★ 物語の第一回は 阿来『ケサル王』① 縁起-1 です http://blog.goo.ne.jp/aba-tabi/m/201304
物語:シンバメルツ天へ帰る
年が明ける頃、ケサル君臣一行はついにリン国の境界へと戻って来た。
まず、山神が出迎え、山の中の珍宝を捧げた。その後、国王を迎えようと境界を目指した将軍と大臣も到着した。
「王子ザラ様とジュクモ様がお待ちかねでいらっしゃいます」と伝え、国王にジュクモとメイサが自ら刺繍した上着を手渡した。
「それはなによりもうれしい知らせだ」
「首席大臣もお健やかです」
「それは良い知らせだ」
「ザラ様は落ち着いて事を処理していらっしゃいます」
「それを聞いて安心した。悪い知らせは無いのか」
「リン国は天の加護により、国王が発たれてから三年、大きな災害は起こっておりません。雪や風の害もなく、虫の害さえもありません」
「悪い知らせは無いのか」
「首席大臣は言われました。お帰りになってすぐに国王が心を痛める知らせを伝えてはいけないと」
「私はすでにひどく憂いている」
「では、申し上げます。シンバメルツ将軍が余命わずかとなられました。ザラ様はすでにシンバ将軍をホルから移し、リンで治療させていますが、良い兆候はありません。シンバ様からの言伝があります。国王の早いお帰りをお待ちしている、世を去る前に国王に一目お会いするのが唯一の望みだ、とのことです」
ケサルにはシンバの気持ちが分かった。
シンバは本来チタン王との戦いで戦死するはずだった。幸いにもギャツァの英霊に守られ今まで延びたが、それを深く恥じ、今は生よりも死を望んでいる。早く寿命を終えるのが自分にとっては解脱だと考えていた。
その時、鶴が陣に舞い降り、悲し気に啼いた。大臣たちは鶴の首から手紙をほどき、国王の前に差し出した。シンバメルツの書いた手紙だった。
国王がリンに戻られたとの知らせを受けたが、王城に着かれるまで寿命が持つか心もとない、自ら王城を発ち、途中で国王と最後の別れをすることを許していただきたい、と書かれていた。
ケサルはすぐに返事を書き、王子ザラに将軍の供をしてこちらに向かい、途中で君臣合見えられようにせよ、と伝えた。
王子ザラは手紙を受け取ると、すぐさま一部隊を率いて息絶え絶えのシンバメルツを守りながら出発した。
王子が傍らで見守っているのを目にした時、シンバメルツは初めて鮮血を吐いた。
「ギャツァの息子よ。馬に跨る姿のなんと雄々しいことよ」彼は心からザラを褒めたたえた。
半ばまで来たところで、はためく旗と国王の姿が望まれた。
シンバは二回目の血を吐き、言った。
「このように勇ましい国王につき従って功を為した私は、なんと幸せ者だろうか」
国王が馬を急かして目の前に現れた時には、シンバメルツは血の跡をきれいに拭き取らせ、潤いを失い乱れていた白髪を梳かし、床の上に起き上がっていた。
国王は飛ぶように馬から降り、シンバメルツの前に駆けつけた。シンバメルツの心に喜びと悲しみが一気に込みあげた。
「尊敬する王様、私はリン国の罪人です。それでも王様は死に臨んだ老人の最後の望みを叶えてくださった。悲しいかな、私にはもはや起き上がって礼をする気力も残っておりません」
ケサルはシンバの言葉に、心が切り裂かれるようだった。
「シンバよ、初めそなたはリン国を苦しめた。だがその後はリン国のために厚く忠誠を尽くしてくれた。それは天も地もみな知っている」
この言葉を聞き、胸につかえていた血が溢れだし、シンバは三度目の血を吐いた。
その後微かに微笑むと、気力をすべて使い果たし、恋々と国王を見つめていた目の光が徐々に薄れ、表情が消えて行った。
国王はそっと彼の目を閉じた。
心の痛みは深く、ケサルはそこに一日留まった。
次の日、将軍を火葬し、遺骨をホルに戻し、塔を立てて安置するよう命じると、一行は再び国へと向かった。
王子ザラ、首席大臣、妃たちは、伴を引き連れて王城の数十里先に大きなテントを張り、国王を出迎えた。
酒宴の席でケサルは次々と祝いの酒を受け、酔いで頭がぼんやりしたので目を閉じて気を醒まそうとしたが、首席大臣が自ら御前で一献捧げながら、テントの中央の宝座に上がり、人々の祝いの言葉を受けるよう促した。
今リン国は強大になり、テントの外に集まった民はもとより、名を知られた大臣、将軍、万戸長、千戸長、内宮で仕える位を持った者たちが祝いを述べ国王の祝福を受けるだけで、三、四刻の時を費やした。この様子をケサルは心から喜んだ。
だがその後から、哀しみがゆっくりと襲って来た。ジュクモは、何故悲しそうに眉を寄せているのかと尋ねた。
ケサルは酒でぼんやりした頭を軽く叩いた。
「良く知った顔がまだ見えないが、それが誰かと考えていたのだ」
ジュクモは跪いた。
「王様はギャツァ様のことを思っていらっしゃるのでしょう。ギャツァ様が戦いで犠牲になられたのはこのジュクモの誤りだと、みな知っています。でも私はすでに…」
ケサルは手を挙げて彼女を制止した。
「さあ、顔を上げなさい。ギャツァは今では天の戦神となった。リンの者はみな知っている。昔の過ちは忘れるのだ」
ジュクモは言った。
「では、王様は将軍シンバメルツのことを思っているのですか」
「シンバはすでに極楽浄土に生まれ変わった」
「では…」
「そうであった。勇敢な妃アダナムだ」
