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塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

唐克のかっこいい若者

2007-08-30 03:47:21 | Weblog
私がおばあさんの写真を撮っていたら、オートバイの一組がやって来た。後ろに乗っている若者が何か言っている。了解を取らないで写真を撮るのは違法だ、と。鋭い目で威嚇しているようにも見える。彼は粗い織りの布で顔をぐるぐる巻きにしている。ちょっと異様だが、これもよく見かける格好だ。

じゃあ、あなたたちのこと撮ってもいい? 勇気を出して聞いてみる。すると彼はすぐに、そのぐるぐる巻きの布をはずす。ふっくらとした可愛い顔をしている。(なーんだ、結局撮って欲しかったのね)
思わずカッコいいと言ってしまう。うれしそうな笑顔になった。他の二人の若者はもっと精悍ないい顔をしている。浅黒い肌に、杏型の鋭い目、しっかりした鼻、黒い長髪。羊皮襖というチベット族の服の片肌脱いでオートバイに乗っている様子はとても男らしい。

主人の後ろにも、何も言わずにぴったり寄り添ってカメラを覗き込んでいる若者がいる。私がカメラを向けると、うれしそうにポーズをとる。
みんな珍しい旅行者に興味深々だったのだが、恥ずかしくて話しかけられず、きっかけを掴もうとうろうろしていたのだ。恥ずかしがりの人懐っこい人たちなのだ。

オートバイの音は日暮れまで止むことがなかった。

唐克の街

2007-08-30 03:44:31 | Weblog
その日着いたのは、唐克。ここもまた、街道に沿った埃っぽい街だ。「民族的特色」のある街だ。ほとんどの人がチベット特有の服装をしている。
不思議な空間だ。
高い建物はない。空が近い。近すぎるからかえって閉塞感があるのだろうか。草原と接触している街なのに、ここだけ重苦しい空気が漂っている。抜けるような青空と白く透きとおる雲によって世界から隔離された街。その重苦しさを打ち破るように、若者たちはこの通りでオートバイを乗り回す。どこへ行くのでもない。2,3人が集まり、オートバイに乗り、少し走っては止まり、その辺の若者と立ち話してはまた元へ戻って行く。そんな若者のオートバイが通りにあふれている。エンジンの音があちこちから起こって、途絶えることがない。
彼らの着ているチベット族の服は思い切り埃を吸って重そうだ。

通りにいる人たちは、皆どこか所在無げに見える。ラマ僧、男たち、おばあさん、犬…
どこへも行きようのない街で時をやり過ごすしている。そんな風に見えなくもない。
行きずりの私にはちょっと辛そうに見える。余計なおせっかいだ。

ここには牛飼いたちの家もあるという。通りの裏にはレンガ造りの長屋がたくさんあって、もしかして彼らのものかもしれない。彼らは今はかなり裕福で、だが素朴な性格のため、商売には向かないらしい。だから、この街の人たちは何もする必要がなく、日々を過ごしているのかもしれない。


まだ草原の中

2007-08-28 02:29:45 | Weblog
120キロほど走って、紅原の街に着いた。

また宿探しかな。旅行社にケータイしている。簡単には行かない雰囲気だ。
ここが紅原の街なんですが、ここに泊まってもいいし、旅行社はもう少し先の街に宿を用意しているので、そこまで行ってもいい。そこまでは70kある、どうしますか。
(そういわれても…今から70k走ってもらうのは悪いし…宋さん、顔に書いてあるよ)
紅原泊となっていたから、ここにしようか。
じゃ、僕たちで宿を探しましょう。

私のガイドブックに紅原賓館ではホットシャワーが出ると書いてあったので探してもらう。なかなかきれいな賓館だ。一泊360元の部屋が空いている。

じゃあ、120元との差額を払えばいいのね。

あらら、宋さんはまた困った様子でケータイする。昨日より手間取っているな。そのうち、私にケータイを渡す。相手はあの酸素を届けてきたオヤジだ。細身の、ニガミばしった顔が目に浮かぶ。失礼なくらいゆっくりとした普通語で話しかけてくる。

今晩私たちは、もう少し先の街に宿をご用意しました。70km位先のところです。その近くにはとても景色のよいところがあります。黄河第一湾です。入場料は40元ぐらいで、馬にも乗れます。お客様の自由で行って下さい。もちろん、行かなくてもかまいません。それで、もし、今日そちらで宿を探されるのなら、安全にはご自分たちで十分注意してくださいね。私たちが用意した宿はとても安全で、民族的特色のあるところです。

