写真:母の作品~五言絶句
私が小学校の頃、学校から帰ると、母はよく食卓で書のお稽古をしていた。
専業主婦だった母は、倹約して半紙ではなく新聞広告の裏に何度も何度も
同じ字を練習していた。 その姿は今でもはっきりと覚えている。
楽しいのかなぁと横目で見ながら、どこかひとごとだった。
母は子供の頃から書が好きだったらしく、もう半世紀超以上・・に渡って、
子育ての合間をぬい、幾多の出来事も乗り越え、書と向き合ってきたことになる。
素直に、その才能はすばらしいと思う。
ずっとひとつことを、こつこつと飽きもせず続けられる人はそうたくさんはいない。
私はそんな母の姿を、どこかで見て感じていたのだと思う。
その証拠に、今こうして表現の違いはあっても、一緒に肩を並べて書を学んでいる。
ありがたいなぁ。 母のお蔭で今の自分がある。
この場を借りて・・母よありがとう。
母は私と違って、謙虚で努力家、勉強家。
意外と傷つき易いのに、作品はどちらかと言うと男性的で
力強く闊達でおおらか、そしてほのかに中平先生の匂いがする。
母は何度言っても信じてくれないけれど、私は母の書が大好き。
作品には母そのものが宿っているから。
けれど人も書も生きているから、日々変化していくもの。
残してきた作品はもう過去の自分。
悔やんでも、惜しんでも変わらぬ過去。
母よ、これからもお互い日々前を見て、信じて、刺激し合いながら
新しい自分を探しに行こうではありませぬか。
私たちには飽きることのない、ゴールのない書があるんだもの。
私が小学校の頃、学校から帰ると、母はよく食卓で書のお稽古をしていた。
専業主婦だった母は、倹約して半紙ではなく新聞広告の裏に何度も何度も
同じ字を練習していた。 その姿は今でもはっきりと覚えている。
楽しいのかなぁと横目で見ながら、どこかひとごとだった。
母は子供の頃から書が好きだったらしく、もう半世紀超以上・・に渡って、
子育ての合間をぬい、幾多の出来事も乗り越え、書と向き合ってきたことになる。
素直に、その才能はすばらしいと思う。
ずっとひとつことを、こつこつと飽きもせず続けられる人はそうたくさんはいない。
私はそんな母の姿を、どこかで見て感じていたのだと思う。
その証拠に、今こうして表現の違いはあっても、一緒に肩を並べて書を学んでいる。
ありがたいなぁ。 母のお蔭で今の自分がある。
この場を借りて・・母よありがとう。
母は私と違って、謙虚で努力家、勉強家。
意外と傷つき易いのに、作品はどちらかと言うと男性的で
力強く闊達でおおらか、そしてほのかに中平先生の匂いがする。
母は何度言っても信じてくれないけれど、私は母の書が大好き。
作品には母そのものが宿っているから。
けれど人も書も生きているから、日々変化していくもの。
残してきた作品はもう過去の自分。
悔やんでも、惜しんでも変わらぬ過去。
母よ、これからもお互い日々前を見て、信じて、刺激し合いながら
新しい自分を探しに行こうではありませぬか。
私たちには飽きることのない、ゴールのない書があるんだもの。
・・・私は残念ながら、自分の好きな世界を母親から完全否定され続けていますが。
・・・でも、負けません。自分の「好き」で一生続けようと決めた世界ですからね。
ほんと、私は恵まれているなあって思います。
書がなかったら、親子でもお互いを知ることもなく過ぎていったかもしれません。
でも、同じ書でも、好きな世界が違ったので、どこか否定し、否定されていた時期はあるんです。
それでも、自分の「好き」はやめられない。。。
花穂さんも「好き」な世界があるのなら、今は完全否定?されていても、「好き」を信じて発信し続けることができたら、きっとどこかでお母さんともつながると思いますよん。
お互い、楽に「好き」を楽しみませう