物語:シンバメルツ天へ帰る
年が明ける頃、ケサル君臣一行はついにリン国の境界へと戻って来た。
まず、山神が出迎え、山の中の珍宝を捧げた。その後、国王を迎えようと境界を目指した将軍と大臣も到着した。
「王子ザラ様とジュクモ様がお待ちかねでいらっしゃいます」と伝え、国王にジュクモとメイサが自ら刺繍した上着を手渡した。
「それはなによりもうれしい知らせだ」
「首席大臣もお健やかです」
「それは良い知らせだ」
「ザラ様は落ち着いて事を処理していらっしゃいます」
「それを聞いて安心した。悪い知らせは無いのか」
「リン国は天の加護により、国王が発たれてから三年、大きな災害は起こっておりません。雪や風の害もなく、虫の害さえもありません」
「悪い知らせは無いのか」
「首席大臣は言われました。お帰りになってすぐに国王が心を痛める知らせを伝えてはいけないと」
「私はすでにひどく憂いている」
「では、申し上げます。シンバメルツ将軍が余命わずかとなられました。ザラ様はすでにシンバ将軍をホルから移し、リンで治療させていますが、良い兆候はありません。シンバ様からの言伝があります。国王の早いお帰りをお待ちしている、世を去る前に国王に一目お会いするのが唯一の望みだ、とのことです」
ケサルにはシンバの気持ちが分かった。
シンバは本来チタン王との戦いで戦死するはずだった。幸いにもギャツァの英霊に守られ今まで延びたが、それを深く恥じ、今は生よりも死を望んでいる。早く寿命を終えるのが自分にとっては解脱だと考えていた。
その時、鶴が陣に舞い降り、悲し気に啼いた。大臣たちは鶴の首から手紙をほどき、国王の前に差し出した。シンバメルツの書いた手紙だった。
国王がリンに戻られたとの知らせを受けたが、王城に着かれるまで寿命が持つか心もとない、自ら王城を発ち、途中で国王と最後の別れをすることを許していただきたい、と書かれていた。
ケサルはすぐに返事を書き、王子ザラに将軍の供をしてこちらに向かい、途中で君臣合見えられようにせよ、と伝えた。
王子ザラは手紙を受け取ると、すぐさま一部隊を率いて息絶え絶えのシンバメルツを守りながら出発した。
王子が傍らで見守っているのを目にした時、シンバメルツは初めて鮮血を吐いた。
「ギャツァの息子よ。馬に跨る姿のなんと雄々しいことよ」彼は心からザラを褒めたたえた。
半ばまで来たところで、はためく旗と国王の姿が望まれた。
シンバは二回目の血を吐き、言った。
「このように勇ましい国王につき従って功を為した私は、なんと幸せ者だろうか」
国王が馬を急かして目の前に現れた時には、シンバメルツは血の跡をきれいに拭き取らせ、潤いを失い乱れていた白髪を梳かし、床の上に起き上がっていた。
国王は飛ぶように馬から降り、シンバメルツの前に駆けつけた。シンバメルツの心に喜びと悲しみが一気に込みあげた。
「尊敬する王様、私はリン国の罪人です。それでも王様は死に臨んだ老人の最後の望みを叶えてくださった。悲しいかな、私にはもはや起き上がって礼をする気力も残っておりません」
ケサルはシンバの言葉に、心が切り裂かれるようだった。
「シンバよ、初めそなたはリン国を苦しめた。だがその後はリン国のために厚く忠誠を尽くしてくれた。それは天も地もみな知っている」
この言葉を聞き、胸につかえていた血が溢れだし、シンバは三度目の血を吐いた。
その後微かに微笑むと、気力をすべて使い果たし、恋々と国王を見つめていた目の光が徐々に薄れ、表情が消えて行った。
国王はそっと彼の目を閉じた。
心の痛みは深く、ケサルはそこに一日留まった。
次の日、将軍を火葬し、遺骨をホルに戻し、塔を立てて安置するよう命じると、一行は再び国へと向かった。
王子ザラ、首席大臣、妃たちは、伴を引き連れて王城の数十里先に大きなテントを張り、国王を出迎えた。
酒宴の席でケサルは次々と祝いの酒を受け、酔いで頭がぼんやりしたので目を閉じて気を醒まそうとしたが、首席大臣が自ら御前で一献捧げながら、テントの中央の宝座に上がり、人々の祝いの言葉を受けるよう促した。
今リン国は強大になり、テントの外に集まった民はもとより、名を知られた大臣、将軍、万戸長、千戸長、内宮で仕える位を持った者たちが祝いを述べ国王の祝福を受けるだけで、三、四刻の時を費やした。この様子をケサルは心から喜んだ。
だがその後から、哀しみがゆっくりと襲って来た。ジュクモは、何故悲しそうに眉を寄せているのかと尋ねた。
ケサルは酒でぼんやりした頭を軽く叩いた。
「良く知った顔がまだ見えないが、それが誰かと考えていたのだ」
ジュクモは跪いた。
「王様はギャツァ様のことを思っていらっしゃるのでしょう。ギャツァ様が戦いで犠牲になられたのはこのジュクモの誤りだと、みな知っています。でも私はすでに…」
ケサルは手を挙げて彼女を制止した。
「さあ、顔を上げなさい。ギャツァは今では天の戦神となった。リンの者はみな知っている。昔の過ちは忘れるのだ」
ジュクモは言った。
「では、王様は将軍シンバメルツのことを思っているのですか」
「シンバはすでに極楽浄土に生まれ変わった」
「では…」
「そうであった。勇敢な妃アダナムだ」
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