そこまで言われたら断るわけにはいかないだろう。

あら、そうですか。私たち何も知らないで…いろいろ考えていただいてありがとうございます。じゃあそこまで行くことにします。

宋さんには悪いけれど、また走ることになった。ホッとしかけたところだったので、主人もちょっと機嫌が悪い。

だが、それからの草原はこれまでよりも、もっともっと美しかった。山はより遥かに遠のき、緑はより美しく、よりやさしくなった。河も更にゆったりと蛇行している。空がより近づき青さを増し、雲は思いっきり伸びやかで、いつまでも、いつまでも見飽きることがなかった。

紅原ー高原

2007-08-26 03:23:05 | Weblog
刷経寺の街を出発し、ひたすら走る。下ったり登ったしているうちに、河の流れが穏やかになり、遠くの山が低く感じられるようになる。そう、ここは草原だ。
曇っていた空から青空がのぞき始めた。混じりけのない透明な空だ。遠くの山に雲の影がくっきりと映っている。雲と山が近いのが分かる。
山の形はなだらかだ。そのなだらかな山がいくつもいくつも連なっている。それぞれに光を受けたり、かげになったりして、緑の調子を変え折り重なっている。なんて柔らかな緑なのだろう。

黒い小さな点がいくつも見えるが、それは牛だ。牛は道路にも寝ているので、そのたびに車はスピードを落とし、クラクションを鳴らす。牛の顔が目の前に現れる。牛もなれたものでゆっくりと道を開ける。まるで車幅が分かっているみたいだ。もし、牛とぶつかってしまったら罰金2000元だそうだ。牛飼いらしい人の姿は見あたらない。牛たちは勝手に草原で草を食べ、夜暗くなると自然と自分の場所へ帰っていくのだろうか。チベット風のテントがあちこちに見えるから、あれが目印なのかもしれない。
ところどころにタルチョも見える。

途中小高い丘があり、休憩にする。
祖国の懐に抱かれてるぞ~!宋さんが大きく伸びをし、大声で叫ぶ。
穏やかな河がここで大きく蛇行していくのが見渡せる。その様子が細い三日月のようなので、月亮湾と呼ばれている。
    
たくさんの観光客が遊んでいる。結婚写真を撮りに来ている人もいる。花嫁はウエディングドレスに着替え、スタイリストに化粧してもらっている。そこへぴかぴかの背広を着た花婿が駆け寄って来た。頭は角刈り。ちょっと野暮ったい。とてもうれしそうだ。今こういうのが結構はやっているらしい。

私たちは出発する。まだまだ走る。いくら走っても草原は続く。河のほかにも、小さな水溜りが点々と光っているのは、湿原だからなのだろう。空が映る。ピンクや黄色のはかなげな花が緑の中に時々姿を見せる。草原は今が一番美しい時だ。

遠くの雲が、低く垂れ込めている。あの下はきっと雨だ。そう思っているうちに私たちの車も雨の中に入った。しばらくして雨がやむ。それでもまだ緑の真ん中にいる。草原以外はないも見えない。ここまできてやっと自分が感動しているのが分かる。草原の大きさに圧倒され、胸が熱くなる。中国は大きい!その懐に抱かれているのだ。


高原反応

2007-08-25 03:46:25 | Weblog
今日は紅原へ向かう。いったいどんなところだろう。

その前に4000m級の山を越えなければならない。高山病は大丈夫か、ちょっと緊張している。
中国の予防薬「紅景天」は手に入れたが飲まなかった。前日から飲み始めなくてはいけないので、もう間に合わない。千賜草とも呼ばれる植物から作られて安全と書かれているが、やはり、特に今の時期心配だった。日本の予防薬アセタゾラミドは、必ず医師の診断書が必要なのだから、かなり強い薬なのだろう。
ある人からブドウ糖がいいと聞いたので用意した。できるだけ深呼吸して、いざとなったら酸素を吸う。それでもダメならバッファリン。居眠りすると酸素量が減ってしまうから、眠らないようにおしゃべりをする。水分を取る。
中国では高山病といわず、高原反応という。つまり、病気ではないのだ。そう考えるとちょっと気が楽になる。

