黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

17文字

2019年11月27日 18時08分24秒 | ファンタジー
(札幌大通公園)
 今日の毎日新聞に坪内稔典さん紹介の俳句が載っている。
 「木の家の さて木枯らしを 聞きませう(しょう)」
 「山鳩よ みればまはり(まわり)に 雪がふる」(高屋窓秋)
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 たった17文字で表現された世界とは思えない深い奥行きがある。
 文字数制限で頭に浮かぶのはツイッターとかいう通信手段。私はその種のメジャーのSNSをやらない主義なので理由はわからないが、ツイッターに書き込めるのは日本語で140文字以内。文字数を少なくすれば、要点を踏まえた文章になってわかりやすいということなのか。でも、昨今の政治家や有名人のツイートを見ると、世間を騒がせるのに十分な文字数みたいだ。どうせなら、17字とか31字にするというのはどうだろうか。俳句や短歌のようなセンスのある文章が行き交うことになるかも。(2019.11.27)
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車のドアが開いたら

2019年11月26日 14時59分31秒 | ファンタジー
 猛スピードで走ってきた車が目の前で停まった。高級感のあるなかなかの車だ。運転席側のドアが音もたてず開いた。私は、息をつめて目を凝らした。しかし、誰も降りてこない。車中が静まり返っている。誰も乗っていないのだろうか?
 これは、昨晩の夢だ。最近、こんな感じの外車のコマーシャルの映像が流れている。私はこれを見ると、なぜだかわからないが、薄気味悪い気持ちに囚われる。
 人が運転しなくていい車の次は、人が乗らなくてもいい車が走ることになる。すでに、大規模農場では無人のトラクターが走り回っている。そのうち人里でも、そこらで客待ちしているタクシーから運転手の姿が消え、運転手のいない循環バスは区間によって無人で走る。ただでさえ過疎化の進んだ地方の町で、人影を見つけるのははなはだ困難になる。
 人が減少すれば、ゆくゆくは人も車もいらない社会が到来する。AIだけが孤独に走る。(2019.11.26)


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本を巡る話 

2019年11月15日 16時52分51秒 | ファンタジー
 本を片付けるのはストレスのかかる作業だ。以前にも書いたかもしれないが、父親が存命のとき、大事な話があるというので実家に行ったら、2階の床が本の重みで下がったのでけっこうな金をかけて直した、そろそろ積んである本を何とかしろ、という。私は、若いころ集めた大量の本を数十年もの間、実家に置きっぱなしにしていたことを忘れていたわけではなかったが、数年ごとに転勤するのを口実に、ほったらかしていた。
 急ぎ駆け付けた私は肩透かしを食った。年老いた親が大事な話というので、てっきり言い残した大事な案件があって呼んだんだろう、相続とか借金とかの話ではないだろうか、借金の話なら困ったものだと、多少の覚悟をしていた。ところが、父親の話がそんなだったので、床がまだ抜けないならもう少し積んでおいてくれ、暇ができたら片付けるよ、と気のない返事をして話をそらした。
 それから間もなく、親が二人とも急激に弱り、父、母と相次いで亡くなってしまった。そのすぐ後、今から10年ばかり前になるが、実家を畳むことになったとき、私は実家から100キロメートルほど離れた土地に住んでいた。北海道内ならそれほど遠いとは言えないが、空き家の片付けに通うには相当の体力がいった。親のものだけでなく、自分たちの思い出の品々も大半を処分した。本も例外ではなかった。今思えば、ちゃんと本の始末をしておけばよかった。それは親の言うことをないがしろにした行為を後悔して言うのではなく、父親に催促されたとき本の整理を怠慢していなかったなら、後日に起きた本の大量廃棄を回避できたかもしれないと思うから。 
 話は現在に戻るが、この歳になると、自分がこれから消化できる仕事の分野と分量についておおよその見当がつく。身の回りに必要な資料や本も、要不要の見分けがつくようになる。そんなことから、今回、一念発起して私の持ち物を順々に始末しようと思い立った。
 家の近所に、岩波の月刊誌「図書」に載った古本屋がある。個人で移動図書館や、本屋の過疎地域への贈本活動などをやっている珍しい古本屋さんだ。その記事を見て、以前、文庫本などを寄贈したことがある。今週、史記、荀子、モースの古代社会、折口信夫全集、花田清輝、武田泰淳、井上ひさし、大江健三郎、50年前に刊行が始まった世界文学全集の一部、なぜかデュルケム、ハーバート・ノーマンといった聞き慣れない本など、いずれも長らく処分するのをためらった本たちを、表紙から目を背けながら段ボール5箱に詰め、その小さな店に運び込んだ。
 ところで、世界文化社から昭和40年に刊行が始まった「世界文化シリーズ」全24巻のうち、例の大量廃棄を免れた3冊が自宅にあった。このシリーズには、たしか「ハワイ・香港」があったはずだ。そのころの香港はイギリス統治で文革前夜。文革の波が中国との国境に押し寄せ、香港全土に暴動が広がりそうになったとき、周恩来が英断を下して平和的に収拾した歴史があるという。
 たった3冊しか生き残らなかったこのシリーズを捨てるのは次回にしよう。こうしてその始末を先送りしていると、書棚の満杯状態はいつまでも解消せず、自宅の床が沈むばかりか、後世の方々に迷惑をかけることになる。世間にはそんな問題がごろごろしているような気が‥‥。(2019.11.15)
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windows10にアップグレードしました

