黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

五島のもなか 続き

2014年04月24日 09時05分57秒 | ファンタジー

 私は、「さざえもなか」を食した日の翌日になっても、もなかの風味を記憶から消し去ることがなかなかできなかった。試しにインターネットで検索すると、古びた店に常備しているお品書きのようなホームページが目に飛び込んできた。それを見たとたん、決断力に乏しいはずのこの私が、躊躇なくお取り寄せの画面を開いて入力し始めたのだ。手続きの途中、一度だけ迷いが生じたのは、送料を加えて一個当たりの値段を計算したときだ。定価が倍近くにもなる。それなら、たくさん買った方が得だと即断し、結局、十二個入りを二箱も注文してしまった。家で甘い物を食すのは私だけだというのに。
 数日後、はるか数千キロを旅してサザエが届いた。大きな荷物に目を丸くした家人は、一箱丸ごと、知人の家に進物として持っていってしまった。私は、まさか一人で二十四個も食いたいとは口にできず、自分の飽くなき食欲に慚愧の思いを抱きつつ、歯を食いしばって我慢した。
 家人のいない間にさっそくサザエにかじりつくと、今時珍しい濃厚な甘みに口も心も溶けてしまい、一個だけで十分満足した。(2014.4.21)
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母親の紙幣

2014年04月23日 08時56分15秒 | ファンタジー

 長く親しんだ者らとの別れはなかなか辛いものだ。
 私が初めて亡くした親族は祖母だった。子どもの時代へ記憶をさかのぼらせると、母親よりも祖母の登場回数の方が多いくらいだ。二十代半ばで祖母の死に立ち会ったとき、私は心の底から後悔の念がわき上がり泣いた。高校を卒業して実家を出た後、親に会いたくないために、ほとんど家に帰ることがなく、したがって祖母とも疎遠になってしまった。ただ、八十八歳の米寿のお祝いを親族一堂が集まって祝ったときは、私も北海道の北の端から参加した記憶がある。
 愛猫「との」の死に関しては、「黒猫とのの冒険」に書いたとおりだが、子どもに死なれたような悲しさは何年も尾を引き、その後も、とのの思い出は胸の内から失われることがない。
 次に亡くなったのは父親なのだが、半年あまりの闘病生活と亡くなった後の様々な手続きに忙殺された記憶が濃厚に残っているだけで、多くの感情はすでに消え去っている。
 母親が亡くなってからおよそ六年経った。私は、この間一度も悲しさに打ちひしがれるようなことはなかった。世間体を第一に考える母親とは、もともと折り合いが悪かった。地球の北の辺境と南の岬に住む者とが、運命のいたずらで親子になってしまったというくらい、価値観の奥底からまったく食い違っていた。母親の一挙手一投足に感情が苛立ち、神経はよれよれに疲弊するのだった。
 母親は激しい性格だったが、父の具合が悪くなる少し前からぐんぐん酷くなり、電話などでむやみに感情を爆発させた。私の家族、「との」や「はな」にまでその怒りの矛先は向いた。怒るかと思えばめそめそすることを繰り返した。私は以前にも増して、母親を見たことのない動物のように冷たく突き放し、無関係を装うのだった。
 あるとき、親戚を巻き込んだ騒動が起きた。近所に住む親戚に対し、顎で使うやら暴言を吐くやらで、すっかり怒らせてしまった。私は息子として低姿勢にお詫びしたが、母親に対して心の中は煮えくりかえった。
 母親は、父が亡くなった直後、腰の圧迫骨折のため、入院生活を余儀なくされた。本人は早く退院して家に戻りたかったのだが、半年に及ぶ入院ですっかり体力をなくし、単独生活はほとんど困難になった。退院後、家に戻る望みが絶たれた母親は、しぶしぶ高齢者施設に入居した。施設では建物内をあちこち歩き回る自由はあったのだが、母親は共同利用のエリアにいることを嫌がり、一日の大半、四畳半くらいの自室のベッドに寝転がっていた。テレビを見るでもなく、もちろんおしゃべりするのでもなかった。施設が催すレクリェーションに参加することもなかった。
 母親は、金銭感覚に鋭いところがあった。父が亡くなった直後、相続の手続きを開始するとき、母親は、細分化された父名義の預金などがどこにどれだけあるか、ちゃんと覚えていた。そして押し入れの奥から箱を取り出し、その中から父親の筆跡で書かれた「私、○○○名義の預金等の資産は、すべて妻○○○に相続させる」という紙を引っ張り出して、私たちに見せた。
 施設では、日常生活の必需品は何でもそろっていて、不足分や嗜好品は私たちが届けていたので、定期的な床屋代や診療代を除き、ほぼお金がかからないシステムだった。ところが、母親は私が訪れる度に、決まって小遣いがないからおいていけと言った。使用目的を言いたがらなかったが、手許に金がないと不安になるのだろうと、数千円ずつ渡した。いつしか私は財布のポケットに、母親用の紙幣を必ず入れておく癖がついてしまった。
 母親は亡くなる少し前、持病の肝硬変が悪化し、施設から身の回りのものだけ持って、系列の病院に入院した。三ヶ月後、施設から退去することになり、部屋にあった家財すべて、実家に運び込んだ。しばらくして母親は意識不明になり、約二週間後、苦しみもしないで息を引き取った。
 母親が病院に持ち込んだバックなどの私物を処分するとき、ふとあることに気がついた。一年以上渡し続けた小遣いの額はかなりのものになっていたはずだった。しかし、数枚の千円札と小銭の入った小さな財布以外、どこにも金が見当たらないのだ。実家に置いたタンスの中などからも何も出てこなかった。
 今年は母親の七回忌だ。私はまだ、母親用の紙幣を入れていた財布のポケットを空にすることができない。(2014.4.23)
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日本国憲法 いたいけな政府

