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塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来『ケサル王』⑫ 物語 神の子下界に降る

2013-07-23 02:40:37 | ケサル

「物語 神の子下界に降る」 その3

 
 
 地上では、老総督がタントン・ギャルポを砦の中に招き入れ、集会の間で、上師の前に深々と拝伏していた。
 「昨日の夜、上師が私の夢を通って行かれました。今日は、どうぞ私のために、そして苦海に沈みそうなリンの民のために、この夢を詳しく解いて頂きたいのです」

 タントン・ギャルポは笑った
 「よいだろう、私にうかつにも人の夢をかすめさせたのは、どなたかの仕業だろう。
  さて、少しは法力があるとはいえ、口が渇いたままでは夢を解くことは出来ぬ」
 
 老総督は自分の頭を叩いて言った。「水をお持ちするのだ」

 清らかに澄んだ泉の水が捧げされた。
 「いや、乳だ」老総督は手を振りながら言った。
 上師は口をすぼめて甘い泉の水をすすり、一息で牛乳を飲み干した。

 「このように長い道のりは、自分の足で一歩ずつ歩いて来たのではなくとも、腹の中にはいささか隙間が出来るものだ」
 「もう一杯お召し上がりください」

 「もうよい。さて、おまえの夢について語ろう」

 老総督は姿勢を正し上師の下座に座り、頭を深々と下げて言った。
 「どうぞご開示ください」

 上師はよく通る声で語り出した


 「ウォン、 宇宙の万物に本来生死はない
  ア- 、 だが、哀れにも生死を受け継いだ衆生よ!
  フム 、 その不可思議な夢を解こう。聞くがよい」

 老総督は夢の中で東の山に昇る太陽を見た。
 これは、リンがこの後、慈悲と知恵の光で照らされることの象徴である。

 空から降りて来た金剛杵。
 これは、天から降される英雄が、老総督の治める地に誕生することの象徴である。
 英雄はついにはリンと呼ばれる偉大な国を作るであろう。

 センロンが夢の中に現れ、その手には宝傘があった。
 これは、センロンが、天から降される英雄の人間界での父親であることの象徴である。
 傘の影が覆う広大な地域とは、英雄である息子が作り上げる国の広大な領域を象徴している。


 
 上師の言葉を聞いて、老総督はたちまち、目の前の霧が晴れ光明に満たされるのを感じた。

 この時、リンの各の首領は多くの供を率いて聳え立つ山脈を超え、悠々と流れる河と湖を超え、それぞれの方角から相次いで到着し、老総督の砦の前に集まった。

 威厳に満ちた砦は、山脈が弓のように湾曲した要に高々と聳えている。
 西北から豊に水を湛えて流れて来るヤーロン河は、ちょうど山の湾曲に対して弦のような真っ直ぐな線を描き、弓と弦の内側は花々が咲き乱れる、あくまでも平らな草原である。
 老総督の砦の前には人や馬が賑やかに行きかい、色とりどりの旗が立ち並び、ごとに張られた天幕が草原を埋め尽くしていた。

 人々は祭りの正装に身を包み、まるで花々が艶やかさを競っていかのようだった。

 天幕は河が描き出す巨大な半円に面して並び、中央の集会用の大きな天幕を囲んでいた。集会用の天幕は真っ白な雪山のように高く聳え、その上を覆う金の頂は朝日のように目もくらむばかりに煌めいてた。

 天幕の中には金銀の席が整然と並べられ、英雄の席には英雄としての威厳をいや増す虎や豹の毛皮が敷かれていた。

 砦の上から頭領たちを集会に召集するほら貝の音が響いた。

 巨大な天幕の中では、まず各の頭領が位に応じて席に着き、次に各の集落の長たちが相次いで席に着いた。
 徳望の高い年配者は上座に、勇猛を誇る若者は下座についた。まさに、人には頭、首、肩があり、牛には角、背、尾があり、地には山、川、谷があるように、それぞれの分に応じていた。

 すべての人が賑々しく序列に従って席に着くと、老総督は皆に向かって自分が夢に見ためでたい兆しと、タントン・ギャルポの夢解きの言葉を伝えた。

 喜びの知らせは、巨大な天幕からすべての民へと電光のように伝わり、リンの民たちはひと時喜びに湧きかえった。

 老総督は燃えるような目で天幕に並み居る者たちを一渡り見回し、厳粛で重々しい表情で言った。

 「皆は聞いたことがあるだろう。リンの外に出れば、東西南北どの方角に行っても、すでにそれぞれ自分たちの国を作り上げている。
  王宮は壮麗で、秩序は整っている。知恵を持つ者は深い思考から生まれた言葉を学堂で伝え、田畑では豊かで味わい深い作物が収穫され、牧場から溢れる乳はまるで尽きることのない美味な泉のようである。

 だが、我がリンの民は、毛がついたままの血の滴る生肉を食らい、自身の外と内にいる妖魔の悪行に翻弄されるばかりである。
 それはなぜか。
 神が我々を加護されないのではなく、我々の行いに神の加護を得るほどの資格がないからである。

 今日、リンの者たち、特に我々大きな天幕に易々と坐り、多くの民の命運を決めている者たちは、自を省みなくてはならない」

 皆は一斉にうなずき、顔を伏せ、黙って自分の心の内を省みた。
 
 だが、ダロン部の首領トトンのように納得しない者がいた。
 彼は独りつぶやいた。

 「それは、首となるものが最も重い責任を負うべきことだ。もし、わしがリンの総督になったら……」

 
 
 他のの首領は軽蔑をこめて彼を制した「しっ!」

 
 「その態度は何だ!わしを家畜だとでもいうのか」

 
 「もし人間であるのなら、総督様のお言葉通り、我が身を省みるべきではないか!」



 各の民たちは集会の大天幕の中で起こったざわめきを知らなかった。
 ただ、天界からついに救いの手が伸べられ、下界のいざこざや苦しみは終わりを告げるのだと、思いのままに歓呼の声を挙げるばかりだった。

 数万の民の喜びの声はそのまま雲を突き抜け天庭に届いた。天庭の入り口の雲の幔幕は歓呼の声に激しく揺らめいた。

















阿来『ケサル王』⑪ 物語 神の子下界に降る

2013-07-16 01:10:01 | ケサル

「物語 神の子下界に降る」 その2


 「総督にお答えします。タントン・ギャルポ上師の修行の地は西の方のはず!」

 総督は仕方なくその経緯をみなに伝えた。

 「ワシはたった今夢を見た。
 その夢はリンの祖先三代には想像さえ出来なかった。その夢はリンの子孫三代にも見ることはできないだろう。
 我々黒い頭のチベット人は恩恵を受けられるのだろうか。
 タントン・ギャルポ上師もまた夢に姿を現わされた。すぐさま上師をお迎えし夢を完成していただこう」

 「上師は本当に来られるのですか」

 「上師はすでにリンに来ておられる。上師は既にマジャポムラ神山に降臨された。一番良い馬を牽き、最も心地良い輿を用意し、急いで迎えに行くのだ」


 老総督は早馬と、鳥の群れのように喜び勇む使者を、それぞれ長、仲、幼三つの各に派遣し、首領たちに、その月の十五日、日と月が同時に空に現れ、雪山が金の冠を被った時、必ず老総督の砦に集まるよう要請した。

 その時、タントン・ギャルポは迎えを待たず、藤の杖を手に総督の砦に至り、その場で歌を作り歌った。だが、着飾った馬の隊列と美しい輿は彼の前を通り過ぎ、そのまま東の山へと急いで行った。馬の隊列が巻き上げた土埃と、馬上の勇士たちの鋭い叫び声がタントン・ギャルポの姿を覆い隠していたからである。
 埃が収まった頃には、馬の隊列は既に遥か遠くに進んでいた。

 彼はまた歌い始め、その歌は砦の議事堂ですべての用意を終えた老総督を引きつけた。

 老総督の慧眼は、一目見るなり、この人物の奇怪ながら秀でた風貌と、手にしている杖の藤が仙山から採られたものであるのを見抜き、そこで、進み出て尋ねた。

 「あなたこそ知恵にあふれたタントン・ギャルポ上師とお見受けしました」
 上師は身を起こし、砦に背を向けて去ろうとした。
 老総督は追うことはせず、古い賛美の詩を唱えた。

 
  太陽は招きを受けない客人
  もし暖かな光を衆生に浴びせなければ
  むなしく運行するのみで何の用をなすのでしょう

  
  慈雨は不意の客人
  もし広大な田畑を潤さなければ、
  四方に降り注いでも何の役に立ちましょう




 上師は振り向いて砦の荘厳な入り口に立っている老総督と顔を合わせ、ハハと大声で笑った。

 「既に機縁には訪れた。機縁は訪れた!」

 その声は大きくはなかったが、早くも天庭に届き、遥か遠くのパドマサンバヴァの耳にも伝わった。

 声が天庭に届くと、大神は、神の子ツイバガワの神としての寿命がしばし途絶えることを知り、そこで、神々を招いて彼のために最後の加持をさせた。

 声がパドマサンバヴァに伝わると、彼の心は大いに休まり、静かに座ってリンの未来に多くの祝福を贈った。

 その時、神が人間を救うには様々な教えがあったのだが、大神は言った。
 「すでに仏教の一派であるパドマサンバヴァがリンの民たちと縁を結んでいる。
 仏教をリンの永遠の教えとしよう」

 すぐに仏教の奉る神々が大神の前に呼び出された。




      * * * * * * * * * * * *




 なんと!こんなふうにリンの宗教は決まったのですね!
 と言ってもこれは阿来の描くケサルの世界ですが…

 何とも、あっけらかんとした決定ではないでしょうか。
 かえって、天庭には様々な宗教の多くの神々が行きかい、思いのままに時を過ごされているのでは、とゆかいな想像すら誘われます。

 そんな想像を促すかのように、ケサルには様々な神々が登場し、様々な風習が描かれています。

 その中でも、最も重要なのは山の神に対する崇拝ではないでしょうか。

 チベットには広い草原を囲んでたくさんの険しい山々が聳えていますが、その中に神の山と崇められる聖山がいくつかあり、そこには山の神がいて、厳しい自然の中で暮らす人々を守っています。人々は時には何日もかけて山の周りを巡礼し、香りのよい木を焚いて、空高く昇って行く煙を通して神と繋がります。

 タントン・ギャルポが降臨したのは、カム地方で第一の神山・アニマチェン雪山の神様マジャポムラの住む所だと思われます。
 この山はケサルの守護神であり、戦いの神であり、さらに、総督の弟即ちケサルの父・センロンはこの山の神ではないかとも言われています。

 パドマサンバヴァは初めてリンの地に向かう途中で多くのボン教の妖魔を倒しましたが、それらはみな仏教の守護神となりました。
 こうして、チベット仏教はボン教を取り込み、ボン教の神々はその中に受け継がれ、ケサルの中で、そして今でも活躍しています。

 それよりはるか昔、チベットでは氏族の繋がりを大切にして言いました。そのトーテム信仰も、ケサルの中のいろいろな場所で顔を出し、仏教が伝わる前からケサルの物語がこの地で語られていたことを確かに示しています。

