塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来『ケサル王』 105 物語:モン・リンの戦い

2015-06-01 20:09:55 | ケサル
物語:モン・リンの戦い その3



 次の日の朝、雲を突き抜けて聳える雪の峰に、太陽が眩い金色の輝き纏わせるとすぐに、ケサルは将校たちを自分のテントの中に集め、雪山を指して言った。

 「太陽がまだ昇りきらなくとも、我々は高く聳える雪山の上に光がきらめいているのを感じることが出来る。
  モン国に入ってこの方、ザラとユラトジはリンの最も忠実な英雄ギャツァが訓練を重ねて来た戦法を用い、先鋒を率いて次々と勝利を収めた。
  これはリンの未来がより栄え、雪山のように屹立するという吉兆である」

 将校たちは思った。
 「ケサル王と十人を超える妃にはお子が生まれなかった。この若い英雄こそが将来リンの国王になるのだろう」

 シンバメルツは前に進み出て申し上げた。
 「大王様。リン国の大業を継ぐ方が現われたこと、お喜び申し上げます」

 この様子を見て、トトンは面白くなかった。
 「いくらか地盤を占領し、多くの敵兵を殺しはしたが、まだモン国の城を攻め落としていないのだぞ。
  強い魔力を持った王も将軍もまだ傷さえ負っていない。
  ワシは伴の兵卒はいらぬ。一人でヤツらのところへ乗り込み、二人の魔物の頭を大王に捧げよう」

 ケサルは心を鎮めて言った。

 「黒く妖しい霧はまだ晴れず、正しい行いを助ける太陽はまだ現われていない。
  我々がモン国を完全に叩き潰せないのは、まだ時期が至らないだけだ。
  今日、皆を集めたのは、軽率な行動を慎んでもらいたいからである。
  太陽が草の露を乾かしたら、モン国は戦いを挑んでくるだろう。
  その時我々は容赦なく戦おう。
  ここ数日、私は戦いの様子を見ながら、この暑い国に流れる水の中から熱と湿気の毒に打ち勝つ聖水を作り上げた。
  また、天の母から護身の守り紐を頂いた。これで再び戦場に立てば、誰もが向かうところ敵なしとなるだろう」

 聖水と守り紐がみなに配られるとすぐ、外から戦いの声が伝わって来た。

 大将タンマは聖水を飲み干すと、にわかに体中がすがすがしく、力が漲って、すぐに馬に跨って陣営を飛び出した。
 そこに見えたのは、敵国の大臣グラトジエが一人馬に乗って戦いを挑んで来る姿だった。

 グラトジエは威厳に満ち堂々とした快男児で、身に着けている兜や護身用の甲冑は黄金で作られ、背中の弓壺には鉄の弓一束と数十本の毒矢、手には血を吸う宝剣を振りかざしている。

 タンマが馬に鞭打って行くのを目にしたケサルは、グラトジエと互角に戦うのは難しいだろうと、四人の副将に、タンマの周りにぴったりと付いて彼を守るよう命じた。

 タンマはグラトジエに向かって叫んだ。
 「モンには将兵が多いと聞くが、どうして一人でやって来たのだ。寂しくはないのか」

 グラトジエは皮肉たっぷりに返答した。
 「力のないヤツこそ、群れを成さないと怖くてたまらないようだな」

 「今日、我らは戦法を変えたのだ。一対一で戦おうではないか」

 タンマは手に持った鷹の羽根の矢をすでに弓につがえ言った。
 「今からは、お前の足元の地を“死の平原”と名付けよう。お前が目の前にしている五人こそ“地獄の閻魔王”だ」

 言葉が終わった時には、弦を離れた矢はすでにグラトジエの目の前にあった。

 グラトジエは少しも慌てず、呪文を唱えて矢の速さを緩め、わずかに頭を下げると、矢は彼の金の兜の上で金属的な音を立てただけで、腰を伸ばした時の彼は少しも傷ついていなかった。

 同時に彼は後ろ手に矢を放ち、タンマの兜の上の赤い房を射止めた。矢の力は衰えず、タンマの房を付けたまま飛んで行き、彼らの後方の、数本が抱き合った大木を真ん中から真っ二つに断ち割って、真っ赤な炎を上げた。

 タンマは毒の矢に直接傷ついてはいなかったが、強い毒気に当てられ、じっと座っていられず、落馬した。

 グラトジエはその様を見て、得意げに笑った。

 「お前たちは兵の数を集めた戦いしか出来ないのだろう。
  英雄と讃えられているそなたも名前ばかりのようだな。
  もう一本お見舞いしよう。もはやこれまでだ」