(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)
2 いにしえの人を想う その2
村の周りに、数頭の小さくてまだらの母牛がいた。これらの母牛は、赤牛とヤクとの交配種の後代である。これらの雑種の牛の体にはもはや、父方のたくましさと母方の優雅さはない。ただし、どのような場所でも食べるものを見つけることは出来るようだ。
棘のある樹、路端の土埃だらけの枯れ草、牧人たちの捨てたぼろぼろの服、廃墟の崩れた壁に浮き上がった剥げ落ちそうな壁土。母牛たちは口に入るものなら何でも胃に収め、そうして薄い乳を作り出す。
現在、このあたりの村の周りには、このような萎びた姿の雑種の乳牛の数がどんどん増えている。
厳しい冬がやって来ると、牛たちは群となって列を作り、周囲の村から鎮に入って来て、通りをぐずぐずと歩きながら、あちこちで食物を捜す。
そういった食物は実に様々だ。風に巻き上げられいたる所を転げまわっている紙くず、壁に貼ってある標語や告示の裏に塗られた糊、市場に捨てられた野菜屑。牛たちはゴミ箱に頭を突っ込み、かき回し、舌で選り分け、その都度腹を膨らませるものを探し出す。
そんな乳牛たちの様子を見て、我が家では郊外の農民が毎日届けに来る牛乳を取るのを止めた。
巡礼の道とも言える路で、家畜と生命についてこのように描くべきではないのかもしれない。だが、このような光景は絶えずあちこちで繰り広げられ、どうしても人の目に触れる。牛たちが黙然と食べものを捜す時の様々な姿が誰の目にも焼きついてしまっているのである。
幸いにも今はナチュにいる。
郷の役所のあるチョクツェ鎮からすでに10数キロの距離があり、県城の所在地は更に遠い。
あきらめを知っているかのような雑種の牛たちは、10月の薄霜を踏みながら、収穫の終わった畑で、何をするでもなしにとうもろこしの茎を齧っている。これならまだ清潔な食べ物である。
村の子供たちもたまに畑に入り、抜き取った茎を手に持ってゆっくりと齧りながら、かすかな甘さとわずかなみずみずしさを入念に味わう。
私にもこんなふうに、薄汚れた顔に泉の水のような清らかな瞳を輝かせていた少年時代があったのだ。
日々遠ざかる少年の頃を思うたびにいつも、心の中にぼんやりとした痛みと名づけようのない哀しみが湧いて来る。
だが、畑に薄い霜の降りた10月の朝、私はナチュ村のあたりでやはりこのように少年の頃を思ったのかどうか、覚えていない。
覚えているのは、ナチュ村の近くのこの朝もまた、すべての霜の降りた10月の早朝と同じように、日差しが特別明るく照り輝いていたことだけである。
山の斜面のまばらな樹々の間から聞こえてくる画眉鳥の鳴き声は、特別に澄み切って伸びやかだった。
はじめに長く、次に二回短く啼く、澄み切った鳴声。
人々はその声を聞くと、三つの音からなる言葉や文を想像するのだった。
ギャロンの他の場所では、この三つの音をそれぞれ異なった音としてはっきりと聞き分けている。
ナチュでは、画眉鳥が奏でるこの三つの音を天気予報として耳を傾ける。
ある家の庭に車を停めた時、女主人は私たちに、画眉鳥はこう伝えているんだと教えてくれた。
「 レイ――ツェチャ、 レイ――ツェチャ 」
ご存知のように、このチベット語は、もうじき暑くなると言う意味で、つまり、画眉鳥たちは、今日の天気は晴れ、という予報を私たちに告げているのである。
女主人はさらにこう言った。あんたたち、アワンザパを拝みに行くんだね。山へ参拝に行く人がいる時はいつも、この谷は穏やかな良い天気になるんだよ、と。
この庭を出る時、誰かが冗談を言った。
毎日のようにアワンザパを参拝に来る人がいたら、この村では、作物や果物がみんな枯れてしまうね、と。
これを聞いて、いつもの冗談を聞いた時のようには笑い出す者はいなかった。そこで、冗談を言った本人も自分で自分の頬にびんたを食らわした。
巡礼の路では、いつもなら何でも笑いのタネにする私達も、突然ほんの少し慎みの心を取り戻したのだ。
その時、また別の種類の鳥が啼き出した。鳴声は四音節だった。
すると、みんなの心の中である一つの名前が響き始めた。
アワンザパ!アワンザパ!
