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塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来『ケサル王』 ㉔ 物語 放擲 

2013-11-06 15:30:08 | ケサル
物語 放擲 その1



 神の子は生れ落ちると、雅礱江と金沙江に挟まれた阿須草原で暮した。  
 草原の中央には美しい湖があり、草原の尽きる所は高く聳える雪山と透明にきらめく氷河である。
 言い方を変えれば、阿須高原はこれらの美しい湖と雪山の間に広がっていた。

 ジョルが現わした神の力を、人々はみな見ていた。ジョルが天から賜った力を濫用し生き物を殺戮する悪ふざけも、人々はみな見ていた。
 だが、それらの生き物の中には妖怪や妖魔が無数にいたことは知らなかった。山や川に潜む目に見えない妖魔や妖怪を降伏させたことは、なおさら知らなかった。

 人々のためにジョルがしたことは、ただ彼のおじトトンだけが見ることが出来た。だが、トトンの心はすでに悪魔に占拠されていたので、人々が伝説の神の子に失望を感じた時、ひどく心を痛めているふりをして口を閉ざした。

 トトンの沈痛な言葉は人々の心を震えさせた。
 彼はこう言ったのだ。
 「神もまた私たちをこのように弄んでいるのだろうか」

 ただ神の子だけは知っていた。
 パドマ・サンバヴァは夢の中でジョルにこう告げていた。
 「現在リンが治める細長い土地はあまりにも狭い。
  強大な国王は、まず金沙江の河岸から西へ、北へと向かい、
  黄河上流のより広い草原から、地中に塩が湧き出し乾燥のためラクダが走るとひづめに火花が散る北の地方まで、すべて占拠しなくてはならない。
  リン国の未来の羊の群れには柔らかく潤った全ての草原が必要となり、
  リン国の武将には駿馬が走り回るのに適した全ての場所が必要となるだろう」

 この時ジョルは5歳になったばかりだが、体は既に20歳の男に等しく、リンので最も美しいデュクモを密かに眺めて楽しんでいた。
 この娘は、ジョルの目の前で、その年齢にふさわしいの勇士たちと追いつ追われつしながら戯れ、男たちの心にかすかな痛みを刻ませていた。

 ジョルは夢の中でデュクモの名前を口にした。
 母は心配して言った。
 「息子よ、お前にふさわしいのは今やっと生まればかりの女の子ですよ」

 その夜、月の光は湖に落ち、揺蕩っていた。鳥の巣を襲う狐はみなジョルに殺されたが、時々麦畑から驚いたように鳥が飛び立った。そのまま月へと飛んで行くかのように。折れた鳥の羽がテントの煙を逃す穴から漂って来て、ちょうどジョルの顔に落ちた。

 夜は水を湛えたように冷たく、星は絶え間なくめぐり、高貴な生まれのジョルの母親は涙を止めることが出来なかった。
 彼女は息子を揺り起し、胸に抱きしめ声を挙げて哭きたかった。だが、ジョルの夢の中に入ったパドマ・サンバヴァが息を吹きかけると、彼女はまた羊の毛の中で体を縮こまらせ、深く暗い、夢のない眠りの世界に入って行った。吐き出す息は羊の毛の縁で白い霜を結んだ。
 この窪地を抜け、河に沿った上流や下流の固い岩の堤の上に聳え立ついくつかの城塞には灯りが輝いていた。

 神の子が生まれてから、リンは平和の光に覆われていた。
 穀物の力は酒を醸し、乳の力はヨーグルトとなり、風の中に、夜に蠢く妖魔が黒い外套を翻す不吉な音はもはや聞こえなかった。
 夜の気配の中、わずかな人々のみが言葉の韻律を味わい、少数の職人のみが技を磨いていた。どのように火を祭り、土を焼き物に変え、石を銅や鉄に変えるか、その技を求める者はさらに少なかった。

 センロンさえも自ら放擲した息子を忘れ、龍の生まれの妻を忘れ、二人が下等な民のように飢えと寒さに耐えているのを忘れていた。
 彼の体は酒と女に焼かれていた。彼が腕を上げて命を下すのは、召使たちに更に声を挙げて歌わせるためだった。

 ただ一人、ギャツァ・シエガだけが愛する弟を想い、その想いに耐えきれず馬で砦を駆け出し、ジョルに会いに行った。
 彼のマントが夜の風に翻るや否や、ジョルの夢に入っていたパドマ・サンバヴァは空気の振動を感じた。
 「この夜は、お前たち兄弟のものではない」
 彼はこう言うと、同時に、形のない黒い壁を立てた。

 ギャツァが剣を振るって壁に切りつけると、壁はその刃を受けて開く。だがまたその度に、音もなく塞がった。

 ギャツァはどうすることもできず、馬の方向を変えて高い丘に駆け上るしかなかった。そこで彼は老総督に出会った。
 老人が丘の上に立って遥かに見つめているのは、常に心にかかるあの方向だった。
 そこでは大地が、河の曲がる片側で沈み込み、これまで月の光で照らされたことさえなかった。

 ギャツァは言った。
 「弟に会いたい」

 老総督は言った。
 「リンはいつまでこのように安閑としていられるのか、心配でならない。だが、お前の弟は私に天意を見せてくれないのだ」









阿来『ケサル王』 ㉓ 語り部 機縁 

2013-10-22 03:09:03 | ケサル
語り部 機縁 その2




 ジンメイはこの時、自分が夢の中にいるのだと分かっていた。
 夢には夢の自由がある。

 神の子が消えると、ジンメイの視線は水辺の背の低いテントに移った。重い心を抱えながらテントの前で遠くを見つめている女性がジョルの母親、龍の娘メドナズだった。彼女の傍らに夫のセンロンはいなかった。

 どうしてジョルの母親は夫の家である城にいないのだろう
 どうしてジョルの母親は心配そうな顔をしているのだろう。

 ジンメイは夢の中で疑問を声に出した。だが、千年以上前の女性には聞こえなかった。

 夢の中のモノは思いのままに現れる。
 いきなり一本の木が現れた。画眉鳥がその枝でしきりに鳴いている。
 それは鳥の鳴き声ではなく人間の言葉だった。

 「メドナズの子供は自分が神の子であることを忘れてしまい、天から授かった力を勝手に使ってたくさんの獣や鳥を殺したので、みんなジョルを憎んでいるのさ」

 ジンメイはジョルに代わって弁解した。
 「それは、たくさんの妖魔や物の怪が鳥や獣に化けているからじゃないのか」
 「ジョルはそう言ってるが、誰もジョルを信じちゃいない」
 「分身できる狐は妖魔が化けたものだというのは知るっているけど、でも、ジョルが殺した獣は全部が全部、本当に妖魔だったんだろうか」

 画眉鳥は木の上でぴょんと跳びあがった。
 「なんだって。おまえは、このワタシにかわいそうな子供の悪口を言えというのか」
 「オレはジョルの母さんがかわいそうで…」
 「そうか…」画眉鳥は翼を広げてその胸を叩いた。
 「おまえはみんなが思ってるほど馬鹿ではなさそうだ」

 饒舌な画眉鳥は続けた。
 「みんなはワタシをおしゃべりだというが、でも、やはり言わせてもらおう」
 話が始まったかと思うと、怪しい鳥は突然ギャーッと一声叫ぶと、翼を震わせて飛んで行ってしまった。