 仏教の教えだけでは括れないところがケサルの面白さなのです。

 
 阿来は、作品の中で宗教をどう捉えているでしょうか。
 それを考えるのも阿来のケサルを読む楽しみの一つとなるでしょう。





阿来『ケサル王』⑩ 物語 神の子下界に降る

2013-07-11 22:06:19 | ケサル

[物語 神の子下界に降る] その1

 リンガを去った後、パドマサンバヴァはどうしたのだろうか。

 彼の心の中には後悔の思いが生まれていた。妖魔のたたりを恐れたのではなく、この倦怠感はあの無知で愚かな人々によるものだった。
 あの時、長い間菩薩を待ったが現れず、天庭を去り、自分の修行の場に戻るとすぐ、神の子ツイバガワがリンに降されるという知らせが伝わって来た。そうなれば、もう一度戻って世の中を驚かせるような働きをするのは不可能になる。
 だが、そうであっても、彼はあの地に行ったのであり、あの地の人々は彼が去った後も、そのさまざまな事跡を伝えている。これは、あの地の民が自分の忠告を十分に聞き入れず、自分が去る時にも心から引き止めなかったことへの後悔の表れなのだ、と彼には分かっていたのだが。

 パドマサンバヴァは言った。
「私はあの場所と確かな絆を結んだのだ」
 すると、どこからか声がした。
「何が確かな絆なのかね」
 彼は笑って答えなかった。
 だが彼には、百年後のリンの雪の峰々、藍を湛えた湖の岸辺に多くの壮大な寺院が聳え建つのが見えていた。それらの寺院の堂の中には、金色に塗られた自分の塑像が祭られ、充分な供養を受けていた。
 だが、彼は答えなかった。

 彼に尋ねたのは、ともに修行した師、タントン・ギャルポだった。パドマサンバヴァはタントン・ギャルポに言った。
 「リンガの民たちに伝えてください。まもなくリンに神の子が生まれると」
 「何故、自分で行かないのだ」
 「戻って来たことを後悔しているからです」

 タントン・ギャルポは軽く笑って、友の願いを受け入れた。

 長い長い時が立ち、リン国は消えてしまった。
 だが、リンの国がかつてあった地には戯曲の神が生まれた。
 その神もまたタントン・ギャルポと呼ばれている。

 二人のタントン・ギャルポが同じ人物なのかどうか、深く考えた人はいない。だが、タントン・ギャルポの行動はとてもドラマチックだった。彼が体を動かさぬ間に、強い念がリンに届き、誰もが彼が来ることを感じ取ったのだから。
 
 その頃のリンには数十のがあり、その首領の中でも位が高く徳を積み、人望があるのは老総督ロンツァ・タゲンだった。
 彼はの首領の中で最も傑出した者とは思われていなかったが、世の中の事柄にもっとも情熱を注ぎ、最も味わい深い人物として知られていた。

 その日、太陽が山に落ちるとすぐ、総督は床に就いた。大変疲れていたが、寝付けなかった。間の闘争、家族の間の権力を原因とする行き違い。これらは既に衰え始めた彼の体の中に隠されている闘志を刺激していた。法力の高いパドマサンバヴァがリンを去ったことも無念でならなかった。そのため、長い間酒を飲み楽しむ場所には出て行かなかった。
 彼はいつも自分に問うた。リンは本当に罪の深さのために苦しみの海に沈められたまま、永遠に神の光を浴びることは出来ないのだろうか。

 太陽が遥かに霞む西の地平線に沈むにつれて、彼の意識も徐々に朦朧となり、深い眠りに落ちて行った。
 だがすぐに目を刺すほどの光を感じた。西に沈んだばかりの太陽が強烈な光を漲らせながら東の空に昇り、それはまるで金の法輪が空で回っているようだった。
 回り続ける金の法輪の中央で、金剛杵が太陽の中央から降りて来て、そのままリンの中央のキギャル・タグリ山に刺さった。

 なんと不思議な日なのだろう。

 太陽はまだ空高く掛かっているのに、銀の盆のような月が天の頂に登って来たのだ。月は多くの星々に囲まれ、太陽と相照らし相輝き、その光はさらに広い地域をも明るく照らし出していた。

 総督の弟センリンが夢の中に現れた。
 センリンは大きな宝傘を手にしている。宝傘の巨大な影がリンの境界よりも更に広い大地を覆っていた。
 東は伽との境界のジャンティン山まで、西はタジク国のバンフ山まで、南はインドの北まで、北はホル国の塩の湖の南の岸まで。

 その後、ひとひらの彩雲が漂って来て、彩雲の上には上師タントン・ギャルポがリンまで訪ねて来ていた。
 タントン・ギャルポは天を漂いながら、総督に向かって言った。

 「総督よ、眠りをむさぼっていてはならない。早く起きるのだ。太陽にリンを照らして欲しいのなら、おまえに聞かせたい物語がある」

 総督が詳しく尋ねようとした時には、上師はすでに彩雲に乗って去り、東の草原の尽きる辺りのマジェポラの山に降りていた。
 ロンツァ・タゲンは夢から醒めると、すがすがしさを感じ、心の中のしこりはきれいに取り払われた。
 すぐさま、神山へタントン・ギャルポを迎えに行くよう命じた。





   * * * * * * * * * * * * 




ここに現れるタントン・ギャルポとはどんな人物なのでしょうか。
歴史の上では、1385年に生まれ1464年に亡くなった僧(ニンマ派からカギュ派に改宗した)で、
チベットのかなり広い地域に鉄の橋をかけて回りました。

その資金を集めるために歌と踊りの上手な人々に歌舞を演じさせたそうです。
それが後に改良されてチベット劇の前身となりました。
チャムと呼ばれるチベット劇の始祖とされています。
阿来の言うところの戯曲の神、ですね。

今でもチベット劇を演じる前にはタントン・ギャルポを描いたタンカに祈りをささげるとのことです。
その見た目は…ちょっと奇妙です。
白髪に白い髭白い眉、これは生まれた時にすでにこの姿だったとか。

パドマサンバヴァも吐蕃でサムイエ寺を建て、そこで歌舞を始めたということです。
パドマは8世紀、タントンは14世紀。出会うはずはありませんが、通じ合うものはありそうです。
阿来はわざわざ二人のタントン・ギャルポとしていますが、それは一種の目くらまし(?)。
ケサルの中の神々は時を超え空間を超え自由に出現し、賑わせてくれます。


◎今回、人名、地名の一部を宮本神酒男さんの「ケサル王物語」からとらせていただきました。



阿来『ケサル王』⑨ 語り部:めしいた目に射す光

2013-07-04 00:13:13 | ケサル

[語り部:めしいた目に射す光]


 羊飼いジンメイは夢の中で感動し、涙を流した。

 朝目醒めると、周りの荒れ草の上の霜が冷たい光を放っていた。
 頬の当たっていた羊の敷物の上には透明な氷の粒が貼り付いていた。それが自分の涙の結晶とは知るはずもない。氷の粒を摘んで口に含んでみた。歯は氷の冷たさを感じなかったが、舌は苦味を伴った塩の味を感じた。

 夢を思い出した時、それが自分の涙だと分かった。もう一度氷の粒を舌の上に乗せ、ゆっくりと味わってみる。それは水の中、岩の中、土の中、どこにでもある味だった。

 羊たちはいつも頭を岩の隙間に突っ込んでは、そこに湧き出した塩の粒を舐めている。毎年、人々は北の湖へと美しい結晶を掬い取りに行かなくてはならない。
 この味が体の中に入ると、力が漲って来るからである。もし食べ物の中に塩が足りなければ、村々は悪夢の中に陥ったように生気を失ってしまうだろう。

 高原の早朝の寒気は凛としている。
 だが、ジンメイは寒さを感じただけではなかった。ジンメイは村の降霊師を思い出した。

 村人たちはいくら考えても分からないこと、例えば牛や人が魂を抜かれて戻って来られるかどうか分からない時などに、降霊師を家に呼んで伺いを立てる。
 降霊師は飲み食いに満足すると、やっと部屋を暗くし呪文を唱える。体中を震わせて、すべてを知る神霊がその体に憑いたことを示し、人間とは思えないだみ声で言う。
 「牛は戻りはせぬ、三匹の狼に食いつくされた」
 「魂が抜け落ちたあの者は河辺を歩いている時、鬼神の怒りに触れたのだ。供えものをしてなだめさえすれば生気は戻るだろう」
 神霊が離れる時、降霊師はまるで堅い木のようにドスンと地面に倒れる。

 だが、ジンメイは震えるだけだ。
 これはまた別の神霊の降臨である。

 草原では夢の中で英雄物語を得た者を「神から授かった者」と呼ぶ。神が夢の中でその者に物語を告げるのである。
 ある時は、その神とは物語の主人公であり、人の世に降り来たって偉大な仕事を成し遂げ、偉大なリン国を建設した神の子ツイバガワ本人である。

 だが、羊飼いジンメイは夢の中で物語が徐々に進んでいくのを見るだけで、神が親しく降りて来て告げることはなかった。

 小さい頃、村に目の見えない語り部が来たことがある。この語り部が夢の中で見たケサルと呼ばれる金の鎧兜の神人は、より直截だった。
 鋭利な刃物でその語り部の腹を切り裂き、一冊一冊と書物を腹の中に詰め込んだのだ。
 目の見えない語り部は自分の腹が縫い合わされたかどうか思い出せない。ただ粉引き小屋のさらさらという水の音の中で目覚め、腹に傷跡がなかったことだけは覚えている。自分が書物の中の字を一つも知らないのに、頭の中ではすでに天にも地にも多くの兵馬が轟々と駆け回っていた。

 ジンメイはもう一度夢の中に戻りたかった。もしかして、物語を授ける神が姿を現すかもしれない。

 だが、ロバが寄って来て、ジンメイが頭からかぶっている羊の皮を口にくわえて持ち上げようとする。
 ロバがいなないた。ジンメイは言った。
 「もうちょっと眠りたいんだ」
 ロバはまたいなないた。
 「お願いだ、眠らせてくれ。分かるだろう」
 ロバはまたいなないた。
 「なんておかしな鳴き声なんだ。神様に嫌われるぞ」
 ロバは力を込めてジンメイの体から羊の皮を引きはがした。

 ジンメイはいやいや起き上がり、言った。
 「分かった、分かった」
 ジンメイとロバは村へ戻る道を歩き始めた。

 いつも風に当たると涙を流す左眼はもう何も見えなくなっていた。右眼を塞ぐと、ロバ、道、山脈はすべて目の前から消えた。ただ、色とりどりの光の粒が次々と連なって太陽の方向から差し込んでくるのが分かるだけだ。
 右眼を開くと、すべてのものがまたありありと目の前に現れた。

 来る日も来る日も、ジンメイはいつも通り羊の群れを追って山に登り、必ず訪れるだろう奇跡を待った。
 だが、そのどの一日も今までと変わりなく、山の峰の凍った雪が日を追って溶け、雪線が日一日と高くなり、雪解け水を受け入れる山のふもとの湖は見る間に豊かになっていった。
 だが、一度だけ開いた夢の中の門は、その後いつまでも開かなかった。

 ジンメイは目を閉じ、口の中でおじから教わったすべての音の源を唱えた。
 右眼を閉じ、すでにめしいた目で東から次々と届く光を迎え入れる。その光が目の前できらびやかな色彩へと変幻するのが見えたその時、ジンメイはあの言葉を唱える
 「ウォン!」

 そして心の中に想像の力によってあの文字を写し取る
 「口翁」

 だが、グルグルと廻り続ける色とりどりの光の粒の中に、神の姿は現れなかった。

 ジンメイは仕方なく羊の世話を続けた。
 夜山を下りると、時たま自動車が通る村の公道の傍らに雑貨屋があって、穏やかな刺激のビールと強烈な白酒を売っているのを見つけた。
 初夏の夕方、男たちは雑貨屋の前の草地に集まり、胃に酒を注ぐと、頭が膨張し、体が軽くなり、そうしてジオの中から流れて来る歌を歌い始める。

 その後で、誰かが英雄物語の断片を語り始める。

 ルアララムアラ
 ルタララムタラ
 今年、丁酉の年の暑い初夏
 上弦の月の八日目の朝、
 リンの国に吉兆が現れる。
 長系の高貴な鳳凰たち、
 仲系の知られたる蛟竜たち、
 幼系のワシや獅子たち、
 上は高貴な師から
 下は流れ来たった民まで
 一堂に集まり良い知らせを待つ、
 リン国に吉兆が現れる!