登って行くのは鷓鴣山。最近トンネルが出来たので頂上まで行かなくていいので時間が短縮された。その分、美しい景色を観られなくなったけれど、体力のない人(根性のない私たち)はわがまま言えない。
心配したほどでもなく、刷経寺峠を越え、刷経寺の街に着いた。ここまでで130キロは走った。

刷経寺の街は、ちょっとひなびた街道筋の街。ガソリンスタンドが中心みたいな街だ。
道端できのこをたくさん売っている。主人がこれは絶対マツタケだと主張するので、少しだけ買う。できたら今夜の宿で料理してもらおう。
やはり少しめまいがする。からだを動かし、食事をしたら直った。

理県の市場

2007-08-25 03:40:32 | Weblog
8月6日。
朝思ったより早く目覚めたので、街に出てみる。河まで行ってみようと、建築中の建物の横の細い道に入っていく。私たちはいつも横浜の街を歩き回っているので、裏道はお手の物、路地が大好きで、ついついひきこまれてしまう。すると、人工的だと思っていた街が、急に身近に感じられてくる。河から山側に昇る細い階段の途中で市場を見つけた。
高い建物の谷間にテント布で屋根を張っただけ。果物、野菜 (緑の葉がきれいだ)、調味料 (出来たてのコンニャクのようなものがある)、乾物、煙草 (きちんと並べられた箱が裸電球の光に浮かび上がっている)、雑貨…肉はその場で解体中。下に牛の頭ごろんと落ちていて、洗い残された血が薄く地面をぬらしている。
主人は興奮状態で盛んにシャッターを押す。去年カシュガルで市場を撮る術を学んだと自任している。
私はまだ戸惑っている。桃を買って、近くの石に座ってボーっとする。
チベット族の衣装を着た女性がいる。竹で編んだかごを背負っている人がいる。暇そうに何度も行き来するおじさんがいる。カメラを向けると顔を隠す人。後ろから珍しそうに覗き込む人。話しかけたいんだけどわざと知らん顔をしている人…
ここにいるだけで幸せだ。 (写真を撮る勇気がないだけなんだけど)

9時。宋さんが大股で元気に歩いてきて、昨日はいやな思いをさせてスミマセンでした、とさわやかに言う。気持ちよく出発できそうだ。


理県の夜

2007-08-23 04:22:53 | Weblog
明日9時出発ということにして、理県の街へ。
ホテルの前は県の政府と法務局らしいが、これも皆同じような建物。少し歩くと広場があり、バスケットで遊ぶ若者がいる。この辺りはだいぶ西なので、日が沈むのは夜8時ごろだ。駄菓子屋みたいな小さなおもちゃを売っている店が目に付く。どこでも子供は可愛いものだ。スーパーらしきものもある。チベット族の服を着た人がフツーに歩いている。

大根とスペアリブのスープ風、きのこの炒め物、あっさりした麺を食べる。この辺りはきのこが名物だが、ちょっとしょっぱい。ビールは言わないと冷やしてくれない。高山病が怖いので控えめにする。

シャワーはやっぱりお湯が出ない。浴びずに寝る。こうやってチベット人になっていくのだろうか。

理県に着く

2007-08-23 04:19:42 | Weblog
夕方、理県着。海抜1400m。街道沿いの街。当然、切り立った山が迫り、激しい河に沿っている。建物は皆肌色に塗られ、レンガ色の縁取りがあり、かえでの葉の模様が描かれている。全く同じような建物が、通りに沿ってずっと並んでいて、映画のセットのようで、よそよそしい印象を受ける。河の音が轟々と聞こえるのに、どこか埃っぽい。

理県賓館。それが今夜指定された宿。宋さんがフロントと話してくれる。

クーラー付160元、クーラーなしだと120元だそうです。
クーラー付を120元にしてくれるってこと?(旅行社との話では、クーラーなしに決まっていたのに)
それは無理みたいですね。
(やっぱり!)じゃあ、クーラーなしで。
では、デポジット200元払ってください。
えっ!
200元渡しておいて、あした80元返してもうんです。
でも…もう代金は旅行社にまとめて払ってあるんだけど。
今度は宋さんが「えっ!」
(どうも話がかみ合わない。慌ててケータイしている。よくあることだ。手間取るのかな)
やっと事情が分かりましたよ。契約の内容をはっきり聞かされてなかったので…
いいえ。旅行社の人がちゃんと伝えなかったのがいけないのよ。