 ジョルが来たのだ。
 ジョルはたくさんの狐の死体を持ち帰り、血や肉、腹の中の汚物、脳みそを辺りにまき散らした。
 緑の腸をおもいつくままの形に結んでは、木の枝にぶら下げ、自分のテントの入り口にまで掛けた。血なまぐさい空気があたりのものすべてを覆い尽くし、空の鳥、地上の獣、地下に暮らす尾のない鼠たちはそれぞれにこそこそと逃げ出した。

 もはや神の子ではないかのようなジョルは、将来彼の功績を歌うことになるジンメイに向かって歯をむき出して笑った。
 ジンメイは驚き、必死で夢の外へ抜け出した。

 ジンメイは自分が夢の中にいるのが分かっっていて、悪夢から抜け出す唯一の方法は夢の外に逃れることだとも分かっていた。
 思った通り、慌てふためきながらあちこち走り回っている自分が見えた。一つの山、また一つの山と駆け上がって行く。

 だが山はまだずっと先まで続き、まるで波のように次から次と、自分めがけてやって来る。
 助けを呼ぼうにも、いくら頑張っても声にならなかった。

 その時、老総督ロンツァ・チャゲンが目の前に現れた。白い髭をなびかせた総督は言った。
 「走らなくてよい。恐れることはないのだ」

 後から波のように迫っていた悲惨な状況が突然消えたのが分かった。頭の上ではすでに雲が薄れ澄み切った空がのぞいている。
 だが、老総督は憂いに眉をきつく寄せていた。
 「ジョルはお前をびっくりさせたのだな」

 ジンメイは何度もうなずき、同時に疑問をぶつけた。
 「ジョルはどうしてあんなに変わってしまったんでしょう。どうして母親と一緒に城に住まないのですか」

 総督は暫くジンメイを見つめ、首を振りながら言った。
 「わしは夢を見た。夢はこう告げていた。この男は天からの知らせを受けることが出来る、そのわけをわしに教えてくれることが出来る、と」
 「オレの夢はまだ終わってません。やっと天界の入り口に着いたところです。神様の姿もまだ出てこないんです」
 「そのようだな、お前の目の中に天界から来た者が持つ特別な光が見て取れない」

 こう言い終わると、老総督は消えた。ジンメイも続けて夢から醒めた。
 彼はその時気づいた。目の前にある山、湖、河は、夢の中で見た景色そのものであることを。

 黄昏時、羊を追って村に帰る道々、ジンメイは自分が見た夢に悩んでいた。彼が夢で見た情景と人が語る物語があまりにも違っていたからである。

 囲炉裏の傍らに座って簡単な夕飯を食べると、少し眠くなった。
 高い六弦琴の音がジンメイの心を震わせ、朝、道で会った語り部を思い出した。

 老いた語り部は、芝居の衣装のような錦の長い服を身に着け、周りを囲む人々にかなり前から早く語り始めるよう囃したてられていたが、ただひたすら琴を撫でるばかりだった。
 ジンメイが囲炉裏の前に現れると、語り部はやっと表情を緩め、さっと立ち上がって語り始めた。

 「ルアララムアラ、ルタララムタラ!
 縁のあるものが現れた、
 羊飼いのお坊ちゃま、どの段がお好きかね」

 ジンメイは苛立って叫んだ
 「神の子は、4歳を過ぎたばかりで、神の心はもう消えかけていた!」

 この言葉を聞き、物語をよく知る村人たちは一時騒然となった。
 老いた語り部が両手を下に向けて皆を制し、あたかも国王のように命令すると、聴衆はすぐおとなしくなった。まるで薪の上で炎を揺らしていた風が方向を変えたかのように。

 静寂の中、琴の音が高く響いた。まるで月が光を放って地面を照らしたかのようだった。
 今ここで、一人の語り部の物語に違った道筋が現われるかもしれない。

 もともと、神が人間界に降りて来たとしても、そのまま衆生の長になれる訳ではない。必要な曲折を経て、衆生の心を敬服させてから、最後に人々の上に立って呼びかけた時、初めてそれに応える者が雲のように集まってくるのである。

 ジョルの一挙一動はみな天神の視線の内にあり、これから人を遣わして更に神通力を授けることはなくとも、持って生まれた力は凡人とは比べ物にならなかった。
 術士や妖怪たちと常に交わり、卑劣な行いを多くしてきたトトンもジョルの相手ではなかった。


 もし、これがまさに繰り広げられようとしている芝居であるなら、舞台に登場したばかりの主役がこのように演じるのは、すでに監督の演出に背いていることになるのではないだろうか。
 それとも、この意外な展開は、監督の施した、より深い意味を持つ演出なのだろうか。








阿来『ケサル王』 ㉒ 語り部 機縁 

2013-10-14 10:26:37 | ケサル
語り部 機縁 その1



 「よく似ている……ジョルが生まれた時にはもう三歳の子と同じ大きさでしたね」
 「そう、よく分かるだろう。ジョルは普通の生まれではないのだ」
 「もっと先を話してください」
 「目の前にあった大きな山は動かされた。どうしてかはワシに聞いても無駄だ。物語の中では大きな山も動かそうと思えば動かせるのだ。さあ、分かれ道を塞いでいた大きな山々は他へ移された。広い道が現れたぞ」

 だが、羊飼いジンメイの目の前には何も現れなかった。

 雪山や草原で、多くの人がそれぞれの場面で突然に、千年の間伝えられると定められた古い歌と出会って来た。だがそれも肩をすり合わせる程度で、その後に機会があるとしたら、それはただ聞くだけで、しかも、人々の幸せを祈るためではなく、英雄を懐かしんで語られるのを聞くだけだった。

 老いた語り部は言った。
 「若者よ、この河の曲がっている所を見てごらん。河の水が岩を打つ時に発するのは空っぽな音ではないのだ。ワシがこの地でこの時にお前と出会ったのは、特別な縁なのだ。だから、ワシに英雄ケサルの偉大な系図を整理させてくれないか」
 「それができたら、オレはどうしたらいいのですか」
 「ワシには分からん。ただ言えるのは、この偉大な物語と出会ったすべての場面をもう一度なぞってみろ、ということだけだ」

 「出会う? オレは夢を見るだけです」

 老いた語り部は少し笑って言った。
 「出会うとは夢に見ることだ」

 老人は手に持った琴を鳴らした。その高い金属的な振動は、若い羊飼いに不思議な感覚をもたらした。

 足元の大地が旋回し始め、天上の雲は飛ぶように消え去り、天の門が大きく開いて神々が今にも降りて来ようとしていた。

 だが、それはほんの束の間の感覚だった。老人の指が弦から離れ、琴の音が突然止むと、それらすべてがカラカラと音を立てて、また元の位置に戻っていった。
 ジンメイは呆然として、まるで重いカーテンに目の中の悟りの輝きを遮られてしまったようだった。

 ジンメイは寝言のように言った。
 「琴が…琴の音が消えてしまった…」

 老いた語り部は少し後悔した。機縁がまだ来ていないのだとしか考えられない。
 そうしてやっと琴の弦から指を離した。琴を袋に仕舞うと言った。
 「もしここがお前の村なら、一晩泊まって、村の前にある木の又が伸びて龍の爪のようになった古い柏の木の下で語るのだが」

