二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

そうなのか。

2017年12月09日 03時38分00秒 | ニ言瓦版
電気自動車になると、いろいろ、儲かる企業もある。


「樹脂製の自動車部品を手掛ける豊田合成の宮崎直樹社長(60)は「車の電動化をビジネスチャンスにする」と話す。開発競争が激しくなっている電気自動車は、1回の充電で走れる距離を長くするため軽量化が課題となっており、金属より軽い樹脂部品の需要が増すと見込んでいる。

 東京モーターショーでは車体の大部分を樹脂に置き換えた大胆な試作モデルを展示した。「モーターの関連部品でも新たな需要があるかもしれない。変化を前向きに捉えたい」と意気込む。」


金属の時代から、樹脂の時代。
原料は、石油か、天然ガスか。

すべては、変わっていくのかもしれない。
変わらないと、生き残れないことかもしれない。
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考えると、よくいうものだ。

2017年12月09日 03時05分42秒 | ニ言瓦版
よく、いうものだ。
考えると、人の褌で、受かり、反旗翻す。
そして、何か、築地市場の問題か、
着々と、駐車場して、その後、考えることだ。
それしか、五輪の対策は、ない。
五輪が終わって、考えることだろう。



「小池知事の政治姿勢に疑問を持ったことなどを理由に、ことし10月に都民ファーストの会を離党した音喜多駿議員が、8日の一般質問で知事に対し質疑を行いました。
この中で音喜多議員は、市場の移転問題で、築地市場の豊洲への移転とともに築地の跡地を再開発するとした小池知事の基本方針について「再開発の具体的な展望が描けない現状は混迷を与えている。この状況こそリセットすべきだ」と述べました。
そのうえで、かつて都民ファーストの会の所属議員として、みずからも基本方針を支持していたことを踏まえ「私自身も過ちを認め、謝罪する。知事も政策判断の誤り、過ちを認めた上で、市場関係者のもとへ足繁く通い誠意を求めるべきだと考える」とただしました。

これに対し小池知事は「築地は将来の東京にとって、極めて重要な役割を担うエリアであり、ポテンシャルを最大限に活用してよりよいまちづくりができるようしっかりと検討していく」と述べ、引き続き築地の再開発を進めていく考えを示しました。

また音喜多議員は、この基本方針を決定する過程について「知事自身の意思決定プロセスを明らかにしなかったことは都民の不信を招いた要因になっている。知事の足元に『ブラックボックス』が生じているのではないか」として、小池知事の情報公開に対する姿勢をただしました。

これに対し小池知事は「組織のトップである以上、政策判断は常に発生するもので、さまざまな意見を参考にしながら知事として判断するのが当然のことと考えている。今後も都政の透明化をさらに推進する」と述べました。」


この質問より、五輪の建物のできの状況のか、心配だ。
とくに、地方の五輪施設と交通機関。
都内は、船もある。羽田から船、道路も。
民泊も。

問題は、建物が、できるのか、五輪の前に、一年前に、試合ができるのか、問われる。

築地市場は、豊洲市場移転してから、更地することは、簡単だろうな。
壊すは、簡単、作るのは、考えることだ。
築地場外の建物が、新しいのがあるから、現実は、果たして、豊洲市場が、利出るか。
それは、問題かもしれないが、五輪の後に、閉鎖もある。
市場の廃止が、現実になるものだ。
都内は、市場が、多すぎる。
総合市場を大田市場で、作るとか、統合の時代。

しかし、よく、都民ファーストの会を離党して、議員でいる。
離党するとは、辞職して、選挙するものが本当だろう。

また、選挙近くになると、どこかの党に入り、当選して、離党するのだろう。

組織がないのは、いうも、ない。



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広告は、怖い。

2017年12月09日 02時56分39秒 | ニ言瓦版
広告は、怖い。
広告と、違う内容では、犯罪である。
よくよく、知ることかもしれない。



「消費者を誤認させる広告表示をしたとして、消費者庁は8日、中古車販売チェーン「ガリバー」を運営する「IDOM(イドム)」(東証1部、東京都千代田区)に対し、景品表示法違反(有利誤認)で再発防止を求める措置命令を出した。

 販売店で「10年保証対象車」などと記載した新聞の折り込みチラシを発行していたが、実際は保証は別料金だったという。

 同社は、旧社名のガリバーインターナショナルだった2011年3月にも、テレビCMなどをめぐり同様の命令を受けている。

 対象となったのは、軽自動車専門店「ガリバーミニクル」3店舗が16年5月~今年3月に配布したチラシ。車の写真や価格の付近に「10年保証」「保証付き」などと表記していた。エンジンやエアコンなど主要な機械が故障した場合は無償で修理する内容だったが、車の購入時にオプションとして約10万~30万円が必要だった。

 消費者庁によると、全国の店舗で100回ほど同様のチラシが配布された。担当者は「消費者は無料で保証が付くと認識してしまう。表示の管理体制が不十分だ」と述べた。 」



考えると、中古車は、消耗品の最後だろう。
もともと、車は、消耗品だ。
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2