2019年11月09日 17時01分16秒 | ファンタジー
 いよいよ来年早々に、マイクロソフトによるwin7のサポートが終了するらしい。確か、winxpのサポートが終了したのは6年ほど前だったはず。そのときはやむを得ず、パソコンを買い替えたのだが、タッチパネルがどうのこうのというwin8の説明に困惑して、中途半端にwin7に更新したのが間違いだったか。
 昨日、パソコンに詳しい同級生に相談すると、まだ7から10に無償でアップグレードできるとのこと。電話で操作方法を教えてもらいながら、3時間かけて更新作業を終えたはいいが、オフィスのソフトがぜんぜん立ち上がらない。アカウントがあるとかないとか、サインインしろとか、パスワードがちがうとかを繰り返すうちに、頭がパニック状態に陥ったので、その日は電源を落として寝た。
 今朝起きると久しぶりにいい天気だった。私は、昨晩のパニック状態をすっかり忘れ去り、アカウントとパスワードを削除して初めからやり直すぞと意気込んでパソコンの電源を入れた。すると、思いもよらぬことが起きた。ワード、エクセル、アウトルック、すべて起動するではないか。そんなわけで、今日からwin10でブログを書いている。気のせいかパソコンが若返ったかのように動きがとてもいい。(2019.11.9)


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本のあとさき

2019年11月04日 21時25分06秒 | ファンタジー
 1968年秋、51年前のちょうどこの季節、ピストルによる4件の殺人事件が立て続けに起きた。そのころ、いや今も、この種の事件が起きたときの世間の驚きは長続きしない。なぜなら、このようなことは、ずっと前から、何世紀も前から予見されていたことだから。ご多分にもれず、私もほぼ同世代の永山則夫のことを思い出さないように心がけ、彼の著作にも目を通そうとしなかった。
 彼は、無残な少年犯罪が多発する中、1997年処刑され、世間の記憶から消えようとしていた。しかし、2012年、彼の鑑定記録が突如、公になった。その後、某N局で記録の一部が公開された。彼のことをあえて知ろうとしなかった私にとって、その内容が自分の思いの中の永山そのものだったことにひどく衝撃を受けた。それでも、2013年に岩波から「鑑定記録」が出たころはまだ目をそむけていた。今回、「永山則夫 封印された鑑定記録」(講談社文庫)を手にしたとき、50年もの隙間を埋めるのは今しかないとなぜかそういう気持ちになった。私は彼のことを終生忘れることはないだろう。
 その他、購入したのは、「アイヌの世界観」(講談社学術文庫)、「荷風随筆集(下)」、石川淳の「至福千年」(いずれも岩波文庫)。列島の歴史を縄文、旧石器時代までさかのぼるには、神話や言葉、記号を調べるしかないのだろう。石川淳を読むのもやはり40数年ぶり。彼の「鷹」はそのころの私にとって鮮烈だったと記憶している。(2019.11.4)
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