 ジンメイは、自分が暮らすこの小さな村では、語り部は十分な布施を受けられないのを知っていた。
 ジンメイは語り部のために羊を一匹殺すことにした。
 老いた語り部は言った。
 「よい羊飼いは春に雌の羊を殺したりはしない。英雄を語りたいなら、このおいぼれが琴を奏でながら語るのを聞くだけでいい」

 この日ジンメイは雪山を望むつつじの花がまばらに咲く斜面に寝転がり、雪山を見つめながら啓示に富んだ雪崩が始まるのを期待していた。日は暖かく、すぐに眠りに落ちたが、夢は見なかった。
 すでに馴染みとなった焦りの感情がまた胸の内に湧き上がって来た。

 ジンメイは起き上がり雪に覆われた峰の下の湖に向かって歩いて行った。暫く行くと湖のほとりにテントが一つ現れた。このテントは見るからに形といい素材といい、遥か昔のもののようだった。次にあの子供が目の前に現れた。

 「君は…」
 「違う」

 ジンメイは、君は神の子だね、と言いたかった。だが、その子はすぐさま否定した。まだ尋ね終っていないのにすぐ否定するとは、それはこの子が本当にあの神の子だと説明したのも同じことだ。
 だがその子の顔はうす汚れ、生まれたばかりの時に聡明さを現していた宝石のようなに輝く眼差しは暗曇り、それに取って代わったのは不吉な表情だった。

 子供はジンメイにあかんべえをして、向きを変えると、今穴から出て来たばかりの狐を捕えに行った。

 狐は逃げながら何匹もの狐に分身した。子供も同じようにいくつもの分身に分かれ、それぞれが一匹の狐を追いかけた。
 ジンメイは、斜面を埋め尽くし目の前を埋め尽くす狐とジョルを見ていた。
 目に怪しい光を湛えたジョルの足元に狐が踏みつけられるごとに、山は血で汚された。一つ一つのジョルの分身は狐の死体を引き裂き、手足、内臓、血と肉を辺りにばらまいた。

 ただ一人のジョルだけは、狐を足で踏みつけたまま、岡の高いところに微動だにせず立っている。それがジョルの真身だった。

 自分の分身が作り出した血なまぐさい風景を見ながら、その表情はひどくうろたえていた。
 ジンメイは思わず叫んだ。

 「神の子!」

 子供の目の中には期待した表情は現れなかった。だが、一人の民が発した叫び声は耳に届いたようだった。何故なら、子供が困ったような表情で空を見上げるのをジンメイは見たからである。

 何かに促されたように、子供が下を向いて山を埋め尽くす殺戮の血の跡を見た時、その顔に憐憫の表情が現れた。そして、分身はすべて消え、死んだ狐のおびただしい分身も消えた。

 子供はその死んだ狐を引きずりながら山を下りて行き、ジンメイの目の前から消えた。










本来のケサル王物語 

2013-10-09 02:18:52 | ケサル



阿来の『ケサル王』は、現代の小説で、ケサルと語り部の交感を描いています。
二つの世界が交互に現れて、それがどこで交差するのか、ミステリアスでもあります。
ただ、そこからケサルの物語そのものの楽しさを見つけ出していくのはなかなか難しいかもしれません。

その、『ケサル王物語』をチベット語からきちんと訳している素晴らしいサイトがあります。
宮本神酒男さんのチベットの『英雄叙事詩ケサル王物語』です。
http://mikiomiyamoto.bake-neko.net/gesarindex2.htm

語りの部分も歌の部分もすべて訳されているので、ケサルの華麗な世界に圧倒されます。
ちょっと手ごわいですが…

ぜひ、合わせてお楽しみください。

そして、
10月12日から始まる横浜ジャック&ベティでの『ケサル大王』上映会で宮本さんのお話を聞くことが出来ます。

10月14日(月)上映後、宮本神酒男『みんなケサル大王に夢中だった』、です。
http://www.jackandbetty.net/cinema/detail/192/


とても楽しみです。
たくさんの方に聞いていただきたいと思っています。










ドキュメンタリー『ケサル大王』上映会のお知らせ

2013-10-08 02:18:05 | ケサル
いよいよ今週の土曜日、10月12日からドキュメンタリ―『ケサル大王』の上映会が始まります。お近くの方はぜひぜひご覧ください。


首都圏初のロードショー!
10月12日(土)-18日(金)
毎回14時15分~
横浜・ジャック&ベティ     

045-243-9800   
一般1800円 大・専1500円 高校以下シニア1000円  
ネット予約1500円 リピーター予約1000円http://gesar.jp/
トーク 12日(土)大谷寿一監督「アムドの旅からー最新現地報告」
13日 (日)ペマ・ギャルポさん「ケサル大王と我が少年時代」
14日 (月)宮本神酒男さん「誰もがケサルに夢中だった」
                



詳しい解説と予告編
http://www.jackandbetty.net/cinema/detail/192/

監督のfacebook ページ
熱い想いが詰まっています。
https://www.facebook.com/pages/%E3%82%B1%E3%82%B5%E3%83%AB%E5%A4%A7%E7%8E%8B/419486081451560

監督のホームページ
http://gesar.jp/













阿来『ケサル王』㉑ 物語 前口上 

2013-10-05 09:02:44 | ケサル
物語:前口上



 さてさて、神の子が天から降ったのは高貴な血筋の家柄でありました。


 ところで、人の世で位の高いお家柄はおしなべて複雑なもの。
 あたかも古い大樹のように幾つもの枝に分かれ、身内でない者が見上げたら、入り組み絡み合った姿は、なんとも複雑に見えるもの。

 そうそう、リンはチベットを構成する一部分、ならばまず、チベット全体の様子からお話しいたしましょう。

 チベットで最も古いのは六つの氏族。
 真貢の居熱氏、達隆の喝司氏、薩迦の昆氏、法王朗氏、京布の賈氏、乃東の拉氏です。


 とはいえ、この古い氏族も初めから終わりまで変わらない生命力を持ち続けるのは難しく、時代が変われば勢は移り、この後のチベットで名を為したのは、新しく起こった九つの氏族でした。
 この九大氏族を目の当たりにして、古い六つの氏族の血筋の方々の思いはさぞ複雑だったことでしょう。

 では、人々から崇められるこの九つの氏族の名を、泉が湧き出す如くお聞かせしいたしましょう。
 嘎、卓、冬の三氏、賽、穆、董の三氏、班、達、扎の三氏、合わせて九つです。
 

 新しい氏族と古い氏族は、青蔵高原の様々な場所でそれぞれに暮らしておりました。
 天から眺めれば、西はタジク国ガリ地方のプラン、ググ、マンユウの三つの地方に接し、
 そこは雪山と岩壁と透明な光に包まれた場所でした。

 目を中央に向ければ、そこは玉日、衛日、耶日、元日というチベットの四。

 その隣がアムド・カムの六つの尾根。
 六つの尾根は六つの神山を戴いています。
 その神山とは瑪扎崗、波博崗、察瓦崗、欧達崗、麦堪崗、木雅崗の六山。

 黄河、金沙江、怒江、瀾滄江の四つの大河がその間を縫うように流れます。
 山と河の間は牧場と畑が交互に入り交じり、その間にたくさんの村々が星のように散らばって、聳え建つ砦がそれらを一つにまとめておりました。

