塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

山水画と山椒

2007-10-10 04:04:24 | Weblog
8月10日 第6日目

朝、丹巴の街を歩く。やはり河に沿った街。やがて長江となる大渡河が黄土色の水を波立たせ、南へと流れている。街の入り口、雪山からの流れが交わる辺りでは、黄土色と青い水がはっきりと色を分けて流れている。目の前が神の山、墨璽多山だ、と阿来が書いていたが、宿の人に聞いてもどれがそうなのか分からない。それほど、たくさんの山が重なっている。
丹巴に近づいてから、山の岩肌がはっきりと見えるようになった。岩の層が、縦や斜めに走っている様子は、宋代の山水画そのままだ。范寛の「谿山行旅図」そのままの迫力ある風景が至るところに見られる。小さな滝もたくさんある。水墨画は単純化、抽象化して描かれたものと思っていたが、この岩を目の前にすると、それは写実の極みだったのだ、と認識を改めざるを得ない。皴法と名づけられた、ひび割れのような線描は、対象の岩肌に迫ろうとして出来上がった技法なのだと分かる。

途中、工事のため道が止められていた。30分くらい動けない。車から降りて一休みする。
農家の横ののんびりとした場所だ。道端に洋ナシを小さくしたような実がなっているので何かと尋ねると、胡桃だという。胡桃について阿来は何度か書いている。山を歩いていて胡桃の木が見えたら村が近づいたと分かるのだ、と。
そういえば、市場で手を真っ黒にして、実を剥きながら売っていた。剥きたての胡桃は、さくさくして少し青臭かった。
山椒の木もこのあたりの特産だ。四川料理のしびれる辛さは、この山椒の香りだ。こちらでは赤く熟してから乾燥させる。岩肌にも自生していて、赤い塊があちこち見られる。
このあたりは梨の木が多く「梨花の里」と呼ばれ、春から夏にかけて白い梨の花が美しいらしい。残念ながら今は花は終わって、もう実をつけている。道の両側はほとんどが梨の木だ。手の届くところにあるのだが、もし、ひとつでも黙ってもぎ取ろうとすると、どこかから家の人が出てきて捕まってしまうとのことだ。家の中でじっと見張っているのだろう。宋さんも、木に近づいただけで犬にほえられた、とあわてて戻って来た。犬もしっかり仕事をしている。

やっと道が開いた。
たまっていた力を吐き出すように、スピードを出して走る。こんなところにも牛や羊がいる。クラクションを鳴らしながら走る。

カーブを曲がろうとすると、目の前にオートバイが!こちらの車線を走って来る!
急ブレーキを踏む。
オートバイの若者がハンドルを切る。河に突っ込むぞ!若者はとっさに、足を地面につけて、ばたばたと足踏みしながら必死でスピードを落とす。何とか道路から飛び出さずにすんだ。すぐに体勢をたてなおすと、あっという間に走り去って行った。
怒鳴りつける暇も、心の余裕もなかった。
ホッとすると同時に恐怖心がよみがえる。宋さんは今迄で一番怖かったと虚脱状態。主人は逆に興奮気味に若者の足の動きを説明する。しばらく心を落ち着けてから、また走り始めた。

道端の木が開け放した窓に触れる。山椒だ!
清涼な香りを乗せて車は元のスピードを取り戻す。




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