私達はみな特別な磁場の中に引き寄せられていった。
山道はくねくねと上に向い、路の両側の樹は葉をすべて落とし、乾いた硬い枝が靴とズボンの裾に当たってかさかさと音を立てた。
オウレン、ノザクラ、ノバラ、サクラソウ、ツツジ、タマリクス、クスノキ、多くの樹々が密集し、夏にはそれらが様々に咲き誇っていたことだろう。だが今は、硬直した古ぼけた色の枯れ枝を伸ばし、あたり一面ひっそりと物寂しげだ。
ただ、柏の樹だけがまだ緑をたたえ、そよ風の中でため息のようなかすかな音を立てている。
太陽は高く昇り、石や枯れ草の上の霜はゆっくりと融けていく。すると、森の中の黒土の濃厚な香りが鼻腔を通して全身を満たしていった。
風の当たらない枯れ草に腰を下ろして休んでいると、巡礼の一団が私たちを追い越して行った。彼らの顔には敬虔さと期待があふれていて、そのためか、彼らは私たちよりもずっと明るい眼差しをしていた。
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)
2 いにしえの人を想う その2
村の周りに、数頭の小さくてまだらの母牛がいた。これらの母牛は、赤牛とヤクとの交配種の後代である。これらの雑種の牛の体にはもはや、父方のたくましさと母方の優雅さはない。ただし、どのような場所でも食べるものを見つけることは出来るようだ。
棘のある樹、路端の土埃だらけの枯れ草、牧人たちの捨てたぼろぼろの服、廃墟の崩れた壁に浮き上がった剥げ落ちそうな壁土。母牛たちは口に入るものなら何でも胃に収め、そうして薄い乳を作り出す。
現在、このあたりの村の周りには、このような萎びた姿の雑種の乳牛の数がどんどん増えている。
厳しい冬がやって来ると、牛たちは群となって列を作り、周囲の村から鎮に入って来て、通りをぐずぐずと歩きながら、あちこちで食物を捜す。
そういった食物は実に様々だ。風に巻き上げられいたる所を転げまわっている紙くず、壁に貼ってある標語や告示の裏に塗られた糊、市場に捨てられた野菜屑。牛たちはゴミ箱に頭を突っ込み、かき回し、舌で選り分け、その都度腹を膨らませるものを探し出す。
そんな乳牛たちの様子を見て、我が家では郊外の農民が毎日届けに来る牛乳を取るのを止めた。
巡礼の道とも言える路で、家畜と生命についてこのように描くべきではないのかもしれない。だが、このような光景は絶えずあちこちで繰り広げられ、どうしても人の目に触れる。牛たちが黙然と食べものを捜す時の様々な姿が誰の目にも焼きついてしまっているのである。
幸いにも今はナチュにいる。
郷の役所のあるチョクツェ鎮からすでに10数キロの距離があり、県城の所在地は更に遠い。
あきらめを知っているかのような雑種の牛たちは、10月の薄霜を踏みながら、収穫の終わった畑で、何をするでもなしにとうもろこしの茎を齧っている。これならまだ清潔な食べ物である。
村の子供たちもたまに畑に入り、抜き取った茎を手に持ってゆっくりと齧りながら、かすかな甘さとわずかなみずみずしさを入念に味わう。
私にもこんなふうに、薄汚れた顔に泉の水のような清らかな瞳を輝かせていた少年時代があったのだ。
日々遠ざかる少年の頃を思うたびにいつも、心の中にぼんやりとした痛みと名づけようのない哀しみが湧いて来る。
だが、畑に薄い霜の降りた10月の朝、私はナチュ村のあたりでやはりこのように少年の頃を思ったのかどうか、覚えていない。
覚えているのは、ナチュ村の近くのこの朝もまた、すべての霜の降りた10月の早朝と同じように、日差しが特別明るく照り輝いていたことだけである。
山の斜面のまばらな樹々の間から聞こえてくる画眉鳥の鳴き声は、特別に澄み切って伸びやかだった。
はじめに長く、次に二回短く啼く、澄み切った鳴声。
人々はその声を聞くと、三つの音からなる言葉や文を想像するのだった。
ギャロンの他の場所では、この三つの音をそれぞれ異なった音としてはっきりと聞き分けている。
ナチュでは、画眉鳥が奏でるこの三つの音を天気予報として耳を傾ける。
ある家の庭に車を停めた時、女主人は私たちに、画眉鳥はこう伝えているんだと教えてくれた。
「 レイ――ツェチャ、 レイ――ツェチャ 」
ご存知のように、このチベット語は、もうじき暑くなると言う意味で、つまり、画眉鳥たちは、今日の天気は晴れ、という予報を私たちに告げているのである。
女主人はさらにこう言った。あんたたち、アワンザパを拝みに行くんだね。山へ参拝に行く人がいる時はいつも、この谷は穏やかな良い天気になるんだよ、と。
この庭を出る時、誰かが冗談を言った。
毎日のようにアワンザパを参拝に来る人がいたら、この村では、作物や果物がみんな枯れてしまうね、と。
これを聞いて、いつもの冗談を聞いた時のようには笑い出す者はいなかった。そこで、冗談を言った本人も自分で自分の頬にびんたを食らわした。
巡礼の路では、いつもなら何でも笑いのタネにする私達も、突然ほんの少し慎みの心を取り戻したのだ。
その時、また別の種類の鳥が啼き出した。鳴声は四音節だった。
すると、みんなの心の中である一つの名前が響き始めた。
アワンザパ!アワンザパ!
私達はみな特別な磁場の中に引き寄せられていった。
山道はくねくねと上に向い、路の両側の樹は葉をすべて落とし、乾いた硬い枝が靴とズボンの裾に当たってかさかさと音を立てた。
オウレン、ノザクラ、ノバラ、サクラソウ、ツツジ、タマリクス、クスノキ、多くの樹々が密集し、夏にはそれらが様々に咲き誇っていたことだろう。だが今は、硬直した古ぼけた色の枯れ枝を伸ばし、あたり一面ひっそりと物寂しげだ。
ただ、柏の樹だけがまだ緑をたたえ、そよ風の中でため息のようなかすかな音を立てている。
太陽は高く昇り、石や枯れ草の上の霜はゆっくりと融けていく。すると、森の中の黒土の濃厚な香りが鼻腔を通して全身を満たしていった。
風の当たらない枯れ草に腰を下ろして休んでいると、巡礼の一団が私たちを追い越して行った。彼らの顔には敬虔さと期待があふれていて、そのためか、彼らは私たちよりもずっと明るい眼差しをしていた。
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)
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