 上、中、下リン十八は、四つの河六つの尾根の間の、広々とした土地にあったのです。

 歌に曰く

  糸の切れた真珠のように あらゆる片隅まで散らばっている。
  風に蒔かれた種のように 広い草原中に散らばっている。



 いやいや、まだ語りは終わってはおりません。
 続けてお話しいたしましょう。ウォン。


 知恵の長者にこのような格言があります。

  天を衝く大樹を知るのには見ただけで分かったと思ってはだめ。
  履物を脱いで上まで登り、すべての分れ目、すべての小枝まで見てごらん。



 ということで、皆さま今しばらくご辛抱いただきましょう。

 小道を通り抜ければ大きな道に出るもの…


 では語り部の帽子をかぶらせていただきます。ウォン。
  
 まずこの帽子についてお話しましょう。
 ほらこの形、高い山のよう、金糸銀糸がその間を縫い……

 はいはい、では、帽子のことは明日またお話しするとして、
 やはりリン十八を統率する高貴この上ない穆一族についてお話しいたしましょう。


 やれやれ、今の方々はどんどん気が短くなっていく。
 そこのお方、何とおっしゃった?貴族の系図の話がいつの間にか場所の話にそれてしまったって?


 では、急いで先へ進むことにして…
 穆一族の枝一本蔓一筋まで、すべて語って御覧に入れましょう。


 穆族がチューファンナブの代まで伝わった時、賽妃はラヤダクを生み、文妃はチージャンパンジェを生み、姜妃はザージエパンメイを生みました。
 ここから一族は三つの枝に別れたのです。
 これが穆族の長、幼、仲三系の由来であります。


 この時、穆族はリンで起こってからすでに百年余りが過ぎていました。
 瞬く間に、幼系では更に三代が過ぎ、総督ロンツァチャゲンの父チューファンナの代となりました。
 この男もまた三人の妃を娶りました。

 ロンツァチャゲンの母は絨妃。
 葛妃の息子はユージエ。この勇士は北方のホル王と戦いホルの陣で戦死しました。
 穆妃の生んだ子が即ち、天が神の子のために選んだ人間界の父・センロンです。

 この時、この一代の中で最も年長のロンツァチャゲンはすでに妻を娶り子供もおりました。
 総督の妻メドザシツォは三男一女を生んだのです。

 センロンはといえば、天の思し召しで龍の娘メドナズを娶る前に、東方の伽国から漢の娘を連れ帰り、ギャツァシアガという息子がおりました。
 ギャツァシアガには、呪術に通じダロン部の長官を任じる叔父トトンがいました。


 ギャツァは生まれながらに心が真っ直ぐで勇敢、英雄の相を備えていました。
 一か月の時すでに、草原の一歳の子供よりもずっと大きかったとか。



 さあ、若者よ、前口上はこれですべて。
 本編はもうすでに始まっている!







阿来『ケサル王』⑳ 語り部 師匠 

2013-09-20 02:03:59 | ケサル
語り部:師匠



 さて、これから物語を進めていく助けとなるように、神の子が人間界に降ったばかりの今、複雑な一族の関係を少しばかり整理しておこう。

 羊飼いジンメイはここ暫く、頭の中が混乱し、ぼんやりしていた。それでもやはり、その関係をはっきりさせなくてはならない、と考えていた。

 幸い、草原には英雄物語を語る語り部がいつもどこかに出没していて、その問題について必要な情報を手に入れることが出来る。

 後に、彼が放送局に語りを録音に行き、無線電波がその語りを乗せ、毎日決まった時間に草原の牧人のテントのラジオから流れるようになった時、人々はそのラジオに向かって言った。

 「あいつは始めっから語り部になると決められていたんだ。
  だから、あんなに短い間に、あんなにたくさんの夢を見て、あんなにたくさんの不思議な人物たちと知り合ったんだ。夢の中の空白を埋めるために」

 その日、草の上の露はとても重かった。羊は露を多く含んだ草を食べると胃腸を壊しやすい。そこでジンメイは遅めに出発した。
 羊を追って山に上がった時、太陽はすでに高く昇り、鳴き疲れた画眉鳥はすでに歌うのをやめ、トカゲたちは体の中の冷たい血がすでに暖まり虫を捕まえようと走り回っていた。

 その時、はるか遠くの道の、太陽から降り注ぐ目を射るばかりの光の後ろに、一人の語り部が現れた。
 まず見えたのは人ではなく、高く挙げられた旗だった。その後、腰をかがめ背を丸めた老人が、地平線からゆっくりとせり上がって来た。

 挨拶が終わると、老人は笑いながら言った。
 「まだ語っていないのに、舌も唇もからからだ」
 
 ジンメイは魔法瓶から茶を注ぎ、言った。
 「さあ、オレに語ってください」
 「さて、どの一段を語ろうかな」
 「オレがまだはっきりと分かっていない一段を」

 「若者よ、おまえも語りを学びたいのか」
 「オレが夢で見るのはどれも完全じゃないんです」
 「どの一段だ」
 「神の子が生まれた一族について。入り組んでいて、まるでこんがらかった羊の毛みたいで…」

 老語り部はジンメイの答えを聞くと、羊が草原に散って行ったのを見て腰を下ろし、語らずに、言った。
 「そういうことなら、ワシはお前の役に立つかもしれん」

 「それなら、オレの師匠だ」

 「それなら、ワシはお前の師匠だ」









お知らせ 『ケサル大王』横浜で上映!

2013-09-18 03:16:37 | ケサル


お知らせ

ドキュメンタリー『ケサル大王』がついに横浜で上映されます。

10月12日(土)~18日(金)
14時15分上映開始
横浜 ジャック&ベティー


12,13,14日は上映後それぞれ、大谷監督、ペマ・ギャルポ氏、宮本神酒男氏による講演があります。


詳しいことはhttp://gesar.jp/で。
予告編 https://www.facebook.com/photo.php?v=215081078654186




会場のジャック・アンド・ベティーは横浜で長い歴史を持つミニシアター。
この劇場が好き、ここで映画を見るのが好き、というファンが沢山います。

そして、横浜は私の町(どうでもいいことですが)。

横浜でケサル! 
ジャック&ベティーでケサル!