阿来『ケサル王』⑧ 神の子 発願

2013-06-29 11:08:56 | ケサル

[物語 神の子発願 ]

 久しく戻って来なかった観音菩薩が、ついにあの水晶の塔の後ろを廻って現れた。天庭の門まで来ると言った。
 「おや、あの者はどこへ行ったのだろう」
 だが、菩薩には理解に至らぬことなどない。いぶかしげな表情が眉のあたりまで昇って来た時には、口元にはすでに釈然とした笑みが現れていた。
 「あの者はなんと気の短いことか。待ちきれずに行ってしまうとは。惜しいことに、あの者は大神に会う機会を逃してしまった。まあよい。まだ機縁が来ていなのだろう」
 そこで菩薩は大神に会うため戻って行った。

 大神は微かに微笑んで言った。
 「もともと私は、まず彼を人間の指導者にしようかと考えていた。民を率いて妖魔を取り除き、四方を平定出来たら、もしかして、彼らは自ら人間たちの天国を作れるのではないかと考えたのだ。今思うと、私の考えはあまりに単純過ぎたようだ」

 菩薩は機を見て意見を述べた。その大意は、
 「失望するのは大神ではなく、リンガと呼ばれる妖魔が横行する地なのです。何故なら、様々な罪業のため人間の天国を作る機会を逃してしまったのですから。下界は広大です。大神が思い切って同じような実験をする場所は他にもあるのではないでしょうか」
 「お前ほどに修行を積んだ者が、そのような曖昧なことを言うのか」
大神はひどく残念だというように深いため息をついた。

 「ウォン」

 このすべての賞賛と呪詛の始まりである音が大神の口から発せられた時、菩薩は心の中で深いおののきを感じた。

 これは召喚の声でもあった。瞬く間に、天庭の中の神々がすべて大神の周りに集まった。
 大神の存在を示す強い息が揺らめくと、神々の足元の五彩の瑞雲が二つに分かれた。その下は依然として厚い雲が蠢き、その色は悲しみの灰色と憎しみの黒だった。
 大神の息がまた揺らめくと、下界の情景が現れた。大小さまざまな陸地が海の上に一つ一つ漂っている。海によって分けられた陸地、彼らが常に口にするいわゆる東西南北、上下左右のそれぞれの瞻部洲の姿が神々の前に現れた。

 一つの大陸では、万を越す人々が方陣を作り互いに殺しあっていた。
 また別の大陸では、多くの人々が皮の鞭で急かされながら運河を掘っていた。
 また一つの大陸では多くの優れた技を持つ者が集まって生きている皇帝のために巨大な墓を築いていた。大規模な作業場の周りでは、病と飢えで死んでいった職人の墓がすでに一面の畑を覆いつくしていた。
 また別の陸地の深い林の中では、隊を組んだ群衆が別の隊を追跡していた。その中の落伍者は焼いて食べられ、残った肉は干され、さらに続く追跡の旅の食糧となった。
 いくつかの大陸では、そこから逃れようとしている人々がいた。彼らの船は暴風で吹き飛ばされ、転覆していた。海中では船よりも大きな魚が身を躍らせて、水の中でもがく生きた人間を一口で飲み込んでいた。

 大神は言った。
 「みなの者、見ただろう。あれらの場所には次々と国が興っている。見るがいい。国と国はどうしてお互いに戦うのか、国が自分たちの民をどのように扱っているのかを」
 「誉れ高き神よ、リンも国を興すのですか」
 「もしかして、彼らは自らそう願うかもしれない。だが国を興そうと試みるだけで、それはまだ、本当の国ではない」
 「それで大神は考えられた…」
 「彼らに試させようと考えている。他とは違う国を興すことが出来るかどうか見てみよう」

 大神は暫く思案し、言った。
 「見た所、人の歴史はただ一つしかない。違う方向を見つけ出す方法がないのだ。魔物がいる時は、私たちの保護と助けを必要とした。魔物を退治すると、一つまた一つと国を建て始める。そして彼らはまたお互いに殺し合うことになるのだ」

 それから、大神はリンガの情景をみなの前に現した。悲しみ混乱した様子に神々は覚えず何度もため息をついた。大神が再び話し始めた時、眉間には皆を咎めるような表情があった。
 「私の手引きがなければみながこの状況を発見できなかったとは、信じられないことだ」
 神々は婉曲な非難を受け、何時になく悲しげな表情を浮かべた。

 ただ一人の名もない者、一人の若者だけが、初めの同情の表情から、この時、抑えられない悲憤を顕にした。大神は若者を近くに呼び、言った。

 「お前たちは、この神の子が下界で苦しみを受けている衆生のために心から憤っているのに遥かに及ばないではないか」

 神の子の両親は玉の階段の前に駆けより、息子を自分の体の後ろに隠し、言った。
 「息子は定力がいまだ具わらず、感情を抑えられないのです。ここにいらっしゃる神々をお責めにならないでください」

 大神は下を向いて言った。
 「下がりなさい」
 すぐにまた表情を変えて言った。
 「若者よ、私のそばへ来なさい」

 神の子は両親の手から逃れて、大神の前に進み出た。
 「ツイバガワは大神のお言いつけに従います」
 「お前はあの下界の苦難を見ただろう」
 「私はただ耐え難いだけです」
 「まことに耐え難いことだ。お前を下界に遣わし妖魔を滅ぼし衆生の苦難を救わせようと思うが、お前はそれを望むか」

 ツイバガワは答えを口にしなかった。だが、そのきっぱりとした表情がすべてを語っていた。

 「よし。ただし、よく考えなさい。その時お前はもう神ではなく、下界の一人の人間だ。生まれてから成長するまで、人と同じ悲しみと苦しみを経験するのだ。怖くないか」
 「怖くありません」
 「神の力を失って、人と同じように悪の道に落ちるかもしれない。そうなったら、再び天には戻って来られないのだぞ」
 神の子の母と姉の目からは、すでに涙があふれていた。
 「天界で暮していたという記憶も失うのだぞ」

 神の子は母の涙をぬぐい、兄のように姉を懐に抱き、彼女の耳元ではっきりと言った。
 「怖くありません」

 父親は神の子を懐に抱き言った。
 「愛する息子よ、お前は神々の前で、私に、これまでにない誇らしさを味あわせてくれた。そしてまた、毒と等しい悲しみを塗った刀を、私の心に突き刺したのだ」
 「父よ、リンガの苦しみの海にいる人々のために祈ってください」
 「そうだ、将来のお前の民に祝福を。すべての法力を使って加護し、お前の仕事を完成させよう。お前に危険が及んだ時には、助けを呼ぶお前の声をリンガから天に届けさせよう」

 天庭の大総督が言った。ツイバガワが人間界に降りた時、神々は大神に発願し、彼の父親に同じように勇敢な息子を授けるだろう、と。

 父親は夫人を伴って誓いを立てた。
 「その必要はありません。息子を覚えておくために、息子が天界に戻る力を失わないために、私たちはこれ以降、精力と神の血を使って新たに子を作ることはないと誓います」




阿来『ケサル王』⑦ 羊飼いの夢 2

2013-06-25 00:02:26 | ケサル

[語り部:羊飼いの夢] その2



 羊飼いのおじは断片しか語れない語り部だった。
 経の版木の彫り師で、百里離れた農村に住み、畑仕事の合間に寺の経本印刷所のために梨の木で経版を彫っていた。彼は庭の中央に胡坐をかき、スモモの木蔭で一刀、一刀掘り進み、木屑が指の間から漏れ、顔にはより深い皺が現れた。
 時には酒を飲んでリン国の大王ケサルの物語の断片を語った。始まりもなく終わりもない、ただの描写だった。物語の主人公がどのような宝馬に乗り、どのような武器を手にし、英雄を更に雄雄しく見せるどのような鎧兜を着ているか、どのような法術を使えるか。もし、少しの慈悲心もなければ、簡単にたくさんの人を殺した。

 「それから?」羊飼いは何回もおじに聞いた。
 「師匠はそれしか教えてくれなかった。他はわしには分からん」
 「じゃあ、師匠は誰に教わったんだろう」
 「師匠は夢で見たんだ。病気になって熱が出て、うわごとを言った。この物語を夢で見たんだそうだ」
 「もう少しちゃんとした夢を見られないんだろうか」
 「ジンメイ、しつこいぞ。はるばる遠くからやって来て、ロバの足まで痛めて、こんなばかげたことを聞きに来たのか」
 ジンメイは笑って答えなかった。

 畑の中のスモモの木のある庭で、ジンメイはおじが梨の木を膝に乗せ、ぶつぶつと言葉を念じながら、鋭い刃物で輪郭のはっきりした字を刻むのを見ていた。
 彼は家に入っていとこたちと一緒にいるのが嫌だった。高校生の女の子ははっきりと、彼の体中から漂う牧場の匂いを嫌だと言った。彼も不思議なのは、牧場にいる時はそんな匂いはしないのだが、視野の広がりのない村の中にいると、自分の体からその匂いが漂って来る。これは羊や牛たち生き物の匂いだと認めざるを得なかった。
 おじは言った。「ジンメイよ、匂いのことなど気にするな。暫くいたら慣れるさ」
 
 「帰るよ」

 おじは言った「がっかりしたのかね。おれの語りはまとまりがないからな。だが、それは師匠のせいだ。師匠が言うには、夢で見る時は完全なんだそうだ。目が覚めてしまうと、それほどたくさんは思い出せなくなってしまう。語れるのは、夢の半分の半分だそうだ」

 ジンメイはおじに言いたかった。自分もそんな夢を見ている、と。目覚めると何も覚えていない。何回も夢見ては、目が覚めるとそれですべて忘れてしまう。ただ、雪崩の音で目が覚めたあの一回だけは、完全な物語として始まりの部分を思い出したのだ。主人公はまだ登場していないが、それでも分かった。これが偉大な物語の始まりであり、だから、あんなに大きな雪崩で呼び覚まされたのだということを。

