goo blog サービス終了のお知らせ 

塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

旅の報告を

2007-08-19 14:00:56 | Weblog
8月14日に日本に帰ってきました。
アバ。たった一週間で走り抜けてきたけれど、そこは、そそり立つ山々と、果てしない草原と、そしてあふれる水の世界でした。
いつも私のそばにあったのは、ただひたすら轟々と、雪山からの流れを集め、所により名を変え、尽きることを知らずに波を立てて流れていく河でした。その一つの支流に沿って山道を登って行けば、いつのまにか岩を縫う渓流となり、ついには、低い木々の陰に静かに静に流れる透明な一筋の水となる…冬から春の間は雪に閉ざされ、その雪が融けてまた流れを生み出す…人知れず続いていく切なく美しい自然の摂理。ここに詩が生まれないはずはありません。
阿来という詩人が生み出した作品『塵埃落定』。それに少しでも触れたいと訪ねたアバの旅の記録を載せていきます。間違いがあったら指摘し、補っていただけたらうれしいです。

嘉絨ー―ジアロン

2007-07-20 23:33:28 | Weblog
嘉絨―― ジアロン、ギャロンとも呼ばれる(チベット語の表記は難しい!)
まず、阿来の『大地の階段』から要約。

「チベットの吐蕃国は7世紀頃各地に版図を広げていた。東に、東北に向かっていた時、大きな帝国と向き合った。黒を重んじる民族だった。そこで、「嘉絨」というチベット語の呼称が生まれた。黒衣の国という意味である。
吐蕃の軍隊は青蔵高原を抜け、現在のアバの地に辿り着いた。そこに長期に留まり、いつのまにか現地の民と溶け合っていった。
アバは二つの部分に分けられる。一つは西北の草原地帯、もう一つは東南の山岳地帯。その森林に育まれた長江の上流の河――嘉陵河、岷江、大渡河。その大渡河の上流の独特の農業地帯、それが嘉絨である
嘉絨とは、単純な意味から言うと、漢民族の地に近い農耕地という意味である。吐蕃の大群が来る前に、この地の文化はすでに確立されていた」

もともとボン教を信じていた民に、チベット仏教が伝えれられ、独特の文化が生まれた。言葉は嘉絨語を話す。

ジアロン一帯には、独特の建築物が残されている。石で作られた家々、高い塔(碉楼)、土司と呼ばれる族長の官寨。ほとんどが河に面した山の斜面に建てられて、壮観である。
嘉絨について知ろうと思ったら、宗教、建築、地理…調べなくてはならないことがたくさんある。
ふ~疲れるう。

いや、もっと疲れることがあるのだ!
それは嘉絨に辿り着くまでの道のりである。
今回、成都→理県→馬爾康(マルカム)→丹巴→成都というコースを考えているのだが、理県から馬爾康へ行くには海抜4040キロの鷓鴣山を越えなくてはならない。もちろんバスに乗ってだけれど。すばらしい景色の連続らしいが、高度に耐えられるかどうか。多くの人の旅行記を見て、頭の中ではすでに越えているのだが…

そう、当然だがこの辺りには多くの山がある。鷓鴣山、墨爾多山、夢筆山、四姑娘山。それぞれ神の山として崇められている。そしてその間に溝と呼ばれる水が作り出す美しい場所がいくつもある。九寨溝もそんな一つである(今回は行かないぞ)。

実際の準備は、成都の二日目まで辿りついた。航空券、ホテルの予約。ちょっとほっとした。本当はこれからが大変なのだけれど。日本にいてどの程度準備、連絡が出来るのだろう。この壁は鷓鴣山より手ごわいかもしれない。