内容も更に充実したと聞いています。
初めての方も、何回も見た方も、これまでとは違った世界が広がるでしょう。









阿来『ケサル王』⑲ 物語 初めて神の力を現す 

2013-09-17 02:39:51 | ケサル
物語:始めて神の力を表す その5





 トトンが洞穴に着くと、大変なことが起きていた。
 巨大な石が広い洞穴の口をしっかりと塞いでいる。
 不思議なことに、巨大な石になぜか新しい小さな穴が空いている。その小さな穴から中をのぞくと、首や手足がバラバラになったゴンプルヅァの変わり果てた姿が見えた。それでも、体とは離れてころがる手には杖がしっかりと握られていた。

 トトンは友の死を目にしても悲しむことなく、急いで杖を取り戻そうとした。
 だがその穴はあまりにも小さく、人間の体を通すことは出来なかった。

 そこでトトンは自分を鼠に変え、焦りと不安でチューチュー鳴きながらその小さな穴から大きな洞穴へと入って行った。
 だが、そこには死体はあるが杖はなかった。鼠の目ではよく見えないのかもしれない。そこで人間に戻ってしっかり探そうと考えた。
 だが、どんなに呪文を唱えても、体は鼠のままでチューチュー鳴きながらチョロチョロ走り回わるばかり。トトンは恐ろしくなり、急いで洞穴の外に出ようとした。

 その時、呪文の効き目が現れて、ネズミの頭が人間の頭に変わった。だが、呪文の効き目はまだ完全ではなく、体は鼠のまま。ネズミの体では人の頭を支えきれず、頭から地面に倒れた。必至で洞穴の入り口に着くと、人の頭ではどうあがいても小さな穴を通り抜けられなかった。
 ジョルの法力が、トトンの魔術を完全に封じ込めていた。

 ジョルはほら穴の入り口に姿を現し、わざと不思議そうに言った。
 「人の頭の鼠とは、怪しい奴だ。妖魔が変化したものにちがいない。
  みんなのために退治しなくては。殺してやろう!」

 トトンは慌てて叫んだ。
 「ジョルよ、ワシだ。お前の魔法にかかったおじさんだ」

 ジョルは暫くの間ぼんやりしていた。
 後になって、ある人がうまいことを言った。
 「まるで、テレビの電波が風で飛ばされ、画面いっぱいに砂嵐が現れたみたいだった」

 テレビの電波が風に乱されると、草原の牧民はアンテナを伸ばして、あちこち方向を変えながら、消えてしまいそうな電波を探す。ひどい時にはしばらく記憶を失っていた人が頭を叩くように、テレビを思いっきり叩いたりする。
 ジョルもまた洞穴の入り口で自分の頭を叩いて、言った。
 「きっと、おじさんは自分の心の魔法にかかったんだ。それなのにぼくの魔法にかかったなんて…」

 こんなふうに考えているうちに、ジョルの神通力はどんどん弱まっていき、トトンはその隙に洞穴の外に這い出した。ジョルがぼんやりしているのを見ると、体中の埃を払い、言った。
 「子供がこんなに遠くまで来て遊んではいけない」

 トトンは体をフラフラさせながら、ゆっくりとジョルの視線から遠のいて行き、山の麓を廻るやいなや、飛ぶように去って行った。

 数百里離れた家に帰り、トトンは考えた。
 自分の悪巧みはみなこの子供にいとも簡単に破られた。この子は本当に言い伝えのように天から降りて来たのかもしれない。そうであれば、知恵に満ち謀に巧みだと言われてきたこのトトンも、永遠のダロンの長官でしかなく、リンで人の上に立つ日はもはやなくなってしまう。
 ここまで考えると、一日中酒も食事も進まず、空っぽの腹の中で腸が雷のようにゴロゴロ鳴るほかは、深いため息を次々とつくばかりだった。






阿来『ケサル王』⑱ 物語 初めて神の力を現す 

2013-09-16 02:12:18 | ケサル
物語:始めて神の力を表す その4




 ジョル本人の体はまだ母の前に座っていたが、天から降ったこの神の子の分身は、黒い風が襲ってきた方向へ向かっていた。

 ゴンプルヅァが山を三つ越えたその時、そこにジョルの分身が天にも届かんばかりに立ちはだかっているのに出くわした。周りには九百の銀の甲冑を着た神の兵士が侍っている。
 ジョルは直立不動のまま辺りを睨み付け、ゴンプルヅァが法を使うのを待ち受けていた。
 黒雲の妖怪はジョルの本物の体はここにないのを早くも見抜き、白銀の甲冑の神兵の陣を迂回して下の峠へと飛んで行った。

 峠を越えると、そこにまたジョルが天に届くほどに立ちはだかり、九百の金の甲冑の神兵が周りを囲んでいた。

 こうして、ゴンプルヅァは更に二回ジョルの分身と出くわした。
 それぞれ陣を敷いて待ち構えていたのは、九百の鉄の甲冑の神兵と、九百の皮の甲冑の神兵だった。

 その後やっと、ゴンプルヅァは本物のジョルの体がテントの入り口に正座しているのを目にした。
 よく見ると、ジョルが手を伸ばすと、目の前にある色のついた四つの石が空中へ飛ばされ、四、九、三千六百の神兵たちがそれを真ん中に取り囲み、その様はまるで鉄桶のようだった。
 ゴンプルヅァは風を起こし、黒い煙に紛れてなんとか逃げ帰った。

 この時、ジョルは分身をテントの中に座らせて母を安心させ、本物は素早く空に飛びあがり、黒い風の術師を追って修練のほら穴へとやって来た。

 ゴンプルヅァはもはや後悔しても遅いと悟り、誘惑に勝てず、トトンの「ワシがリンを治めることになった暁には、お前を未来の国師にする」という言葉を信じた自分を責めた。

 そして、龍の娘がリンに嫁ぐのは天の神が人間の世に降りて妖魔を退治するためである、という言い伝えを信じなかったことを嘆いた。
 
 
 「もはやこれまでだ」

 ゴンプルヅァがほら穴に潜り込んだその時、ジョルは巨大な岩で入り口をぴったりと塞いでしまった。
 ゴンプルヅァは自分が数百年かけて作った法器をすべて投げつけ、やっとその岩に小さな口を開けた。
 だが、ジョルが天から雷を引き寄せ、洞穴へ投げ込んだので、ゴンプルヅァの体は稲妻に打たれて粉々に砕かれてしまった。

 戦いに勝ったジョルは、体を一揺すりすると、あっという間にゴンプルヅァの姿に変化し、トトンに会いに行った。

 ジョルは声を上げて言った。
 「ジョルの兵隊は徹底的に叩き潰した。あのチビはとっくにお陀仏だ。お前の杖を礼として寄こせ」

 この杖には謂れがある。
 もとは、魔物が黒風の術師に献上した宝物だった。黒風の術師はそれをまたトトンへ贈ったのである。
 この杖を手にし呪文を唱えると、飛ぶように歩くことが出来、進むも止まるも思いのままになるのだった。

 トトンはまさに不安でたまらない時にこの知らせを聞き、不思議に思うと同時に喜ばずにはいられなかった。だが、この如意杖を返すのは惜しくてたまらなかった。

 ジョルの化けた術師は追い打ちをかけるように言った。
 「もしこの杖を手にできなかったら、お前がジョルを殺害しようと諮ったことを、総督のロンツァやギャツァに訴えてやる」

 トトンは何としても断りたかったが、もはや惜しんでいる余裕はなく、大切な杖をゴンプルヅァ――実は神の子ケサルの手に渡した。

 ジョルはマントを翻し跳び去った。その後から黒い風は吹かず、虹が現れた。
 これを見て、狐から受け継いだ猜疑心にすっかり染まっているトトンは考えるほどに不安になった。
 そこでまた術師が修練していたほら穴まで飛んで行った。