 夢の中で、菩薩は天庭に報告に行ったまま長い間何の音沙汰もなく、ジンメイは不安でたまらなかった。この夢を思い出して、先へ続けていこうとした時、もうその夢を見なくなった。だから百里という道のりを厭わず、ロバに土産物を積んでおじに会いに来たのである。

 おじは言った「お前、悩みごとでもあるのか」
 彼は何も答えなかった。あの秘密は守らなくてはならないと感じていたから。夢の中で見た英雄物語はみな神から授かったものだから。

 おじはスモモの木蔭に座り、少し体をずらし「ここに座れ」と言った。
 ジンメイが座ると、おじは経版を彼の膝の上に置いた。
 「刀を握って。こうやって握るんだ。真っ直ぐすぎる。斜めにして、刃を当てて、力を入れて、よしよし。そうやって、もっと、もっと。ほら、こうやって一つの字が現れるんだ」

 ジンメイはその字を知っていた。字を読めない多くの人もこれが字母表の一番初めの文字だと知っている。

 ある人は言う。文字とは人類の意識の根源である。詩の偉大な母である。世界をそよがせた最初の風のようである。氷河の舌先が溶けた泉の最初の一滴のようである。すべての予言の寓意であり、当然、すべての寓意の予言である、と。
 だが、おじが言ったのはそんなことではなかった。彫るのはただの技術であり、そのような奥深いことを言う必要はない。おじはただこう言った

 「ジンメイよ。この世にはあまりにもたくさんの人がいる。神様だってかまっていられない時がある。するとお前は気持ちが落ち着かなくなるんだろう。そんな時はこの文字を思い出すんだ」
 「だけど、まだ彫れない」
 「心を梨の木だと思えばいい。自分が刀を持っていると想像して、そこに一画ずつ文字を刻むんだ。この文字を想い、口にするだけで、後は、頭の中でそれだけがきらきら光るようになる。そうしたらお前の心は落ち着くはずだ」

 帰りの道で、ジンメイはロバに言った「今この文字を思い浮かべているぞ」
 この文字を口にした時の音は「ウォン!」。この音が起こると、碾き臼や風車や織物のはずみ車やマニ車や、たくさんの回転するものが一斉に回り始める。すべてのものが回り始めると、すべての世界が回り始める。

 ………

 その夜、彼はほら穴で野宿した。ロバは入り口で草を食んでいた。
 近くの地面では、月の光が水のように流れていた。遠くでは、月の光はまた姿を変え、霧のように立ち込めていた。このような夜、周りよりほんの少し高い山の上は、夢を見るのにふさわしい場所に思われた。
 寝る前にあの文字を心に念じた。だが、朝目覚めた時、夢を見ていないのに気付いた。

 ……… 

 次の夜、村のはずれの小さな丘で夜を過ごす場所を探した。
 その丘は禿山で、鉄塔の下で夜を明かすしかなかった。鉄塔の基礎の部分は風をよけるには良い場所だった。
 少し寒く、何か温かいものを腹に収めたくて、小さな火を起こし、茶を沸かし、肉を炙った。村で酒を用意して来なかったのを後悔した。このような場所で夢を見るつもりはなかった。

 見た所、ここは夢を見られるような場所ではない。小さな丘は荒涼として、見下ろす小さな村には眩しく落ち着きのない光が瞬いていた。それより面白いことに、遮るもののない横風が吹いて来て、鉄塔がめまいで頭がくらくらする時に感じるウォンウォンという音を発していたのだ。
 羊の敷物の下に身を丸め、星空に向かって聳える鉄塔を見上げて、彼はなかなか寝付けなかった。

 この塔のおかげで小さな村の人々はラジオを聴きテレビを見ることが出来る。郵便局へ行って電話を掛けることが出来る。電話を掛ける時、大きな部屋の中にたくさんの小さな部屋があり、人はその小さな箱のような所に入る。受話器をもって話す時、手を振り足を踏み鳴らし、表情は豊かなのだが、話す相手は目の前にいない。
 文字、言葉、単語、これらのものがいっしょくたになり、低い鼻歌のような音に変わる。ただし、この鼻歌のような音がめまいを起こさせるのだ。

 この音の中で、すべての言葉の始まりであるあの文字を思い浮かべたくなった。文字は、だが、すべての話し言葉を集めて響くウォンウォンという音の中ではなかなか現れなかった。
 彼は敷物を引き上げ、頭からかぶって、星の光と音を外に追いやった。

 思いがけず、彼はここで、続きを見ることのできなかったあの夢を見た。
 始め、鉄塔の突端から水晶のように静かで透き通った光が放たれるのを見た。その光はどんどん強くなり、どんどん潤い、美しく澄み渡って行った。

 もともとこの塔はこの世の塔ではなくあの世の塔であり、天庭の水晶の塔だった…

 やはり、名づけようのない焦りがあった。
 ただ、今回の焦りは、突然何者かによって目覚めさせられるのを恐れてのものだった。











阿来『ケサル王』⑥ 羊飼いの夢 1

2013-06-20 12:24:17 | ケサル

[語り部:羊飼いの夢] その1

 そう、焦りだ。

 雲は漂い流れてく。いらいらする。
 羊飼いはすでに何度もこの夢を見た。毎回ここまで来て、最も誉れ高い菩薩が天庭の門の中に入ってしまうと、物語はもう先に進まない。夢の中でも、自分が焦りを抱いているのは分かっていた。
 夢の中だからこそ分かっていた。今いらいらしているのは、天庭の門の前で行ったり来たりしながら知らせを待っているあの人物ではなく、自分自身が夢の中の物語に新しい進展があるのを待っているのだということを。

 夢の中で、彼は天庭の奥を覗き込み、きらきらと透き通った玉で出来た階段が斜めに上に向って連なっているのが見えた。近くは頑丈で、高い所へいくほど軽く柔らかそうに見える。
 その先、階段は雲の中に消えるのではなく、まるで自身の重さに耐えかねたかのように、高い所で突然落下する。それは視線の落下する場所でもある。

 夏の牧場が尽きる所、彼は海抜五千メートル以上の雪と氷の兜をかぶった神山に登ったことがある。
 頂上では視線はこのように突然断たれ、山の地勢は突然前へ傾き、その断崖の下に雲と霧が沸き立っていた。雲と霧の向こうはもう一つの世界である。この世ではなく、あの世。だがあの世がどのようなものなのか、この世では見る方法はないだろう。

 夢の中で、彼は何かの暗示を受けたかのようだった。時が来たら、あの世界は彼の目の前で轟然と開くだろう、と。
 「轟然と開く」。彼の頭の中に本当にこの言葉が現れた。現実の世界では、彼は文字の読めない愚かな羊飼いである。だが最近、夢の中では知性を備えているようなのだ。いや、いらだちながら夢の中の物語が進行していくのを待っているその時に、突然頭の中に、本の中にのみにある高尚な言葉が現れて来るのだ。頭の中にこの言葉が現れると、世界は本当に轟轟と言う音を発した。


 それは夏の日に、氷河が溶け出し、切り立った山の石ころだらけの瀬を流れて来る洪水の音である。この音で彼は夢から目覚めた。目を開けると、地を這う柏に覆われた風の当たらない丘の後ろで眠っていた。
 羊の群れは周囲の草地に散らばって、舌を伸ばして柔らかい青草をむさぼっている。羊たちの鼻は絶えずひくひく動き、そよ風の中のさまざまな香りを捕らえては、鼻の奥の薄紅色をのぞかせている。
 彼が起きたのを知り、羊たちは生まれながらの悲しげな顔を上げて、彼に向って叫んだ。

 めえー

 この時、夢の中で持っていた知性はまだ薄れていなかった。そこで、彼の心の中に一縷の悲しみが湧きあがった。夢の中で魔物に駆り立てられる人々の群れが思い起こされたからである。

 彼は空を見あげた。そこには何かの啓示が隠されているかのようだった。
 この時、さっき夢の中で響いた音が、再び轟々と響いて来た。まるで、万を超える大軍が遠くから押し寄せて来るように。
 顔を上げると、自分がこの世界の果てにいた。神山の頂近くの緩やかな斜面では、厚く積もった雪が大きく口を開け、鈍色の岩山から分かれて行った。厚い積雪は低い音を轟かせ、ゆっくりと下へ滑って行き、断崖まで来ると更に大きな音を轟かせた。重いものは下へ落ち、軽いものは上へ飛ばされた。
 最後に強い気流が直接彼の前へ襲い掛かって来た。

 清涼で真新しい空気が、眠気でぼんやりしている彼を完全に目覚めさせた。これこそ彼が待っていたなだれであり、夏が本格的にやって来たのを告げていた。周りの草地では紫色のリンドウが開き、アザミの群れは綿毛を伸ばした茎の先端に大きなつぼみを結ばせていた。

 彼はそんな花たちをほとんど気にかけなかった。
 一人の羊飼いとして彼が思ったことは、雪崩の危険が消えた後、明日、羊の群れを山のふもとにより近い場所に連れていくことだった。そこでは牧草はすでによく茂っている。
 雪崩の音は、少しの間羊たちを怖がらせた。
あの
 彼は何かを思い出し、空を流れる雲を見上げ、突然理解した。あの夢を思い出したのだ。

 いつもは目が覚めると、見た夢はすっかり忘れてしまい、ただ焦りの感覚が心のどこかに残っているだけだった。
 空の片隅に懸かる黒い雲の塊のように。

 この日彼は突然自分が見たあの夢を目にした。この土地で遥か昔に発生し演じられてきた物語を。
 演じられるだけでない――草原で、村で、千年以上にわたって、語り部が絶えることなくこの物語を語ってきた。
 彼も、ある一人の英雄の物語『ケサル王伝』を何度も聞いた。だが、今まで、彼の出会った語り部はあまりよい語り部とは言えず、偉大な物語のほんの少しの断片を語ることが出来るだけだった。
 聞くところによると、遥か彼方の地では特異な天性を持ったわずかな人たちがこの物語を完全に歌えるという。だがそれも聞いただけのことだ。彼はこの長い長い物語のいくつかの生き生きした断片しか聞いたことがなかった。

 今彼は夢の世界を思い出し、それはあの偉大な物語の始まりの部分、これまで聞いてきた英雄物語の断片の始まりの部分だと知った。

 目の前の世界はこんなにも静かだ。
 だが彼は、ゴロゴロと轟く雷の音をはっきりと聞いた。雷に打たれたように全身が振るえ、汗が雨のように流れた。

 どんな力が彼にあの偉大な物語の始まりを見せたのだろうか。
 多くの語り部たちはこの物語の始まりを見つけ出せなかった。始まりがなかったので、彼らは断片しか語れず、偉大な出来事の全体の姿を知ることはなかった。縁起と過程と終局を。
