2017年12月09日 02時50分06秒 | ニ言瓦版
そうだ、バトルは、凄いことだった。


「元プロ野球監督・野村克也氏(82)の妻でタレントの野村沙知代さん(享年85)が8日午後4時9分、都内の病院で死去した。沙知代さんとバトルを繰り広げ、法廷闘争まで及んだ女優・浅香光代(89)が同日、東京・浅草の自宅で取材に応じ、「アタシよか長生きすると思ってたのに、人間って分からない。こうなったら仏になりましたから、安らかにと手を合わせるしかないです」と悼んだ。


 浅香は沙知代さんとの舌鋒バトルを繰り広げ、“ミッチーVSサッチー騒動”と連日、ワイドショーなどをにぎわせた。沙知代さんからは名誉毀損で訴えられ、敗訴。裁判は2004年に二審も沙知代さんが勝訴する形で終結したが、その後、会うことはなかったという。

 夫の世志凡太とともに自宅で取材に対応した浅香は「アタシよか長生きすると思ってたのに、人間って分からない。こうなったら、仏になりましたから、安らかに、と手を合わせるしかない」とバトルに終結宣言。「あんなに(バトルに)火がつくと思ってなかった。後悔っていうか、普通に言ったつもりがだんだん大きくなっちゃって、ひどくなっちゃった」と振り返った。

 最後に沙知代さんに声をかけるとしたら、と聞かれると「皆さまの気分を悪くしないように、(来世では)静かにしてほしいと思います」と語った。

 浅香は沙知代さんが1996年に衆院選に出馬した際、アメリカの名門・コロンビア大学に留学経験があると学歴を詐称したとし、99年7月に東京地検に刑事告発。99年8月には沙知代さんの過去のプライバシーや言動について悪口が書かれた匿名の手紙を週刊誌記者に見せ、記事に引用させたことなどで名誉毀損が成立したとの判決となった。」


記憶に残る。
裁判も。

「アタシよか長生きすると思ってたのに、人間って分からない。こうなったら仏になりましたから、安らかにと手を合わせるしかないです」
この言葉は、いい。皮肉と、お悔やみと、人は、こうでない。

本当は、仲がいいから、バドルになるのかもしれない。
それか、何か、因縁ではないが、あるのかもしれない。
戦い因縁。

でも、面白い、人は、人の寿命が、必ず突然来ること、教えているのかもしれない。
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そうなのか。1

2017年12月09日 02時43分45秒 | ニ言瓦版
亡くなったのか。


「プロ野球のヤクルトなど4球団で監督を務めた野村克也さんの妻でタレントとしても活躍した野村沙知代さんが8日夕方、亡くなりました。85歳でした。
野村沙知代さんは福島県出身で、野村克也さんとは昭和53年に結婚しました。野村さんがヤクルトの監督を務めていた頃からテレビに出演するようになり、「サッチー」と呼ばれ、辛口コメントが持ち味のタレントとしても活躍しました。

平成8年に行われた衆議院議員選挙では、小選挙区と比例代表で重複立候補しましたが、落選しました。そして、平成13年には脱税していたとして法人税法違反などの疑いで東京地検特捜部に逮捕され、執行猶予のついた有罪判決を受けました。

関係者によりますと8日夕方、東京都内の病院で亡くなったということです。前の夫との間に生まれた団野村さんはヤクルトでプレーし、大リーグの代理人を務めています。また、野村克也さんとの間に生まれた克則さんはヤクルトや巨人など4球団でプレーし現在ヤクルトでコーチを務めています。
息子の克則さん「感謝しかない」
野村沙知代さんの息子で、ヤクルトの2軍バッテリーコーチを務める克則さんは「突然のことで受け入れられず、今は悲しい気持ちではありますが、ここまで育ててくれた母に感謝しかありません。最後はしっかり見送りたいと思います。偉大な母でした」と球団を通じてコメントを出しました。」

「最愛の妻であった沙知代さんが85歳で突然の亡くなったことに、夫の野村克也氏(82)も驚きとショックを隠せなかった。8日、病院から都内の自宅へと帰宅。報道陣に対応した。


 「昨日までは普通に元気でした。兆候は全くなかった。突然のことでびっくりしています。突然死みたいなものだと思います」と話した。今朝も朝食をともにし、そこまでは容体の悪化などは感じられなかったという。

 ただ、「朝、ご飯を食べていて。一口だけ食べたらいらないとなり…。そのあたりからおかしいなと」。その後は何を問いかけても返事ができない状態となり、午後には病院へ搬送された。

 「我々もうこんな歳だから、俺の方が先に逝くだろうと話していたのに…」と肩を落とした。「死因も分かりません。今、お医者さんに調べてもらっているところです」とし、憔悴(しょうすい)しきった様子をみせながらも、気丈に言葉をつないで丁寧に対応した。「どんな奥様でしたか?」という問いかけには「いい奥さんでしたよ」とうなずいて答えた。」


何か、最後の朝食は、心に引っかかる。
人は、突然、死が来るのかもしれない。
朝飲めしを食べると、
その後、一日は、生きていれば、運がいいのかもしれない。

ご冥福を祈ります。
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