阿来『ケサル王』⑰ 物語 初めて神の力を現す

2013-09-11 03:26:52 | ケサル
物語:始めて神の力を表す その3


 おじであるダロンの長官トトンは、その喜びの輪の中に入って行かれなかった。

 トトンは思った。
 リンの穆氏の一族の祖先は元は一つであり、後に長、仲、幼の三つの家系に別れたが、長い間上下の別はなかった。センロンが漢の妃を娶り、ギャツァというリンのすべての人々が声をそろえて賞賛する息子を産んで後、彼ら一族の幼系での力が日増しに強まっていった。総督は幼系の出であり、自分が統率する豊かな富を持つダロンも幼系に属している。道理からいって、総督の跡は彼トトンがその権力を掌握すべきである。だが思いもよらぬことに、今になって、同じ幼系のセンロンと龍族の娘との間に、生まれながらにいくつもの超常の力を現すケサルという息子が生まれたため、自分の夢は水泡に帰すかもしれない。

 ここまで考えた時、いつの間にか心に恐ろしい計略が生まれていた。まず先手を打って後の煩いを絶たなくてならない。

 トトンは起き上がると家に戻ってから、馬を駆って山に登り、人々が喜びに沸く山の入り江を望んだ。
 心の中は無数の毒虫が這い回っているかのように、孤独感でいっぱいだった。生まれたばかりのあの赤ん坊に抱く激しい憎しみを思うと、それは弱い心の仕業だとはっきり分かっていながら、もはや寛大にはなれなかった。
 少年時代、トトンは豪放で勇敢だった。ある日、一対一のけんかをし、素手で相手の命を奪ってしまった。ある者がトトンの母に人を臆病にさせる秘法を教えた。怖がりで用心深い狐の血を飲ませればよい、と。母はその通りにした。その時呪術師は、この血を飲むと人格までもが狐の陰険さと狡猾さに染まってしまうことを、母に伝えていなかった。

 彼は山の上で馬を止め、ギャツァと生まれたばかりの赤ん坊の瞳の中の穢れのない輝きを思い出し、自分は卑怯でずる賢い傲慢な狐の様な目をしているに違いないと考えると、その醜さを恥じずにはいられなかった。
 本来の彼はただ野蛮なだけで非常に大らかだった。こうなったのはすべて、運命の魔術にかかってしまったからである。
 問題は、このような慚愧の思いが、彼の心の内を更に陰険にしていったことだ。

 三日後、トトンが満面の笑顔で再び現れた時、手にはヨーグルトと蜂蜜を携えていた。
 「まことにうれしいことだ。ワシの甥は生まれながらにすでに三歳の子と同じ体格だとは。ワシの贈り物を食べたら、より早く成長するぞ」

 この言葉は蜂蜜のように甘かったが、手にする食物の中には像やヤクを倒せるほどの毒が仕込まれていた。トトンはジョルを抱き、毒の入った食べ物をその口に注ぎ込んだ。

 ジョルはすべて呑み込み、それから、どこまでも澄み切った瞳でトトンに笑いかけた。毒にあたった様子は少しも見られなかった。ジョルが手を挙げると、指の間から黒い煙がモワモワと立ち昇った。天から授かった術を用いて毒をすべて体から追い出したのである。

 トトンはそれを知らず、自分の指先にも新鮮なヨーグルトが付いているのを見つけて、舌を伸ばして舐めた。即座に誰かに腸を掴まれたかのように、激痛が閃光の鞭となってトトンを打ち据えた。自分が毒にあたったと分かり、助けを呼ぼうとしたが、舌に激痛が走ってはっきりと言葉にすることが出来ない。皆には狼のような叫び声しか聞こえなかった。
 すぐにトトンがテントから走り出して来た。
 トトンの後でジョルが嬉しそうに笑っていた。

 侍女たちは言った。
 「あら、トトンおじさんは狼のまねをしてお坊ちゃまを喜ばせているわ」
 
 トトンはつまずき、よろけながら河辺まで走り、しばらく舌を氷に貼り付けていた。そうすれば呪文を唱えて友人の呪術師ゴンプルヅァを呼び出すことができるだろう。
 この呪術師は修練を積み半分は人間半分は悪魔となり、生きている人間の魂を奪うことが出来た。魂を奪われた人間は屍と同じように彼の思いのままになった。
 呪術師はトトンと密かに交わり、二人は遠く離れていても特別な呪文で交信することが出来た。

 トトンは河のほとりに横たわり、舌の痺れが収まると、助けを求める呪文を唱えた。
 暫くして途轍もなく大きな翼のカラスがまるで黒雲のように現れ、地上に大きな影を投げかけた。この影に紛れるように、ゴンプルヅァは解毒の薬をトトンの手元に投げた。カラスが飛び去った時、トトンはやっとフラフラと立ち上がった。

 この時、ジョルは既に話が出来た。

 母が尋ねた。
 「おじさんはどうしたの」
 ジョルはそれには答えず言った。
 「河で舌を冷ましている」
 「河にはいませんよ」
 「山のほら穴に行った」

 確かに、トトンは呪術で現したハゲワシに乗って呪術師の修練の場である山のほら穴に飛んで行った。

 ジョルは母に言った。
 「おじさんは黒い風を引き連れてここに来た。だからこの黒い風は、僕が初めて退治する可哀想なお化けになるんだ」






阿来『ケサル王』⑯ 物語 初めて神の力を現す

2013-09-07 02:01:22 | ケサル
物語:始めて神の力を表す その2



 メドナズとセンロンが露台に出ると、夜が更けても喜びの醒めやらない人々の歓声が聞こえた。顔を上げると、昇ったばかりの太陽の光の下、大河が湾曲する辺りの広い道を、凱旋するリンの兵馬が疾走して来るのが見えた。後ろには土埃が舞い上がり、その前には羽根飾りのついた旗の群れ、更にその前には刀や鉾や鎧兜がきらきらと光っていた。

 リンは天の守りを受け、瞬く間に九か月と八日が過ぎ、冬至(11月)の十五日となった。
 この日、メドナズの体は最も上等なカシミアのようにふんわりと和らぎ、気持ちは美しい玉のように透明に澄み渡っていた。
 メドナズは女の産みの苦しみを聞いていたし、さらに、多くの女がそのために命を落とすのも見て来た。こっそりと声に出したこともあった。「怖い…」

 だが、その息子が世に降った時、メドナズの体には痛みも苦しみもなく、心は喜びに満たされた。
 さらに不思議なことに、その子は生まれた時、すでに三歳の子供と同じ体つきをしていた。
 それは冬の日、だが、空には雷の音が響き、仏の功徳をたたえる雨が降った。人々は彼女が出産したテントに虹が懸かるのを見た。

 タントンギャルポが祝賀に現れ、名前を付けた。
 「世界英豪制敵宝珠格薩爾」 

 穆氏に新しい男子が加わった祝いの席上で、皆は、常ではない体格の子供を抱いて披露してくれるようメドナズにせがんだ。誰もがその子供に最上の祝福をしたいと願った。
 ギャツァは誰よりも喜びに満たされ、子供を受け取って目の前に抱き上げると、その子供は兄を見て瞳をきらきらと輝かせながら、様々に親しげな仕草をした。ギャツァは思わず弟の頬に頬を寄せた。

 この様子を見てタントンギャルポは言った。
 「二頭の駿馬が力を合わせる、それは敵を制する基本である。
  兄と弟が睦まじい、それは富強の前兆である。
  めでたきかな」