阿来の描くパドマサンバヴァ

2013-06-15 13:15:23 | ケサル

 パドマサンバヴァは8世紀後半ごろの人、チベット密教のニンマ派と呼ばれる宗派の開祖で、グル・リンポチェという尊称によって、人々から崇められています。

 ウッディーヤナ(今日のパキスタンあたり)の徳のある王が、民に分け与えるための宝を手に入れて帰る途中、孤島の蓮の花に座っている童子を見つけます。父母について尋ねると、「無生法界を家とし、煩悩の消滅を目的とする」と答えます。王は連れ帰って自分の息子とします。 八歳と思われるこの子が後のパドマサンバヴァです。

 このまま王位に就いては衆生を救えない、と考えた童子は、裸に骨の首飾り人の皮の太鼓を持って踊るという奇怪な行動にでます。その時手にしていた矛を落として大臣の息子を死に至らしめ、国の東の墓場へと追放されます。

 墓場に送られて来る死体の皮を衣とし、死肉を食物とし、嬉々として修行にはげみます。
 時には、悪の道に落ちた人々を救うため、蛇を頭に巻き付けトラのパンツを履き、彼らの肉を食べ、血を飲み、出会った女性すべてと交わるといった忿怒の法を行い解脱させたりします。

 その後もいくつかの墓地で修行を続け、とうとう力を備えた瑜伽士となり、馬頭明王になります。 

 パドマとは蓮の花の意。蓮の花から生まれたのでパドマサンバヴァ。サンスクリットではペマカーラと呼ばれます。

 その名を聞きつけた吐蕃のティソン・ディツェン王から、妖魔調伏のため招かれます。王のもとへ向かう途中、多くの妖魔と出会い、忿怒の姿となって戦い、妖魔たちを仏教の守護神へと調伏していきました。

 吐蕃に入ってからは、サムイエ寺を建て、ヴァイローチャナをはじめ多くの僧と協力して膨大な経典を翻訳し、仏教を広めていきます。
 こうして、惜しまれながらも、次の目的、羅刹を調伏するため去っていきました。
 吐蕃にいた時間は50年とも、半年とも言われています。

 ケサル王はパドマサンバヴァの生まれ変わり、とチベットの多くの人たちは信じています。


                   *


 阿来が描くパドマサンバヴァは少し違っています。

 天の神から、妖魔に苦しめられているリン国の様子を巡視する役を仰せつかり、途中妖魔を調伏しながらリンへと赴きます。
 リンの地でも、望まないながら妖魔と激しく戦います。
 パドマサンバヴァの戦いの姿が怪しく生き生きと描かれます。
 まるで忿怒の姿に化身したタンカを見ているようです。

 使命を終えた後のパドマサンバヴァは、はしゃぎ、戸惑い、神を畏れ、と、とても人間的です。
 この時はまだ、神の列には加えられていないからでしょう。
 ティソン・ディツェン王に招かれた歴史とは別の、遥か昔の、初々しい行者の姿が目に浮かびます。

 天の庭の前であまりに長い時間待たされて、パドマサンバヴァは心に焦りを覚え、ついに、菩薩の現れるのを待たず、修行の場へと帰ってしまいます。

 このやり場のない心の揺れは、時空を超えて、この物語のもう一人の主人公、語り部を目指す若い羊飼いジンメイへと伝わり、彼の焦りと重なり、物語が進んでいきます。

 ここまでの「縁起」は中国語版の『ケサル全伝』にはない部分です。
 阿来がここで描きたかったのは何なのか。かなり重要な意味が含まれていると思われます。
 野の馬と家の馬、人の心に住む妖魔、パドマサンバヴァの心の動き…
 まだまだ始まったばかり、ゆっくり考えながら進めていきたいと思います。

 ここからは、若い語り部の物語と、ケサルの物語が交互に展開されていきます。

 まずは、「ケサル」の重要な担い手である語り部の物語から。





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何度かご紹介した宮本神酒男さんのホームページが、ものすごい勢いで進んでいます。
ご自身のケサル物語への想いも熱く語られています。
これまで蓄積された知識とともに、一気に溢れ出した言葉に圧倒されます。
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阿来 『ケサル王』⑤ 縁起2-3

2013-06-11 03:35:24 | ケサル
[物語:縁起2] その3



 パドマサンバヴァは神ではなかった。
 未来の神だった。

 今はまだ、敬虔な苦行によって深遠な力を得た、ただの人間だった。
 敵を打ち破る多くの法具を身につけ、強い法力を持った呪いの言葉を蓄えていた。
 自由に天庭に登ることは出来なかったが、天庭の入り口に行くことは出来た。そこでは衆生の苦難を済度する観世音菩薩が、彼がリンガを巡視した時に目にしたさまざまな状況を報告に来るのを待っていた。
 その後で、菩薩は彼の伝えた状況を更に上へと伝えることになっている。

 パドマサンバヴァは鵬に乗ってリンガを去り、天上に向かった。

 初め、彼はめまいを感じた。鵬の背には美しい羽毛の他には掴まる所がない。虚空から落ちてしまうかもしれない。暫くして、自分も光に乗って空高く飛べるのだと思い出した。恐れを抱いたのは、たった今救い出したばかりの人々を思い、心が落ち着かなかったからである。

 ほんのわずか呼吸を整えただけで、鵬の背も怖くなくなった。乱れた長髪がたなびき、頭の天辺と耳元をかすめる風がヒューヒューと音をたてた。

 彼は、傍らを飛んでいく雲を掴み取り水分を搾り出してから、大小さまざまな吉祥結びを作り、地上へと落としていった。
 彼はすでに高い法力を身に着けていたので、彼が将来神になった時には、これらの吉祥結びの落ちた場所は、奇跡の現れる場所となるだろう。

 上方から笑みを含んだ声が伝わってきた。
 「そのようにしておけば、これから先の人々は、いつでもどこでもお前を思い起こすことが出来るな」

 パドマサンバヴァは、ただ一時的に興が乗って、心の赴くままに雲を掴み取り、手の動くままに吉祥模様を結び、撒いてみただけである。
 それを天上の神々から、故意の行いと受け取られ、思わず不安に駆られ、すぐさま鵬を止まらせ、その場にかしこまって言った。
 「私はただ気の赴くままに…」

 上からは何の声もなく、意味ありげな沈黙があるだけだった。
 パドマサンバヴァは少し後悔した。「それでは、拾い集めてからまたご報告いたします」
 「よい,よい。人間界を抜け出して、さぞうれしかったことだろう」
 鵬の背の上のパドマサンバヴァは、ほっと長い息をついた。
 
 菩薩は言った。
 「楽にして降りて来てなさい。少し話をしよう」
 何もないところでどうやって降りるのだろう。
 「私が降りろと言うのだ。安心して降りて来なさい」

 菩薩が笑いながら手を振ると、空の青は水の青に変わり、打ち寄せるさざ波の合間に、大きな蓮の花が次々と姿を現し、彼の足元までの道を作った。
 蓮の花を踏みながら進んでいくと、馥郁たる香りに襲われて、歩いているのではなく、立ち昇る花の香りに身をゆだねているうちに菩薩の前まで運ばれたかのようだった。

 菩薩は優しい言葉で慰めた。
 「疲れたことだろう。妖怪たちは本当にあしらいがものだから」
 この暖かいなぐさめを受けて彼はかえって自分を責めた。
 彼は言った。
 「恐れ多いことです。あまりにたくさんの妖魔に会って、少しうんざりしてしまいました」
 菩薩は笑って
 「ははは、それは愚かな者どもが善悪をわきまえていないからだろう」
 「天の上から総てをご覧になっていたのですね」
 彼は考えた。
 「では、どうして私を巡視させたのでしょう」
 
 菩薩はふっくらとした柔らかい手を振り、言った。
 「天の意志をすべて推し量ることはできない。天の庭で永遠に過ごすことになったら、お前も分かるだろう」

 それを聞いて、パドマサンバヴァは感激した。
 「はい。私は必ず十分に功徳を積んで参ります」
 菩薩ははっきりと言った。
 「そうだ、人が神になるには十分な働きをしなくてはならない」


 菩薩は更に言った。
 「お前がリンガで見聞きしたこと、したこと、考えたことは細かく述べる必要はない。下の世界で起こったことは、上ではっきりと見ることができる。すでに起こったことが見えるだけではなく、これから起こることもすべて分かるのだ」
  パドマサンバヴァは言った。
 「それならいっそ下の民たちの困難をすべて解決したらいかがでしょうか」
 菩薩の表情がさっと厳しくなった。
 「天上の神々は彼らに対して手助けと手ほどきが出来るだけだ」
 「それなら、私をもう一度戦いに行かせてください」
 「お前はすでに使命を果たした。お前の功徳は、輪廻から抜け出し、人間から神になり、天の庭に列なるのに十分だ。これ以後、お前はその高遠な法力で雪山に暮らす頭の黒い民衆を守ればそれでよい。自ら妖魔と戦わずともよい」

 菩薩は言い終わると、身を翻し、桃色の祥雲を踏んで飄然と天庭の高い門の中へ入って行った。

 パドマサンバヴァは何本もの線香が燃え尽きるほどの長い時間待っていたが、菩薩は戻ってこない。
 しばらく経つと、彼は耐え難くなった。

 菩薩は彼に待つようには言われなかった。待たなくてもよいとも言われなかった。
 かといって、今天庭に入ってよいとも言われなかった。

 彼は心に焦りを感じた。

 修行を終える前の気短な性格のまま、パドマサンバヴァは鵬の背に乗り、真っ直ぐに以前修行した深い山の中へと帰って行った。






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ドキュメンタリー『ケサル大王』

次回の上映会は名古屋です。
6月20日、21日 19時開演
名古屋・シネマスコーレ

モンゴルに伝わる『ゲセルハーン』の研究を続ける藤井真湖さんと、
ケサル物語の素晴らしい訳に取り組む宮本神酒男さんが登場します。

詳しくは http://gesar.jp/ でご覧下さい。




宮本神酒男さんのケサル研究
多方面にわたっていて、ケサルの物語と共に目が放せません。
http://mikiomiyamoto.bake-neko.net/gesarcontents.htm

















阿来 『ケサル王』④ 縁起2-2

2013-06-08 02:05:55 | ケサル

[物語:縁起2] その2


 パドマサンバヴァは途中様々な人間と出会った。農夫、羊飼い、木工、陶工、そして呪術師。
 人々はそそくさと彼を追い越して行った。人々の強張った、そして似かよった笑い、木の人形のような歩みを見て、これらの人々はみな魔物の呼び出しを受け入れたのだと分かった。
 彼は一人一人肩を揺り動かし、大声で呼びかけた。自分の来た道を戻るようにと。だが、その言葉を聞く者はいなかった。
 この地に来たばかりの時なら、飛び出して行って魔物たちと一暴れしただろう。だが、この時彼は神々の元へ帰る途中で、疲れ果てていた。すべての魔物を打ち負かすことができないのはあきらかだった。大声で呼びかけた人々もまた、それで目覚めることもないだろう。
 そこで彼は、この後世に伝わり、しかも、千年後にはより多くの人々に共感されるようになる言葉を口にした。

