ちください。ホル国の優れて勇ましい白帳王クルカル様がお迎えに来られるでしょう」

 カラスは興奮を抑えきれず、飢えも渇きも何のその、クルカル王の元へ飛んで帰った。

 カラスはまず三羽の鳥がホル国を裏切った罪をひとしきりあげつらった。
 クルカル王は苛立って言った。
 「その三羽のことは後にしろ。ワシの心に適う美しい娘が見つかったかどうかを聞いているのだ」

 カラスは意気揚々と王の前まで飛んで来て、ジュクモのトルコ石の髪留めを差し出し、言った。
 「ケサルは魔国征服に勝利しましたが、新しい王妃の虜になり魔国の愛の巣で、楽しみに耽り帰ろうとしません。このジュクモは大きな宮殿で独り身を守っています」

 「ではすぐに兵を発して迎えに行くぞ」

 命を受けて兵を出した大将シンバメルツは進言した。
 「大王様、リンは小国ですがジュクモは国王の妃という高貴な方です。我らが勝手に嫁として娶ったら、両国の間に必ず戦いが起こり、民は塗炭の苦しみを味わうでしょう」

 クルカル王は大臣の勧告など聞くはずはなく、シンバに二度と不平を漏らさせないために、ジェツンイシ姫に占わせた。

 ジェツンイシは実はホル親王の娘で、顔かたちはホルの女性の中でも一番の美しさだった。
 漢の妃が亡くなった後、宮廷内で協議して、クルカル王にジェツンを娶らせようとしたが、クルカル王は堅く辞退した。

 ジェツンは生まれながらに聡明で、また修行者に伝授されて占いが出来、様々な霊験を持っていた。

 王とは、考えが謎めいていて、周りの者には推測しがたく、王座に座っていれば自ずと威厳があるものである。
 クルカル王は思った。
 もし自分に何らかの考えがあるとすぐに彼女に見抜かれてしまい、周りに威風を示せなくなだろう。

 そこでクルカル王は彼女の美貌に涎が出そうなのを必死でこらえ、違う部族から妻を探すことにしたのである。

 ジェツンイシは笑って言った。
 「占いでは凶と出ました。王様、訳なく兵を出されませんように」

 クルカル王は冷笑して言った。
 「お前はわしがリンの国から美女を嫁として連れて来るのを望んでいないのだろう。お前の若さと美しさを憐れんでいなければ、お前の首を切らせて、その生首を夜ごと山の上で吠えて人々を安らかに眠らせない餓えた狼に食わせてやるところだ」

 ジェツンイシは慌てることなく、哀れむように笑って、その場を下がり何も言わなかった。

 シンバメルツは大王がこれほどに固執するのを見て、兵馬を点呼し、クルカル王と共に出征した。

 東北の方角に大軍が押し寄せた。
 リンでは全ての人が国王の帰るのを待つばかりで、何の備えもしていなかった。

 ただトトンだけがホルの大軍が攻めて来るのを知っていたが、何も伝えようとはしなかった。