 ギャツァは弟の名前を呼ぼうとしたが、すぐには口に昇ってこなかった。
 「上師のつけられた名前がとても複雑なのです」
 「では、少し短く格薩爾―ケサルと呼ぼう」

 更に総督に言った。
 「牛の乳とヨーグルトと蜂蜜でしっかりと育てなさい」

 メドナズは我が子を胸に抱き、大きな口と広い額、整った眼と眉を見つめていると、どうしようもなく喜びが込み上げてきたが、わざとこう口にした。
 「なんとおかしな様子でしょう。私はジョルと呼ぶことにします」

 人々はこの呼び名にケサルよりもより親しみを感じ、そこでジョルがこの子供の幼名となった。






阿来『ケサル王』⑮ 物語 初めて神の力を現す

2013-09-03 00:16:02 | ケサル
物語:始めて神の力を表す その1


 6月、百花が一斉に開く季節に、龍の娘メドナズはセンロンに嫁いだ。

 リンに向う途中、メドナズは白い雲が西南の方角から漂ってくるのを見た。パドマサンバヴァ大師の姿が雲の上に現れた。
 大師は言った。
 「福と徳のある娘よ、神は間もなくお前の高貴な体を借りて、リンを救う英雄を降される。これからどんな苦難に遭っても、お前は信じなさい。お前の息子はリンの王になるのだ、と。妖魔に対しては厳しい神、髪の黒いチベットの民に対しては英明で武勇に優れた国王となるだろう」

 龍の娘はその言葉を聞き、心穏やかではいられなかった。
 「大師様、私の未来の息子は天から降り王となるよう定められているのでしたら、何故苦難に遭うとおっしゃるのですか」
 パドマサンバヴァは暫く考えてから言った。
 「なぜなら、妖魔の一部は人間の心の中に住んでいるからだ」

 メドナズは自分がリンに嫁ぐのは天からの命を受けてのことと知ってはいたが、これまで大切に守られて育って来た娘はこの言葉を聴くと悲しみが胸にあふれて、涙をこぼした。再び顔をあげた時、パドマサンバヴァの乗った雲はすでに遠くを漂っていた。

 婚礼の後、センロンの寵愛と民たちの敬愛に包まれていると、未来の息子が生まれた時にどのような苦難に襲われるのか、想像もできなかった。
 時には、彼女は天の雲を眺め、微笑みをたたえて言った。大師様は冗談をおっしゃったのだ、と。だが、微笑みが過ぎると、やはり名づけようのない恐れが心に湧き上がるのだった。


 メドナズの前に、センロンは遥か彼方の地から漢族の妃を娶り、ギャツァシエガと呼ぶ息子があった。
 ギャツァシエガはメドナズよりもいくつか年上で、リンの総督の下で、智と勇を二つながらに備えた大将となっていた。彼はメドナズを実の母として仕えた。

 ある時、おじトトンが軽はずみにもこう言った。
 「かわいい甥よ、もしワシなら英雄と美女として、若い母を愛してしまうだろう」
 ギャツァシエガは聞かないふりをした。

 おじはこの言葉を何度か繰り返した。あまりの恥ずかしさに、若い戦士は青草をおじの口に押し込み、大声で笑った。笑った後、誰もが、彼の瞳の奥にある深い悲しみの光を見た。
 たとえどれほど勇猛な大鷲でも、この光の中に入ったら、たくましい翼を失ってしまうだろう。

 そんな時いつも、メドナズの心は優しい母の愛で溢れた。
 「ギャツァ、あなたはどうして時々そのような悲しみに包まれるのですか」
 「若い母上、私を生んだ母がどんなに故郷を想っているか、考えてしまうのです」
 「あなたは」
 「私の故郷はリンです。様々な地で強敵を倒してきましたが、母の果てしない苦しみは取り除けません」

 話を聞いてメドナズの目に涙が光った。ギャツァは後悔して言った。
 「母上に悲しい想いをさて後悔しています」
 「もし私があなたの弟を産んだら、あなたは弟が不幸に会うのを見ていられますか」
 ギャツァは笑い、自信を持って言った
 「どうしてそんな心配をなさるのですか、私が命を懸けて……」
 メドナズは微笑んだ。
 
 瞬く間に3月8日になった。昼、めでたい兆しが現れた。

 城塞の中央に一つの泉があり、冬は凍りつき、春暖かくなり花が開くと、氷は消え雪は解け、泉は再び溢れ出す。この日、泉の水は厚い氷の層を押し開き、濁って重苦しかった空気を潤し、洗い清めた。
 さらに、天空には夏のような雨を孕んだ雲がたなびき、雲の中ではくぐもった雷の音が響いた。メドナズは顔を晴れやかにほころばせ言った。
 「まるで水の底の宮殿の龍の鳴き声のようです」

 冬の間中、ギャツァは兵馬を率いてリンに侵犯して来る周りのと戦った。ギャツァは大軍を率いて一気に反撃し、前線からは絶えず勝利の知らせが伝わって来た。早馬が砦の前に現れるたびに、必ず新しい戦勝の報告が届いた。

 この日また新しい勝報が届いた。
 リンの兵馬は既に周りののすべての囲いと砦を平定し、戦いを助けた呪術師たちは陣の前で殺され、のすべての土地、家畜、民とすべての財宝はリンの統治に入り、間もなく大軍は凱旋するだろう、と。

 その夜、センロンとメドナズが寝室に戻る時、外では歓声がどよめき、二人はなかなか寝付かれなかった。メドナズは言った。
 「私とあなたとの子も、長男のギャツァと同じように正直で勇敢であって欲しいと望んでいます」

 その夜、メドナズがようやく眠りについた頃、鎧兜の神人が一刻も傍らを離れない夢を見た。その後、頭上の空に轟音が響き、雲の層が開いた時、メドナズには天庭の一部が見えた。そこから、炎を上げた金剛杵が降りて来て、あっという間に彼女の頭の先から入り体の奥深いところへと降りて行った。
 朝目覚めると、体が軽やかで、心に感動があふれているのを感じ、恥じらいながら夫に告げた。
 私たちの子は既に受胎し、私の体の中で静かに座っています。





阿来『ケサル王』⑭ 物語 神の子下界に降る

2013-08-07 01:38:30 | ケサル
「物語 神の子下界に降る」 その5



 パドマサンバヴァは洞窟から外に出て、遥か彼方を見晴るかす岩の上で結跏趺坐した。目を閉じ思いを凝らし、右手の二本の指を重ね合わせ一つの印を結ぶと、リンのすべての情景が次々と目の前に現れた。

 神の子ツイバガワの降臨する地は、中リンと下リンの交わる場所に定められた。
 その地は、天は八方に広がる宝蓋、地は八宝を載せためでたい蓮の花のようである。
 河の波が高原の丸みを帯びた丘の石の堤を打ちつつ流れ、まるで日夜六字の真言を唱えているようだった。

 その地の風水は一目で読み取ることが来た。だが、天界であれ人間界であれ、由緒の正しい家柄と徳のある父母がなによりも重要だった。
 パドマサンバヴァはまず最も古い六つの氏族について考慮し、だがすぐに打ち消した。彼の頭の中にまた、チベットの地で最も有名な九つの氏族が浮かび上がった。
 果たしてその中の穆氏がリンで暮していた。