宋さんはさわやかな青年だ。背が高く、優しい目をしている。だが、私の中国語力不足と、彼の成都訛りで、なかなか話がはずまない。7日間一緒にいればもう少しおしゃべりできるようになるかな、と期待している。
今回の仕事は、友人の紹介らしい。昨日決まって今日出発だから、細かい打ち合わせができていなかったのは仕方がないか。(若い人には寛大な私)

やっと部屋へ。エレベーターなし。ベッド二つ、しゃがみトイレにシャワーのみ。まあまあ清潔で、よしとする

桃坪羌寨 その3

2007-08-22 03:10:30 | Weblog
村の下まで下りて、河に沿って奥に行くってみると広場があった。羊の頭の形のモニュメントが中央に飾ってある。何かの儀式や集まりをするところなのだろうか。

ここからは、村の全体像を見上げることが出来る。村の象徴である二基の塔が、美しく厳かに聳えている。石の持つ力だ。だが、どこか寂しげに見えなくもない。

子供が三人、元気に遊んでいる。写真撮らせてというと、不照!(撮らない)とえらそうに答える。かわいい。

ここは成都から1600kmくらい。標高もそれほど高くないので、2,3泊の旅行にうってつけなのかもしれない。観光地化されているのにがっかりして、まっすぐ今夜の宿泊地、理県へ向かうことにする。

途中の山に、石造りの建物がたくさん見られる。わざわざ桃坪羌寨に行く必要はないかもしれない。どこかひなびた村に立ち寄って、村の人とのんびりおしゃべりしてみたかった。

桃坪羌寨 その2

2007-08-22 03:08:58 | Weblog
さらに下がっていくと、一つの家の入り口にオバサンがいて、歴史のある家だから1人5元で中を案内するという。2人で5元にしてもらって勝手に見る。

真っ暗な地下、2階には囲炉裏があり、3階には大きな乾し肉がぶら下がっている。はしごのように急な階段を登っていく。窓は小さいけれど、そこから入ってくる光が厳かなほど美しい。

1階はやはり土産物屋になっている。娘さんにここで暮らしてるの、と聞いてみると、そうだとのこと。
生活は不便じゃない?食べ物は畑で作っているの?
一時間半くらいのところに買い物に行くので不便じゃない、との事だった。

桃坪羌寨 その1

2007-08-22 03:06:45 | Weblog
今日の目的地は桃坪羌寨。羌族という少数民族のである。石を積み上げて作られた建物が美しく、独特の形態をもった村らしい。

道の両側の山肌にいくつかの石造りの家が見え始めた。いよいよ近づいてきたのが分かる。
しばらくして桃坪羌寨の大きな看板。車を降りるなり、村のオバサンやおニイさんに囲まれ、入場料一人分にしてあげるから着いて来てという。わけも分からず着いていくと、村に入ったところで60元払わされた。(今思うと、HPでは一人25元だったような) 20元でガイドしてあげる、というのを振り払い、上へ向かう。
みやげ物を売っている露店が並んでいる。北京の川底村をもっと俗っぽくしたみたいだ。かまわず登って行く。

薄い石を丁寧に積み上げた家はやはり美しい。

案内したそうなオバサンを無視し、一気に村の一番上まで登る。突然変なオヤジが追いかけてきて、そこは一人2元だと叫ぶ。払うと、後で家に寄りなと言ってさっさと戻って行った。まったく、なんていうところだ!

だが、2元のおかげで、ここまでは人がやってこない。静だ。前も後ろも険しい山が折り重なって聳えている。
村が一望できる。

この村の建物はほとんどが3層建で、屋根はどこかで隣の家とつながっている。地下には水路があって、これも各家々の下を通って流れている。敵が攻めて来た時の逃げ道であり、入り込んできた敵を逃がさないためだという。
屋根には神聖な白い石が置かれているのが良く見える。
高い塔が二基、村の中心に聳えている。これも石を積み上げて作られている。壁の厚さは1mから40cmもあるらしい。表面は滑らかで、自然の持つ暖かさがあるが、遠くから見ると厳しさを感じる。敵を威嚇し、攻撃したのだろうか。

このような塔については、2000年前の書『後漢書』にも記述があるという。その後何度か作り変えられ、今残っているの明、清の土司によって作られたものと考えられている。

下でオヤジがてぐすねひいているのが見える。行ってみるとやはり胡散臭いものを売りつけてきた。買う気がないのが分かると、さっさと椅子に座ってテレビを見始めた。私たちもしっかり無視する。

