チケット売り場の小姐が、1人分だけ半額にしてくれた。指定された観光場所向けの特別な優待券があるらしい。団体旅行のオジサンが仲間に向かって「日本朋友だよ!」と大声で私たちのことを紹介している。暇で、することがないのでこの辺りを旅しているそうだ。
私たちは何故か道を間違えて、裏口から入ってしまった。そこは山の合間の草原だった。牛がいてチベット族のテントもあった。オジサンたちは先に行ってしまったので、とても静かだ。
いよいよ門を入る。大きな院子に射す光がまぶしい。
一つ一つ部屋を見ていく。1階には生活に必要なものが納められている。薬やロンタやお茶や香辛料や農具などが、それぞれの部屋に置かれている。女性の乗る駕籠もある。銀匠の部屋もあった。
2階、3階が官家(執事)や土司一族の部屋。煌びやかな家具調度が並べられている。
4階には経堂があった。5階まで吹き抜けになっていて、官寨の中で一番大きな空間だ。金色の仏像が何体も並べられ、壁一面に色鮮やかな仏画が描かれている。その上にタンカや、布でできた円筒形のものが掛けられ、この大きな空間が色で埋め尽くされている。息苦しいほどだ。
一人のラマが太鼓を叩きながらお経を上げていた。そういえばこの音はずっと官寨中に響いていた。
中へ入ると、結縁と守護の赤い糸を手首に巻いてくれて、焼香用のお香を分けてくれる。
写真を撮っていいか尋ねると、そんなことこだわらないでもいい、と言いたげにあっさりと許可してくれる。おまけに、隣に座っておしゃべりしましょう、と誘ってくれた。何の知識もない私がラマと何を話せばいいのだろう。だが、その親しげな雰囲気に、自然と隣に座っていた。
14歳で僧になり、元の寺はここから80kmのところにある、今あげているのは平和のお経と財神のお経である、などと話してくれる。お経はチベット語で書かれている。亡くなった先生からいただいたものだそうだ。
日本からここまでどのくらいかと聞かれたので、飛行機で北京まで3時間、北京から成都まで2時間、成都から車で2日かけてたどり着いた、と答えると、飛行機代はいくらか、とずいぶん現実的なことまで尋ねられる。私は間違って6万元(100万円!)と答えてしまった。大師、ごめんなさい。でも、いずれ分かりますよね。(また、お詫びと訂正に来なくては…)
最後に一緒に写真を撮らせてもらった。とてもうれしそうな表情をしている。私たちが立ち去ると、ラマはすぐにお経を上げ始めた。
官寨から眺める山は、思ったより間近にあった。梭磨河から分かれた渓流に沿って幾重にも重なって遥か遠くまで続いている。一番奥に見えるのはもしかして、神の山の一つ、夢筆山かもしれない。近くの山肌にはタルチョが置かれている。その奥に、中腹に滝の見える山もある。
頭のおかしい二少爺はここで画眉鳥の声を聞いたのだろうか。あの山のどこかで雪にまみれて走ったのだろうか…
今目にしている風景と、小説から受けたイメージとは、どのように重なっていくのだろうか。
静かに静かに自分の中を見守っていこう。これから幾度も阿来の文章に触れることで、その答えは見つかるだろう。
私たちは何故か道を間違えて、裏口から入ってしまった。そこは山の合間の草原だった。牛がいてチベット族のテントもあった。オジサンたちは先に行ってしまったので、とても静かだ。
いよいよ門を入る。大きな院子に射す光がまぶしい。
一つ一つ部屋を見ていく。1階には生活に必要なものが納められている。薬やロンタやお茶や香辛料や農具などが、それぞれの部屋に置かれている。女性の乗る駕籠もある。銀匠の部屋もあった。
2階、3階が官家(執事)や土司一族の部屋。煌びやかな家具調度が並べられている。
4階には経堂があった。5階まで吹き抜けになっていて、官寨の中で一番大きな空間だ。金色の仏像が何体も並べられ、壁一面に色鮮やかな仏画が描かれている。その上にタンカや、布でできた円筒形のものが掛けられ、この大きな空間が色で埋め尽くされている。息苦しいほどだ。
一人のラマが太鼓を叩きながらお経を上げていた。そういえばこの音はずっと官寨中に響いていた。
中へ入ると、結縁と守護の赤い糸を手首に巻いてくれて、焼香用のお香を分けてくれる。
写真を撮っていいか尋ねると、そんなことこだわらないでもいい、と言いたげにあっさりと許可してくれる。おまけに、隣に座っておしゃべりしましょう、と誘ってくれた。何の知識もない私がラマと何を話せばいいのだろう。だが、その親しげな雰囲気に、自然と隣に座っていた。
14歳で僧になり、元の寺はここから80kmのところにある、今あげているのは平和のお経と財神のお経である、などと話してくれる。お経はチベット語で書かれている。亡くなった先生からいただいたものだそうだ。
日本からここまでどのくらいかと聞かれたので、飛行機で北京まで3時間、北京から成都まで2時間、成都から車で2日かけてたどり着いた、と答えると、飛行機代はいくらか、とずいぶん現実的なことまで尋ねられる。私は間違って6万元(100万円!)と答えてしまった。大師、ごめんなさい。でも、いずれ分かりますよね。(また、お詫びと訂正に来なくては…)
最後に一緒に写真を撮らせてもらった。とてもうれしそうな表情をしている。私たちが立ち去ると、ラマはすぐにお経を上げ始めた。
官寨から眺める山は、思ったより間近にあった。梭磨河から分かれた渓流に沿って幾重にも重なって遥か遠くまで続いている。一番奥に見えるのはもしかして、神の山の一つ、夢筆山かもしれない。近くの山肌にはタルチョが置かれている。その奥に、中腹に滝の見える山もある。
頭のおかしい二少爺はここで画眉鳥の声を聞いたのだろうか。あの山のどこかで雪にまみれて走ったのだろうか…
今目にしている風景と、小説から受けたイメージとは、どのように重なっていくのだろうか。
静かに静かに自分の中を見守っていこう。これから幾度も阿来の文章に触れることで、その答えは見つかるだろう。