 穆氏には三人の娘がいた。末の娘ジアンムーサは、嫁いで男子を生み、その名をセンロンと言った。センロンは生まれつき善良で心が広く、天から降る神の子の父親になるための資格を十全に備えていた。

 パドマサンバヴァが指を折って数えてみたところ、父方が穆氏であれば、母方は龍氏でなけらばならない。つまり、神の子の母親は高貴な龍族の中から探すこととなった。その高貴な女性とは龍宮に居て、龍王の愛を一身に受ける幼い娘メドナズである。
 思えば、竜宮とは水族の天国であり、龍女がその宮を出るのは、神の子が天から人間界に降りてくるのと同じ意味を持っている。

 広大なリンのチベットの民の幸せのため、龍王は父親としての想いを断ち切り、愛しい娘をリンに嫁がせることにした。
 センロンと人間界での夫婦とさせたのである。心のこもった嫁入りの品々も届けられた。
 
 こうして、一切の機縁が熟し、神の子ツイバガワは天界での寿命を終え、苦難に満ちた人の世に降りることとなったのである。












阿来『ケサル王』⑬ 物語 神の子下界に降る

2013-08-05 00:39:37 | ケサル
「物語 神の子下界に降る」 その4





 大神は言った「ツイバガワが下界に降りる時が来たようだ」

 大神はツイバガワを呼んで来させ、下界でリンのすべての民衆が喜びに沸く様子を見せることにした。

 「若い神よ、下界の悲しみ、苦しみがお前の心の中の慈悲の海を波立たせたのだったな。見なさい。お前は間もなく彼らの中に降りて行き、彼らの王となるのだ」
 ツイバガワは下界を見下ろし、感動の涙を流した。
 「よく見えます」
 穏やかだった大神の表情が厳しく変わった。
 「表面だけは良く見えたかもしれない、だが、内側は見えたのだろうか」 
 「内側?大神様がおっしゃるのは、暗がりや洞穴に身を隠す妖魔や物の怪のことでしょうか」
 「それだけではない、すべての人間の心の中だ」

 ツイバガワはこれまで悩みを知らずにいた。天界での生活は、どこへでも自由に漂い、自身の重ささえ感じてはいなかった。少しばかりの憂鬱と言えば、たまたま目にした自分とは違う世界の悲しみ、苦しみだった。
 だが、大神のこの一言で一粒の懐疑の種が彼の胸に蒔かれた。

 大神は言った。
 「これは言うべきではなかったようだ。
  法力のある者たちにお前のために出来る限り多くの加持と灌頂を行わせ、お前にこの先人間としての試練を受けさせればそれでよいことだった。
  子供よ、人の世にははやりの病があり、草木や薬は休む暇さえないのだ。
  さあ、姿勢を正して座りなさい。じっと動かず、目をしっかりと閉じ、自分を様々な法力を受け入れることのできる巨大な入れ物と想像してごらん」

 目を閉じる前に、ツイバガワは天庭の大神が早くも無辺の法力を持つ西方の諸仏をすべて集めているのを目にした。


 盧舎那仏は額から一筋の光を放った。光は十方をあまねく照らし、すべての法の始まりである「ウォン」の文字を八つの金輪に変えた。金輪は神の子の頭上を一渡り回ると、その額の際から直接体の中に入って行った。
 大神は告げた。この加持があれば、どのように穢れ卑しい環境にあっても、心身を清らかに保ち悪の道に陥ることはない、と。
 これは、これから下界に降りる神に対する最も基本となる守護である。


 喜現仏は前に進み出て裸の胸から一筋の光を放った。光は空中に暫く留まり、金剛杵に変化して神の子の胸に入った。
 仙女たちが現れて宝瓶の中の甘露で神の子の身を清めた。
 神の子はこうして、人の世を汚す罪業から逃れることが出来るようになった。


 吉祥荘厳宝生仏も現れて、臍から一筋の光を発し、あらんかぎりの福と功徳を集め、燃える宝瓶に変化させ神の子の臍へ入れた。
 こうして神の子は人の世の隠された珍宝と縁を結び、何時の日か、多くの珍宝を掘り起こし、それは神の子が人間の世に安泰の国を打ち立てる助けとなるものである。未来の国王として神の子にはこの機縁が必要となる時が来る。

 天の仏たちはすべてを光に変え、体のどの部分からも思いのままに光を発することが出来る。


 阿弥陀仏は喉から一筋の光を放った。この光は一切の言葉の力を一輪の赤い蓮の花に変化させた。この光を受けた者は人の世の六十の音律を自由に使うことが出来る。
 だが佛はすべてを光に変えることはせず、ただ神々の未来に対する美しい誓いを集めた金剛杵を神の子の右手に下しただけだった。
 佛は言った。
 「愛する若者よ、これを持ちなさい。これはお前が衆生を救うと誓った言葉を忘れさせないためのものである」
 「忘れることなどありません」
 「いや、こうしておかないと、もし下界に足を着ければ…」


 不空成就仏が前に進み出て言った。
 「若者よ、もしお前が誓いを忘れず、務めを成し遂げた時、軽率で野心にあふれた衆生の中には、お前に対して嫉妬の心を持つ者がいるかもしれない。そこで…」
 顔の長い、ユーモアにあふれた仏は、股間から一筋の光を発し、神の子の同じ部分に入れ言った。
 「若者よ、これは一つの力である。これで嫉妬の火に傷つくことはなくなった。もちろんこれはまた一つの権限である。務めを無限に果たすための能力である」

 ウォン!神の子の体には一切の福徳と法力が集まった。
 多くのものが注がれ、体はかなりの重さを持ったはずだが、意外なほどに軽やかだった。立ち上がろうとして力を入れすぎ、危く足が玉の階段から離れ、体全体が浮き上がりそうになった。

 神の子の心にはわずかに残念に思うことがあった。天庭には異なる道を行く多くの神々が居るのに、自分に加護を与えたのは仏道の神々だけだったからである。だが大神をちらりと見ただけで、喉元まで来ていた言葉を口にしなかった。
 大神は笑って言った。
 「神々であってもそれぞれ一つの道しか進めないのだ。リンはもともと仏の光に浴すべき場所なのである」
 「ただ…」
 「ただ…なにかね。言ってみなさい」

 神の子は小さな声で言った。
 「ただ私は、他の神々はもう少し愉快かもしれないと思っただけです」

 大神は楽しそうに笑い、たった今まで全力で加持し、いささか力が抜けて玉の階段に座って休んでいる諸仏に言った。
 「聞いたか。この子は、お前たちは少しまじめすぎると言っているぞ」

 諸仏は合掌し、唇を動かさず、皆が同じくぐもった声を発した。ウォン!

 大神は言った。
 「さあ、父母と姉のところへ行きなさい。今回別れたら、それはかなり長い時間になるだろう。私と仏たちはまだなすべきことがある。お前のためにリンの由緒ある者を選ばなくてはならない」

 諸仏は言った「そのことはパドマサンバヴァに執り行わせましょう」


 この目論見はすぐさまパドマサンバヴァが修業している山の洞穴に伝わった。