岷江と出会う

2007-08-22 03:02:53 | Weblog
河はどんどん広くなり、道の右側へと移る。岷江。激しい流れだ。雨のせいではないらしい。車はどんどん高度を上げる。川幅も広くなる。
ダムがある。ダム湖の水は穏やかだ。雨上がりにけむっている。大きな橋がもやの中から浮かび上がる。水墨画の世界と言えなくもない。
更に登っていくと、河の流れがまた激しくなる。これからはずっとこの波立つ河と一緒に走ることになる。

舗装された道をしばらく気持ちよく走ると砂利道になる。その繰り返し。途中反対側の道が止められていた。土砂崩れだろうか。どこまでも続く車の列、車を下りて暇そうにしている人たち。宋さんによると、半日くらいは止まっているようだ、とのこと。確かにどの車もホコリまみれだ。その列は次の大きな街まで続いていた。汶江の街。昼食に麺を食べる。まだ、少し緊張している。
ここでのトイレは街の役所のような建物のを借りる。ここでも問題なし!

出発の日、成都は雨

2007-08-22 02:47:25 | Weblog
8月5日。
ついに成都を出る。しばらくして雨が降り始めた。前が見えないほどの雨。先の道が不安になる。

雨が止む頃には、平地を通りぬけ、そこに雑然とした街が現れた。
食堂や食料品屋や雑貨屋や修理屋や、無秩序に店が並んでいる。店の奥に高い山が覗ける。道はぬかるみ、雨上がりの湿度を含んだ生暖かい空気が漂っている。通りにたたずむ人々はみな手持ち無沙汰で、落ち着かない様子だ。なんと形容したらよいのだろう。ここを分岐点として人が集まり去っていく、流れ者の集まった街といえなくもない。(後で調べると玉堂という長距離バスのターミナルだった)

さて、トイレ。大型車修理場の奥にあった。脇を轟々と河が流れている。半透明の苔色の水があふれんばかりだ。トイレは胸くらいの高さのコンクリートの壁で仕切られているだけ。下には長方形の穴。でも、抵抗もなくその中に入って行き、自然に用を足せた。これって、これからの道程でとても大切なことだ。よし、これで本当に準備OK!

周りの人に道を確認し、出発。河がすぐ左手を轟々と流れている。運転手の宋さんが、ここの水は美しい、と自慢げに言う。

成都で交渉する

2007-08-21 01:46:06 | Weblog
8月4日、茶店子に行く前に、ホテルのすぐ脇の小さな旅行社に寄ってみた。
私がどうしても行きたいのは、馬爾康(マルカム)。でも、ツアーとしてあるのは、「米亜路、桃坪3日間」、「四姑娘山4日間」、「ラサ6日間」など、微妙にマルカムをそれてしまう。旅費宿泊すべて込みで360元や480元とちょっと魅力的なんだけれど。最悪これでいいか、と日和かけた時、馬爾康・卓克基・丹巴の文字が目に入る。これは?とたずねると、今やっていない、とそっけない返事。細くてギョロ目の小姐の鼻にかかった声が、物憂げに響く。いつものことだ。ここでひるんではいけないぞ。

でも、ここに書いてあるじゃない?
それは、行きたい人が何人か集まった時、車をチャーターしていくんです。
私たち、二人なんだけど、だめ?
何日くらいですか?
6日。
ちょっと待ってください。
(とどこかへ電話している。少し希望が出てきた)
1600元(2万5千円)くらいですけど。
それって、1日分?(あ、しまった!)
(彼女はまた電話する)

小説『塵埃落定』を読んでから、アバ方面の地図を探しだし、何度眺めたことだろう。少しずつ、地理が頭に入り、去年くらいから具体的なバスルートやホテルについて調べてきた。理県2泊、マルカム3泊、丹巴1泊、計7日で、(バス+タクシー+ホテル+参観料)×2人=約7万5千円、というのが私が必死で計算して出した金額だった。いろいろなホームページからひっぱてきた数字なので、あまり当てにならないけれど。

小姐の返事を待つ。期待と、無理だろうなという不安が行き交うが、中国人を真似て無表情で待つ。彼女はぼろぼろのメモ用紙に何度も書き直し、何度も何度も計算しなおし、やっと日程と金額を示してくれた。
5300元(8万5千円)。
妥当な金額だな。何よりも、行けそうだ、ということだけで心が躍る。このチャンスを手放してはならない!でも冷静に、冷静に…
それから具体的な調整に入った。