 彼は自分に対して言った。「見ぬもの清し」

  ………

 パドマサンバヴァは、好奇心に負けて人々に着いて行き、青い湖に着いた。そこはかつて三匹の妖魔と戦った場所だった。
 戦いでは神通力の助けを借り、湖のほとりの小さな丘を、一つまた一つと持ち上げては山の麓へ投げた。その大きな岩の塊が起こした強い振動のため、三匹の魔物は隠れていられなくなり、一匹は地下で死に、残りの二匹は重い岩の下に押しつぶされた。
 今、形を変えられた湖岸には、まだ大きな岩が散在していた。当時それらの岩は黒々としていたが、風に吹かれ日に晒され、岩の表面に赤茶けたしみが浮かんでいた。

 これを見て彼ははっと気付いた。この地に来てからすでに長い時間が経ったのだ、と。一年、二年、いや三年になるかもしれない。
 ところが、当時彼が妖魔を鎮めた地の湖に、また新たな妖魔が現れていた。

 その妖魔とは巨大な蛇だった。大きな体を水の中に深く沈め、湖の真ん中で方術を縦にし、伸ばした長い舌を真っ赤な花が咲き誇る美しい半島へと変化させていた。半島の突端では、妖艶な女性が大きな胸を手のひらで支えながら空中を漂っている。

 大勢の人々はこの怪しい女性の歌声に誘われてやって来たのだった。引き攣った笑いを浮かべていた顔が、熱狂のためか生き生きとして見える。もし彼らにほんの少し意思が残っているとしたら、それは、血と肉からなる自らの体を巨大な蛇の舌から直接魔物の口の中へと進めて行くためのものだった。


 パドマサンバヴァは石の上に飛び乗り、大声を挙げてこれら魔物の誘いに赴く者たちを止めようとした。
 だが、誰一人、砂時計の砂一粒が落ちるほどのわずかなためらいさえ見せなかった。彼の叫び声は天空を漂う裸の女を更にしなやかに怪しく歌わせただけだった。かといって、空中の雷を集めて大蛇を攻撃することもできなかった。なぜなら群れなす人間がすでに大蛇の舌の上を歩いていて、これらの人々を蛇もろとも傷つけてしまうことは出来ないからである。

 大蛇は彼が手を出さないと知ると、太い尾を湖の対岸に高く挙げ、生臭い風を立てながら挑発するかのように揺り動かした。
 彼が唯一出来ること、それは空に舞い上がり、自分の悲惨な運命に向ってうれしそうに急ぐ人間たちを飛び超えて、大蛇の口が変化した竜宮の門に立ち塞がることだけだった。心を落ち着かせかかとに力を込め、呪文を唱えると、恐るべき速さで体を膨らませ、大蛇の大きなに口入り込み、力を込めてこじ開け、更に膨らんでいった。
 大蛇は抵抗し、湖を揺るがせて天に届くほどの巨大な波を起こした。花と草は姿を消した。口に戻そうとした巨大な舌からは人々が次々と水の中に投げ出された。

 天地を振るわせる大きな音とともに、パドマサンバヴァが変身した巨大な体はついに蛇の頭蓋骨を引き裂いた。
 彼は神通力で蛇の亡骸を岸に投げつけると、巨体はうねうねと続く山脈へと変わった。

 パドマサンバヴァが振り向いた時、血の色に染まった湖が、あがいている人々を飲み込もうとしていた。
 彼は一言叫んだ「立ちあがれ!」
 叫びながら、沈んでいた多くの人を岸に上げた。

 さらに、生き返りの術を使うと、砂浜から多くの人々がゆっくりと立ち上がった。その時、彼らの顔に初めて驚きの表情が現れた。その時やっと、逃げなくてはならないと気づいた。
 だが、彼らの足のどこにそんな力が残っているだろう。彼らは地に寝転がって泣き始めた。パドマサンバヴァは彼らに泣く力を与えた。彼らの涙を集める必要があったからである。

 こうして、霰のように、彼らの涙が蛇の血によって穢された湖へ降り注いだ。
 涙の中の塩は湖に溢れた血の穢れを吸い取り、涙の中の青い悲しみがあたりに満ち、湖に充満した暴虐な気をことごとく吸い尽くした。

 パドマサンバヴァは鳥の群れを呼び寄せて木の上で歌わせ、禍から生き残った人々を慰めた。これを聞いて人々は喜び、再び立ち上がり、力を奮い立たせて家へと戻る道を歩き始めた。

 人々は、自分の牧場へ、ハダカムギとカブを植えた村へと戻るだろう。
 陶工たちは窯に戻り、石工は採石場に戻り、皮細工師は戻る途中に皮を柔らかくする芒硝を取りに行くだろう。

 パドマサンバヴァは知っていた。彼らがこれから進む道は決して順調ではないことを。強盗に遭うかもしれないし、祟りに遭ったりするかもしれない。
 河の曲がる辺り、谷間、道の折れ曲がる辺りでは、運命を把握できない人々が走り回っていた。彼らはみな同じ世界で似たような危険に向き合っていた。


 そうではあっても、パドマサンバヴァは最も喜ばしい言葉で彼らのために祝福を唱えるのだった。









阿来 『ケサル王』③ 縁起2

2013-06-04 19:23:52 | ケサル

さて、改めて、阿来の『ケサル王』の世界をゆっくり楽しみたいと思います。

[縁起1]で構築された世界の中で、物語は始まります。人間の果てしない苦悩、それを見守る天の大神。
今回はその大神に選ばれたパドマサンバヴァが大活躍します。


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[物語:縁起2] その1


 ある日、神々は天宮を出て虚空をふわふわと漂い、思い思いに楽しんでいた。
 その時、リンガの上空に悲しみの雲が次々に起こっているのを見て、神々の乗り物である獅子や虎や龍や馬はみな鼻をひくひくさせ、下界から伝わってくる恨み悲しみの匂いを嗅いだ。
 ある神が言った。「妖魔鬼神に対する方法は沢山あるのに、彼らはどうしてそのうちの一つの使い方も分からないのだろうか」
 大神もまたため息をついた。「妖魔に追い詰められれば、人は自分で方法を考えだすだろうと思っていたのだが、彼らには無理なのかもしれない」

 天の庭ではすべての神が具体的な姿を持っているのだが、すべての「果」の最後の「因」である大神だけは、形を持たない。大神はただ息だけである。強弱思いのままになる一種の息である。

 天上の神はみな派に分かれているが、大神はすべての派の上にあった。
 「では、彼らを助けましょう」
 「少し待とう」大神は言った。「私はいつも思っている。彼らは方法を考えつかないのではなく、考えたくないのだ」
 「どうして考えないのでしょう」
 「まだ話の途中だ。彼らが方法を考えないのは、私が神々を遣わせて救いの手を差し伸べるのを待ち望んでいるからではないだろうか。もう少し待って、この想いを断ち切ったら、彼らは自分たちで考えるかもしれない」
 「それでは、もう少し待ちましょう」
 「待っても無駄かもしれない。だがやはり待ってみよう」

   ………


 神々は天から地上の様子を見て、言った「人間には、妖魔を消滅させる神が必要です」
 大神は言った「そうであるなら、妖怪を鎮める法を知っている者を行かせて状況を見させ、それから追い払うことにしよう」

 こうして、ある国から強い法力を持つ人物が出発した。

 方術を身につけたパドマサンバヴァは光線を様々に変化させることができた。彼は水のような光を一束とって、木の枝のように手の中で振り回した。早く行動しなくてはならない時は、光を御して飛ぶことができた。そこで彼は瞬く間に、多くの山脈に囲まれた勇壮な高原にやって来た。
 彼は自分がこのように勇壮で美しい景色を好んでいることに気づいた。

 遥に続く山脈の上に絶えることなく起伏する峰々は雄獅子が走っているようであり、高原の中央を抜けるいくつかの大河は澄んで豊かに流れている。河の流れと山には湖が散らばり、あくまでも青く静かで、まるで宝石のようにきらきら輝いている。
 このように美しい場所にありながら、人々は耐え難く辛い生活を送っているのである。

 パドマサンバヴァは自らの高い法力によって、途中妖魔を降しながら、天の神の指示にあったリンカの河や丘を巡視して回った。彼は多くの場所を通ってきたが、まだ足を踏み入れていない広い場所がたくさんあった。多くの妖魔を降伏させたが、だがそれは、更に多くの妖魔を誘い出しただけのようだった。彼は強い疲労感を覚えた。妖魔の数と法力は彼の想像をはるかに超えていた。
 更に彼を疲れさせたのは、多くの場所で人と魔物が分けられなかったことである。


  ………


 幸いなことに、彼は巡視の使命を受けただけであり、妖魔をすべて消滅しなくてはならないわけではなかった。
 そこで、彼は戻って神々に報告することにした。

 この時、魔鬼に痛めつけられ、この辛い境遇におとなしく従っていた人々の間にうわさが広まっていた。
 「神がわれわれを助けに来てくれる」
 
 良い知らせも人々を喜ばせなはしなかった。逆に恨みの声を引き起こしてしまった。
 口をつぐんでいられない年とった女が、おいおいと泣きながら罵り出した。
 「くそったれ!神様は私たちをほっぽりばなしにして、どれだけ時が経ったっていうんだ」
 「あいつらって誰だ?」
 「悪魔の兵帯になった亭主のことじゃないよ。人間の苦しみを忘れちまった天の神様たちを恨んでるんだよ」
 「何てことだ!口を慎むんだ。神様に失礼じゃないか」
 「なら、どうして神様は救いに来てくれないんだい」
 こうして、彼女を責めた者の心にも恨みが生まれ、大きな悲しみの声をあげた。

 妖魔は腹を抱えて笑い、盛大な人肉の宴を催した。
 真っ先に食べられたのは、噂話を流したおしゃべりな者たちだった。よけいな話をした罪により、宴席の酒の肴になる前に、舌を切られ、鮮血は様々な器に盛られて祭壇に並べられ、多くの邪神に捧げられる供物となった。
 妖魔は一部の人間を食べたが、まだ食べ切れない人間がたくさんいた。まだ食べられないでいる人々は、舌を失い後悔と苦痛でワーワーと泣いた。鳴き声は人々の胸を掠めていった。
 それは一筋の黒い悲しみの河のようだった。

 どのような人でも、一旦このような鳴き声に囲まれてしまったら、心の中に芽生えた希望もあっという間に失ってしまう。

 空を見上れば、そこは、絶えず流れていく根のない雲の他は、静かで空洞な青である。愁いと絶望を美しさに変える青である。
 時には、詩人の気質を持った人物が現れて、このような青を歌いたいと思うかもしれない。空の青を歌いたいのか、それとも心の中の絶望を歌えいたいのか分からないとしても。
 それでも、ひとたび歌えば、愁いは凌げるものとなり、絶望の中にいても絶望を感じないですむようになる。

 だが、妖魔は歌うことを許さなかった。彼らは歌の力を知っていて、真心を動かすことのできる歌声が天の庭に届くのを恐れたのである。
 彼らが煙のような呪いの言葉を撒き散らしたので、目に見えない灰色のものがあっという間に空中に蔓延し、人々の鼻とのどから入り込んでいった。見えない灰色を吸い込んだ者は呪われた者となった。
 彼らは歌いたかったが声帯が硬直してしまった。彼らの喉からは一つの音しか出て来なかった。
 飼いならされた羊がひどく興奮した時にあげる救いようのない叫び声である。
 
