塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

再び『塵埃落定』へ

2017-06-12 01:51:12 | 塵埃落定



 『ケサル王』を何とか訳し終え、もちろんまだまだ見直しは続けていくのだが、やっと再びこのブログの出発点である『塵埃落定』への旅へと立ち戻ることになった。ケサルから学んだことが力になってくれると期待しながら。

 阿来の初期の短編には、生まれ育った地―中国文化とチベット文化の接するアバという地方を舞台とし、作者と同時代と思われる若者が父親の姿を追い求める真摯な想いを描いたものが多い。父親は、早くに死んだり、失踪したり、兄の父だったりと、その姿は曖昧である。主人公の想いを映すかのように、山で囲まれた標高の高い村の風景は過酷で美しい。そしてそこにも文革の波と、遠い街の変化の兆しが押し寄せていて、村人の人間関係に微妙な変化を与えている。

 登場人物一人一人が生み出す物語を、阿来は丁寧に描いていく。もともとこの地には遥か昔から語り継がれて来た物語があり、それを語り伝える風習は今も残っている。そうした風土の中で語られるいくつもの現代の物語は、時には遥かに語り継がれて来た物語と折り重なり反応合うが、揺らぐことはない。
 こうして阿来によって一つ一つの個人史がこの地を語る確かな歴史となっていく。

 この地の物語は、後の長編『空山』に受け継がれることになる。

 語り伝えられる物語の代表であるケサルをもとに阿来が『ケサル王』を書くのはすでに約束されていたことなのかもしれない。初期の作品の中で、主人公の兄―街の大学で学び言い伝えについての本を出版した兄について、村人たちが彼は将来ケサルのような物語を書くだろうと噂しているのが象徴的で興味深い。

 さて、『塵埃落定』だが、この作品はある意味で幸せな物語と言えるだろう。
 主人公は生まれつき頭がおかしく周りから笑われながらも、霊感ともいえる特異な思考経路のもとに自分の一族が治める部族が進むべき道を暗示していき、傍にいる父親によってその存在を認められ、父親の命を狙う仇を喜んで受け入れ、自ら求めるかのようにその刀によって刺され、血を流す自分の姿を静かに眺めながら、物語を終えているのだから。
 初期短編に見られる、父親を渇望する苦しみはここにはない。主人公は自らがすべてを引き受けることしか知らないかのようだ。無垢という言葉がうかんでくるほどに。

 この物語の時代、東チベットには多くのものが行き交った。1900年代前半の西康省の設置、日中戦争による混乱、イギリス、インドの思惑、中華人民共和国の成立に向けて白い漢人と赤い漢人の戦いの渦からも逃れられなかった。
 明の時代からこの地方は朝廷から冊封された複数の“土司”によって統治されていたが、気性の荒い風土のため土司間の争いが絶えず、歴代の朝廷は事態収拾のために幾度となく兵を送っている。1930年頃からは、中国では禁止されたケシがここで密かに栽培され、中国の役人と繋がる土司も一時の繁栄を得る。だがそれもつかの間、アヘンによる様々な弊害により土地は痩せ経済は破綻し、中国側による支配が強まる結果となった。こうして終に土司という制度は終焉へと向かうこととなる。

 このような時代を背景に物語は主人公の語りによって進んで行く。放埓であり愚鈍であり怜悧であり、予知を孕み、受容し諦観し…予測不能な言葉の連なりの後、終には自分の死をも語って物語は終わる。
 阿来が幸運にも生み出した新たな語りの形と言えるかもしれない。



 『ケサル王』は家馬と野馬の言い伝えから始まっている。
この言い伝えは『空山』の中にも象徴的な部族史として描かれている。阿来にとって重要なテーマなのだろう。次はこの言い伝えについて考えてみようと思っている。


     ★ 『ケサル王』の第一回は 阿来『ケサル王』① 縁起-1 です  http://blog.goo.ne.jp/aba-tabi/m/201304




 

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