過去の過去

2007-07-06 03:23:24 | Weblog
アバ。正式には四川省阿壩チベット族羌族自治州。成都の西北100k程の辺り。5000m級の高い山が連なっている。美しい水の色で今人気を集めている九寨溝、黄龍はその北東にある。が、今回そこには行かない。天邪鬼だから…だけではない。
アバ州の州都はマルカン。海抜2600m。その近くに卓克基土司の官寨がある。土司とはこの辺りの族長のようなもの。18の土司がこの辺りを治めていたという。卓克基土司の一族が『塵埃落定』のマイチ土司のモデルとなったといわれている。そこが今回の私の目的地だ。その周りにはチベット族―ジアロン・チベット族独特の民居がある。ここもぜひ見なくては!
海抜3500mの所に大蔵寺という寺がある。アバ出身のアワザンパが建てた寺だ。アワザンパはボン教の僧だったが、修行の途中でチベット仏教と出会い、その教えを広めようと、この辺りにたくさんの寺を建てた。伝説によると108の寺を建てたという。
それらの寺も、土司の官寨も、2,3年前までは荒れ果てていた。それが…今はだいぶ修復されて、整った姿となり、だが、趣はなくなってしまった。官寨は博物館のようになっているようだ。ちょっと興ざめ。
それらを見て、荒れ果てていた頃を想像し、またそれを通り越して、盛んだった頃を偲ぶのが今回の旅といえるかもしれない。これもまた天邪鬼な行為である。
阿来は紀行記『大地の階段』の中で、私の今回の旅は記憶をたどる旅である、といったようなことを書いている。それは、まだ荒れ果てていた頃に書かれた作品である。阿来は朽ちかかったたものを見て、過去を思い、変わってしまった人々の心と自然と、自分の若かった頃の記憶とを、心の中で整理しようとする。
私には彼の持つ記憶がない。どうやってこの土地を見ればいいのだろう。『塵埃落定』を通して見るしかない。
それが今回の私の旅。

塵埃落定の旅 四川省アバを訪ねる

2007-07-01 02:28:30 | Weblog
そもそも何故この旅を思い立ったのだろう。
それは数年前『塵埃落定』という中国の小説を読んだから。
四川省アバ州マルカン出身のチベット族の作家、阿来の作品、茅循文学賞を受賞している。
チベット族の地を治める土司の一つ、マイチ土司の終末を描いた物語。主人公は土司の二番目の息子。特異な感覚の持ち主で、奇怪な行動をすると同時に、土司の時代の終末を感じ取っている。勇敢な兄と馬鹿な弟、という図式の中で、世継ぎ争いに巻き込まれることなく、自分の世界を保ち続け、そのことで逆に周囲の信頼を得、美しい女性を手に入れ、だが、心の中には土司になれない寂しさを常に抱いている。漢人との関係でマイチ家は富と権力を拡大していくのだが……最後に主人公は天に昇っていく…
何故、その舞台がアバだと思ったのだろう。今ではよく分からない。多分愛でしょう。作品への愛が、知らないうちに情報を集めさせたのだ、としか言いようがない。
阿来には『大地の階段』という紀行文の作品があり、一緒に足跡をたどっていくと、この辺りの文化が少し分かってくる。特に土司制度について、ボン教とチベット仏教の混ざり合った独特の宗教について。
奥が深いぞ。いつかはここを見なくては!
そう思ってから3年は経っただろうか。
今回、何とか実現しそうだ。スケジュールを調整してくれた人、同行してくれる人、情報を提供してくれる人…もう一度たくさんの人に感謝します。

塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

2007-06-30 01:59:00 | Weblog
中国四川省アバへの旅。
今日やっと日程が決まった。うれしい、と言うより、協力してくれた人たちへ感謝の気持ちがいっぱいだ。この気持ちを忘れないために、このブログを書き、出来るだけ私の思いを伝えたい。
良い旅にしよう、楽しいブログにしよう。そのためにはまず健康管理。ダイエットとストレッチ(ちょっと方向がずれたかな)

8月2日出発、8月14日帰国の予定。それまで、よろしくお願いします。