 メエ
 メエメエ

 この呪われた単調な声に気づくことなく、人間は自分は歌を歌っていると勘違いした。彼らは羊と同じように叫び、夢遊病者のような表情を浮かべてあたりをさまよった。
 彼らは叫び疲れると、羊たちなら見分けられる毒草をかじり、その後で緑色の泡を吐き、水辺、路上で死んでいった。
 妖魔たちはこのような方法で自分の力を示したのである。

 この情景に、人々は絶望することもなく、そればかりか、あっという間に、天命に従うだけの無関心な状態になった。

   ………

 まさにこのような状況の下、パドマサンバヴァは帰路につき、この地で目にしたものを神々に報告しようとしていた。




    **********************************************




ドキュメンタリー『ケサル大王』

     次回の上映会は名古屋です。
     6月20日、21日 19時開演
     名古屋・シネマスコーレ

   モンゴルに伝わる『ゲセルハーン』の研究を続ける藤井真湖さんと、
   ケサル物語の素晴らしい訳に取り組む宮本神酒男さんが登場します。

   詳しくは http://gesar.jp/ でご覧下さい。






阿来 「果洛のケサル」 ③

2013-05-27 11:12:05 | ケサル

―果洛(ゴロク)の記―   その3



 会議が終わると、以前教えを受けた「永遠に描き続けるケサル画家」の称号を持つ友人が訪ねて来てくれた。
 彼は有名なチベット医で、同時に、ケサルを題材とした優れた絵画を数多く生み出している。彼は絵画によってケサルの物語の中の多くの人物を生き生きと描き出し、そこには史詩の中の遥か昔の宮殿、服装、兵器までもが当時そのままに再現されているという。

 彼は私の手を取って言った。
 「私たちは皆、あなたの作品を読みました。彼らは少し意見があるようですが、でも、とても素晴らしかった」

 「彼ら」と「私たち」は、ここでは同じ意味なのだと推測できた。

 私は尋ねた。「それは私が書いたものと、元々の物語が異なっているからですか」

 彼は少し笑って、別れを告げた。

 夜、眠れなかった。これまでにない生々しい経験をしたためだった。
 
 この経験の衝撃とともに、私のゴロクの旅は始まった。
 新たな経験を思いながら、灯りの元、今回手に入れたゴロクとケサルに関する文章を読んだ。
 旅の間、ケサルの語り部や様々な人に会うごとに、それとなく、簡単な雑談に交えて尋ねてもみた。
 

 たとえば「あなたが語る物語は本当のことなのか」
 たとえば「ケサルは実在の人物なのか」


 彼らはみなあっさりと笑って答える。
 「もちろん実在の人物です。当然のことです。そして、後に神になったのです」

 そこで私はこの古い物語が繰り広げられた、人と神の間に横たわる遥かな場所をあちこち歩き回った。

 ある宮殿はケサルが建てたものだった。ある湖は彼の妻が傷心の日々を送った場所だった。巨大な氷河が動いた後に残った岩は英雄の兜だった。黄河の岸辺の草原はリン国の民がかつて遊牧した場所、そして英雄が妖魔を降した戦場だった。

 黄河と丸い丘の間の草原は史詩の中に語られている「ケサル競馬で王になる」の地形とまるで同じだった。吟遊詩人はこの風景の中に身を置いて、目の前に広がる大地の力によって、あの壮大な場面を新たに構築したのではないか、と誰もが振り返って思うだろう。

 ゴロクで、プロの劇団がミュージカルによって「ケサル競馬で王となる」の時代を再現しているのを見た。また、広場の舞台では高校生たちが古いチベット劇の形でこの偉大な物語を演じていた。
 物語と現実がこのように融合しているのを見て、私は理解し始めていた。新しい友人たちが何故ケサルという千年を越える物語を歴史上の事実だと信じたがっているのかを。

 ゴロク最後の日、黄河上流の二つ目の県、ダリに着いた。
 
 夕飯の後、細かい雨が降り、間もなく夕焼けが現れた。

 主人の招きに応じて河辺の草地にある宮殿のようなテントへ行った。これもまた遥かな古代を模して再現したものに違いなかった。
 私たちは飲み、語り、歌った。こうして新しい友人と再び交流した。

 彼らとの交流と専門の学者たちとの交流は少し違う。ここではそれは知識によるのではなく、深い情感、篤い信仰によるのだった。

 史詩の輝やかしい時代の後、まるで長い悪夢のように、青蔵高原は長期に渡る停滞期に入った。
 それは、閉ざされていた知識の門が突然の大音響と共に開き、世界が一気になだれ込み、押し留められなくなるまで続いた。

 その時人々は、ケサルの時代のように、自らを拡大し、世界が押し寄せるのを待つのではなく、自らが理想を胸に勇敢にその中に進んで行こうと強く願った。

 馬上の英雄の時代はあっという間に終わった。
 愚かな人間たちは玉座に君臨する者に導かれ、自分たちが生きる場をマンダラの様に荘厳で完全で総てが満たされる世界にしようと考えた。祈祷と瞑想をすれば、くるくる回るマニ車がすべての有情の者を世界の美しいあの一点へと連れて行ってくれるような世界。

 だが、世界の美しい場所は、自分たちの魂を宿す肉体の目では見ることができなかった。見えたのは伝説の中の輝かしい英雄時代はもう現れない、ということだった。

 この意味から言って、ただこの地の新しい友人たちだけが、歴史でありながらかなり修飾された英雄史詩を歴史そのものと信じたがっている、というわけではないのである。
 たとえ、私のような筆を執れば自分が虚構と想像の世界に入ると知っている小説家であっても、幻想に導かれて希望や超現実の夢を描かないわけではないのである。英雄について、ロマンについて、個人と群衆の精神の広がりについて。
 そのため、私はこれらの友人達の主張と思いを理解するのである。

 その深夜、友人が少し酔った私をホテルまで送ってくれ、私たちはまたしばらく語りあった。

 話題は依然としてケサルという大きな物語の樹についてだった。
 チベット民族の口承文学の中の英雄伝について、それは果たして確固とした史実なのか、または、英雄の再来を渇望するあまり想像の世界で膨らんだ虚構なのか――文芸の虚構は偽りではないし、事実にも基づいているのでもない。長い喪失の後の強烈な情感を偽りなく表すものである。

 このような意味から言って、たとえケサルの物語がすべて真実だとしてそれが何なのだろう。われわれのこの凡庸で英雄的気概に欠けた時代にとって、たとえこの史詩の語るもの総てが確かな事実だとして、すでに虚構と変わりはないのである。

 その夜、酒の勢いで深く眠った。だが、酔いによる頭痛と振り払えない心の錘のために、朝早く目が覚め、そのまま寝付けなかった。
 思い切って着替え、外に出た。

 朝の清らかな空気の中、黄土で壁を築いた家々を通り抜け、犬の吠える声があちこちで起こるのを聞きながら、ダリの県城の裏山に登った。
 その突端には、馬に跨ったケサルの大きな像がある。
 今にも雨が落ちて来そうだった。夜露に濡れたタルチョは垂れ下ったまま静止していた。

 裏山の麓の小さな街が目覚め始めた。一つ一つの小さな家からうす青い炊事の煙が立ち昇っている。
 そして私の前方には、黄河が遥かな地平線から朝の空気に滲むかのように流れて来る。ほの暗い天の光を映しながら。
 ゆったりと流れる水面は時折り光を放ち、硬い金属のようでもあった。

 ここを去る時が来た。
 山を降りる途中、私は何度も英雄の白い像を眺めた。
 わずか数日のゴロクで見た三つ目のケサル像だった。

 そう、ここ去る前から、今日書き上げたばかりのこの文章にはすでに題名があった。

 「果洛(ゴロク)のケサル」である。








阿来 「果洛のケサル」 ②

2013-05-21 18:50:27 | ケサル

  ―果洛(ゴロク)の記―   その2


 あれほど多くの美味な料理も私の喉を詰まらせなかったのに、この問題で私は言葉を詰まらせた。

 突然降り始めた雨はこの瞬間、止んだ。ハエが一匹テントの中をウオンウオンと飛びまわっている。
 今度は私が気弱になる番だった。
 「では、あなたたちは……ケサルの物語は真実だと思ってるんだね」

 「私たちはただ、先生が物語を作り上げ後では、この地以外の人たちがケサルの物語も虚構だと思うのではないかと心配なのです」

 私は理解した。
 そう、歴史上本当にケサルのような真の英雄は存在したのだ。それは、青蔵高原で勢力を誇っていたトバン王朝が倒れて後、高原に群雄が並び立ち、勢力を争い、互いに侵略しあう混乱の時代に、敵地を占拠したの首領であり、群雄を統一した強国の王であったのだ。
 だがこの英雄は、歴史の本の中では特定化されなかった。彼の業績は韻文の方法で千年歌い継がれた。
 歌い継がれた歴史は、すべての歌い手と聞き手が共に関わった芸術創造の歴史でもある。

 この特定化されなかった物語は、歌われるごとに誇張され、演劇的になっていった。
 絶えず変化していく口承の物語の中で、居並ぶ群雄のいくつかの業績が徐々に一人の人物の上に集まっていったのである。

 この物語がある程度の形を持ち始めた頃、仏教はまだ後世のように、深く全面的に青蔵文化を覆いつくしてはいなかった。
 だが、物語の樹は日ごとに枝葉を茂らせ、仏教の考え方が絶えず注ぎ込まれ、いくつかの版本は、宗教理論を大衆に伝え諭すための物語となっていった。

 千年が過ぎ、この物語は一つの部落史、一つの小さな王国の英雄伝からチベットの百科全書へ変わっていった。地理、歴史、風習、自然概念、感情、神の系図…そこに含まれないものはないほどに。

 私は思う。これらすべては作り物だ、と。

 だがここ数年、この詩史に深く関わるほどに、まだ本当には理解出来ていないと感じるようになった。
 そのため、この小説への取り組み方はこれまでとは完全に違ってしまった。これまでは、一つの題材を書き終わると、すぐにそこから離れ、次の新しい土地を求めた。だが、今回は創作が終わった後もまだそのままそこに深く関わっていようとしている。今回のゴロクの旅もこの思いの続きである。現地の役人がこの文化的な題材を産業化し開発しようとしているというのも、私にとって新鮮な話題だった。

 そして、今回の思いもよらない会話は、私に新鮮で想像したことのない知的空間を与えてくれた。

 今なら分かる。ゴロク―伝説の中でケサルが作り、空前の強国としたリン国の核心地帯では、多くの人々―それがすべてなのか一部なのかはわからないが、彼らは史詩が語る物語は歴史的な事実であると考えているのである。
 そして、彼らは私のような現代の小説家が、史詩の基礎の上に物語を作り上げることで、この物語の真実性が損なわれるのではないかと心配している。