ここは行かない。
では、ルートを変えますね。(また電話)
ここも行かなくてもいいんだけど…
ここはお薦めですよ。このパンフレットの写真は全部ここで撮ったんです。
ホテルはどんな?
クーラーなし、シャワー・トイレ付。涼しいからクーラーは要りませんよ。
マルカムを2泊にして、そこだけいいホテルにして。
(また電話する)
では、1日あたり100元高くなりますけど。
いいわ。どんな車?写真ある?
(写真を見せてくれる。まあまあかな)
途中体調が悪くなったら成都まで送り返してくれるわよね。
はい。

成都→理県→紅原→マルカム(2泊)→丹巴→康定→成都の7日間。
1日、車700元、宿泊120元、運転手の宿泊食事代60元、宿泊代追加200元。合計6240元。日本円で約10万円。

もう少し安くならない?
無理です。安全を考えたらこうなります。

これから茶店子に行き(往復1時間はかかるだろう)、バスの切符を買い(買えるかどうか分からない)、ホテルへ一つ一つ電話で予約し、明日朝早く重い荷物を持って茶店子へ行って長距離バスに乗りこみ、街に着くたびにタクシーを探し交渉し、次のバスの切符を手配し、もし体調が悪くなったら最悪タクシーで帰ってる…それを考えたら…10万円は妥当な金額だろう。いや、私にはありがたい金額だ。
OKする。高山病予防の紅景天を用意してもらう。

ヤッター!
私の聖地マルカンが一気に近づいた。
主人が、北京のオバサンみたいだったよ、と言う。と、とんでもない!
これを逃したらもう行かれない、どうぞ断られませんように、と祈るような気持ちで、乙女のようにドキドキしていたのに!
ここに来るまで、夢の中で何度バスの切符を買っただろう。それでもそこから先は不安というモヤがかかっているだけだった。それを晴らすことが出来たのだ!自分の頑張りと、主人の理解に感謝しよう!(他のみんなにもね)

ホッとしたところで、文殊院に行き、昨日の美女に画廊街を案内してもらい、食事をし、私たちのホテルを知らない若いタクシー運転手をからかい、成都での夜を終えた。
そういえば、麻婆豆腐を食べなかったな。あまのじゃくの私たちらしい。



成都から始まる

2007-08-19 14:25:46 | Weblog
8月2日
夜8時、CA168で定刻より一時間近く遅れて北京へ出発!友人宅に泊めてもらう。用意しておいてくれた緑豆粥がおいしかった。

8月3日
街へ出ることなく12時半のCA 4102で成都へ。
ホテルに着いてすぐ、四川国際旅行社へ行って、アバの様子を聞く。何しろ、これから先の手配を何もしていないのだ。日本からでは、私の力ではどうしようもなかった。毎日地図を眺めてはため息をついていただけで…
服務員の小姐は相変わらずやる気のないけだるい雰囲気。アバについては何のコメントもなし。マルカン方面のバスの切符はどこで買えるか聞くと、近くの新南路のターミナルで買えるとのこと。(そんなはずはないだろう、どのガイドブックを見ても茶店子バスターミナルで買う、と書いてあるのだから)それでも、淡い期待を抱いて歩く。だが、やっぱり!当然!茶店子でないと買えないとのこと。
先行きが心配だ。

北京の友人が紹介してくれた成都在住の女性に連絡すると、もうホテルに向かっているとのこと。慌てて走る。中国では街の中を走る人などいない。恥ずかしいけど走る。汗が噴出す。
彼女は、工筆(細密画)を学び、教えているという美女。丹巴の甲居で10日間スケッチしたことがあるとのこと。でも、学校で行ったので行き方はわからなかった。
夜の成都を案内してくれる。古い町を模して作った通りへ。正直言ってあまり面白くない。成都の街は、以前は四合院で埋め尽くされていたそうだ。小さい頃彼女もそこに住んでいて、楽しかったとのこと。そんな成都を見たかったな。成都は気候がよくて暮らしやすいと話してくれるのだが (そういえば、タクシーの運転手もそう言っていた)、蒸し暑いというイメージしかなかったので、ちょっと驚く。今はちょうど地下鉄の工事中で雑然としているが、そう言われてみると、どことなく穏やかさを感じる。河が中心部を取り囲んでいるからだろうか。
主人は美女の前で緊張し、おとなしい。新しい発見だった。

明日、茶店子に行ってみよう。