 私は初めてこのような思いを聞いた。

 私は自分を弁護しなかった。私はただ驚きに捉えられていた。
 たとえ弁護するのがとても簡単なことだったとしても。一般の文芸発生の基本原理によって。あるいは、この題材そのものから述べる、専門家と同じ見解によって。
 だが、ここでは、多くの問題は抽象的な道理に基づくのではなく、強烈な感情に基づいているのである。

 私はあまり筋道の通らない、懸命な言い訳をしただけだった。
 私の作品がどんなに些細なものであるか、であるから、ケサルという偉大な史詩はいささかも動じることはないのだ、と説明した。これもまた、祖先の豊かな遺産の中から啓示を受けた、物書きとして当然の謙遜ではあるが。

 私の懸命な言い訳の後、一人の友人が言った。彼は、私のこの考え方を文章にして、虚構が史詩の真実性を損なうのではと心配している人々に伝えようと提案した。

 これを聞いて私は推測できた。
 このように心配している人は少数ではなく、もしかしてケサル物語の核心地帯の一つであるゴロクだけに留まらないかもしれない。

 私は知っている。私たちは善意からお互いを理解しようとしているだけで、この短い時間にお互いを説き伏せることなど出来ないことを。

 このような問題を抱えて、私は午後のシンポジウムに参加した。







阿来 「果洛のケサル」 (2011.9.12)

2013-05-19 22:47:01 | ケサル

 
  ―果洛(ゴロク)の記―   その1


 テントでの昼食だった。
 茹でた羊肉、血のソーセージ、茹でた牛肉、腸詰、チベット式のパン。青蔵高原の遊牧地である草原では、場所が変っても献立の中身はほとんど決まっている。食欲が掻き立てられ、あっという間に腹いっぱいに収まった。

 テントのある草地は、河の流れに囲まれて半島のようになっている。私は渓流をまたぎ、花の咲いている草地で写真を撮った。
 高原に帰って来るたびに、友人たちはみな言う。「また花を撮りに来たのか」。

 確かに、高原に上がって来る時はいつも他の事で忙しいのだが、ほんの少しの暇を盗んではめずらしい花をカメラに収めていく。
 今回は口も聞かずに料理をかきこんで時間を作り出した。

 私の健康を気にかけてくれる人たちから、良く噛みゆっくり飲み込めば太らないとの指導を受けていのだが、高原に来ると、草花の誘惑が脅迫観念のとなり、がつがつと飲み食いし、主人が気をそらしている隙にテントを抜け出し、油でベトつく手でカメラを構え、草地をあちこち巡り歩くのである。

 リンドウ科のオオバリンドウと菊科のウスユキソウは撮ったことがあるので、もう一種のリンドウを探すことにした。
 まもなく、小さな流れが曲がるあたりで小さな紫色の光が目に入った。果たして、直径1cmにも満たない、赤の中に青が滲み、青の中に紫が透けて見える小さな花を見つけた。草の上に腹ばいになり、心を落ち着け息を止め、マクロレンズでこの美しい精霊を観察した。

 複雑でいながら単純でもある形態を彩る色彩は、今にも幻と化してしまいそうである。
 その色は青蔵高原の単純な複雑さを現わしてもいる。
 そんな色彩が舞い散ってしまうのを恐れ、そっとシャッターを押した。彼らを一つ一つカメラに収め、大切に残しておく。

 この時私は改めて自分のしていることの意義を肯定できた。
 青蔵高原の、まだ知られていない、意識するしないに関わらず常に見落とされてきたものを、はっきりと示すことが出来るのだから。    
 高原の強烈な日の光が、やわらかく私の背中を温め、衣服を通り抜けて体の中にまで沁み込み、幸せな感情となって胸の中で踊っている。まるで私の心の揺らめきに答えるように、大粒の雨が何の前触れもなく空から落ちてきた。私は雨粒がどのように草の上に落ち、太陽の光に輝きながら、レンズの前で散って行くのかを見ていた。


 その時一人の美女が小川のほとりまでヨーグルトを届けてくれた。ヨーグルトが出るということは宴会も終わりに近づいたということだ。西洋料理のデザートのように。

 私はテントに戻った。
 客人は次々に去って行く。街のホテルで休むのだろう。
 私も客人の一人である。招きに応じて、どのようにこの地の文化遺産を産業として開発するかという会議に参加していた。ゴロクでは民間に広く伝わるケサルの史詩は文化遺産の核心である。そのため『ケサル伝』という小説を書いた作者として、招きに応じてやって来たのである。 会議の参加者たちは帰って休み、私は残って更にもう一杯ヨーグルトを味わった。地元の人たちも一緒だった。雨がぱらぱらとテントの上に落ち、私たちは話し始めた。

 きりっとして色黒の高原の男たちの顔には控えめな微笑が浮かび、語り口もとても柔らかかった。
 帰らなくてよかった。おかげでこうして知己と交われた。もしかしてこのおしゃべりがこの旅の最も大きな収穫だったかもしれない。
 雨はテントの上に落ち、その中で、控えめで気遣いのある言葉を聞いた。

 「先生の作品を読みました。とても素晴らしかった。でも…、ただし…」
 私は瞬間どきっとした。すぐに姿勢を正し座りなおして、言った。
 「どうぞ、どうぞ続けて」。心の中はかなり動揺していた。

 「先生の作品は虚構の部分が多いです」
 ほっとした。
 「小説というものには当然虚構が必要でしょう」。虚構の能力とは想像力で、作家としての本領の見せどころである。
 
 「先生は、アクトンバにケサルの夢の中へ入って話をさせましたね」

 チベット族の民間口承文学には完全で膨大な二つの系統がある。一方の主役はケサル。アクトンバはもう一方の物語の系統の主役である。
 この二人の輝ける、だが、交わることのない人物を夢の中で引き合わせる。私はこれを自分の小説の中の白眉だと自認している。
 彼らがこのことに触れたのはまさに私の思う壺で、一気にヨーグルトを飲み干し、滔々と語ろうとした。
 だが、彼らは私にその機会を与えてくれず、そのまま彼らの意見を話し続けた。

 「虚構?でもこの物語は本当のことなのです」
 「どの部分が本当のことなんだろうか」
 「ケサルの物語は真実です。すべて歴史の中で本当に起こったことです」
 「先生が、このようにたくさん作り事を書かれて、私たちは心配しています」
 
 
 「心配?なにが心配なのかね」
 「作品の中には作り事が多く、そして先生の作品は多くの人が読みます。その後でケサルの物語を聞いたら、誰もがケサルの物語が真実とは思わずに、すべて作り事と思ってしまうでしょう」
 
 「…」





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宮本神酒男氏の「チベットの英雄叙事詩 ケサル王物語」がどんどん進んでいます。
リン国の王を決める競馬大会の真っ最中。不思議なエピソードが語られていきます。
ぜひご覧ください。





ケサルが生きたのはどんな時代なのだろう 3

2013-05-01 22:54:31 | ケサル
 

 はるか昔、チベット族の祖先は、雪山に囲まれ、雄大で美しい領域に住んでいた。人々は穏やかに仕事に励み、仲睦まじく、幸福に満たされて暮していた。
 突然、どこからか罪深い妖風が吹いてきた。この風は罪悪を運び、魔物を伴ってチベットのこの平和で穏やかな地方に吹いて来た。晴れ渡っていた空は陰り、柔らかな緑の草原は黄色く枯れていった。善良な人々は邪悪になり、もはや互いに助け合うこともなく、愛し合うこともなくなった。
 瞬く間に、四方で兵が起こり、至る所で戦いののろしが上がった。


       **************


 中国語版の『ケサル全伝』(降辺嘉措・訳)はこのように始まる。
 このように短く描かれている場面を、阿来は、前回ご紹介したように、その十倍もの言葉を用いて、凄烈な世界を構築している。救いようのない世界を。
 支配し支配され、更に自分の中に居る妖魔と終わりのない戦いをしなくてはならない世界。
 古代奴隷制時代のチベットとも、現在のチベットとも、そしてどの時代のどの国のこととも想像可能な世界である。

 家馬と野馬の関係については、長編小説『空山』でも、語られている。


 「見ろ。人間を分類し始めてから、この世は平穏でなくなった」……
こういう言い方ははるか昔の伝説に起源がある。……この伝説は、実際には大渡河上流の渓谷の部族史である。この伝説は最初からため息と憂鬱な調子で始まる。その頃は家で飼っている馬と野生の馬の区別が始まったばかりだった。その後家畜としての馬を手なずけ、調教する技術によって、人間に知恵と力の区別が生じた。これは天が作りたもうた男女の区別以外に、人間が自分で作り出した最初の区別だった。この区別が生じてから、この世には混沌という調和が失われ、様々な紛争へと発展して、そのために憎悪や不安が生まれた。
 この伝説の観点からすれば、いわゆる人類の歴史なるものは、人間の区別を進める歴史である。(山口守訳)

 『ケサル王伝』でケサルと語り部ジンメイが生きていくのはこのような世界である。
 英雄と崇められるばかりのケサルとは一味違ったケサル像が浮かび上がってくることだろう。

 


 山口氏の『空山』の解説の中に阿来の言葉が引用されている。


 「私が関心を持つのは文化の消失ではなく、時代が急激に変化する時に適応できない人間の悲劇的な運命だ。そこから慈悲が生まれる。この慈悲こそ文学の良心である」



 変化に適応できなかった者とは、支配される者のことでもあるだろう。
 阿来の作品の主人公はみなこの悲劇的な運命を背負っているように見える。それを慈悲の筆致を用いて記録するのが阿来の創作である。

 
 ケサルの物語は11世紀ごろ生まれた、と前回書いたが、それは物語の形がある程度定着し、一つの作品になったということだ。
 
 7,8世紀の吐蕃の時代に導入された仏教は、吐蕃の崩壊と共に廃れた。それから百年ほどが経ち、地方の氏族が割拠する中から新しい国が生まれようとしていた。その一つが、王家の血を引くテディによって、今の西寧のあたりに起こった青唐王国である。
 テディはギェルセー(仏)とも呼ばれ仏教を擁護し新しい国を築いた。それは4代ほど続いて消滅していくのだが、仏教は小さな集団がそれぞれの氏族の保護を仰ぎ、いくつかの新しい宗派を作っていった。
 
 混乱した時代からようやく落ち着きを取り戻した時、仏教的要素を沢山取り込んだケサル物語が生み出されたのではないだろうか。


 当然、ケサルの物語はそれよりはるか昔から語られていた。
 ケサルの末裔を自ら任じるゴロクの人たちによれば、3000年伝えられてきたという。原始的な風習やボン教の神々が活躍する世界。
 私は中国語版しか読めないが、様々なバージョンを持つチベット語版では、土着的な命の匂いが漂ってくる、より豊かで生々しい世界が語られている。

 そのゴロクの人たちは、阿来の描いたケサルをどのように受け止めたのか。
 次回は、阿来のブログからご紹介したいと思います。


     ***********************

 山口守氏による『空山』の解説はとても素晴らしい。おそらく日本で始めての阿来論であり、これを読むためだけにでも、『空山』を手にする価値はあると思われる。

 また、宮本神酒男氏によって、本来の味わいを大切にした詳細な訳による『ケサル物語』が進められている。
 こちらもぜひご覧ください。