2014年04月22日 11時37分39秒 | ファンタジー

 日本国憲法第九条を読み直してみた。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 今問題になっている集団的自衛権というのは、子どものけんかに置き換えると、仲間や所属グループの誰かが、他の集団に取り囲まれて危害を受けたときは、仲間を助けに行くのは当然という、ヒトのきわめて原初的な衝動との共通性を感じる。
 子どもの場合、昨日けんかした子どもと次の日は一緒に仲良く遊んでいたり、逆の場合もちょくちょくある。これはこれらの子どもたちにとって、けんかが仲間内の外交手段になっているから。手を組む相手は刻々変わる。
 ところが、この中にいくつか学年の異なる子どもがいると、あまりけんかにはならない。年上の子は年下に対し、平和裏に言葉によって諫めることはあっても暴力を振るうことは、通常ほとんどない。いたいけな子どもたちは、石や棒などを持って歯向かってくるかもしれないが、そこは知恵を使って防御に努めている。大げさなポーズや大声を上げるときもあるが。 
 つまり、こんな厳格に戦争や軍隊を認めない憲法を持つ日本は、周辺諸国よりも成長して、年上の国にならなくてはいけない。中国や韓国より年上と自己紹介したら、嫌みの一つ二つ浴びせかけられるだろうが、そこは大人の対応をすべきだ。この単独の交戦権さえ想定しない憲法を、どんなふうに読んだら他国と手を携えて戦争できることになるんだか、さっぱりわからない。
 日本が友好条約を結んでいる国はたくさんある。中国もそのうちのひとつ。それらの国々といっしょになって集団的自衛権を行使することがないとは言えない。そのときどきの、いたいけな政府の考え方によって、どの国にもスリより、もしくは誰とでもけんかするのだと思うと空恐ろしくなる。(2014.4.22)
 
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猫のしっぽと語感

2014年04月17日 09時24分32秒 | ファンタジー

 日本人女性が歌う日本語の歌が、日本語圏外の一部の人たちの耳に、癒しの響きをもたらすという記事を何かで読んで、以前、このブログに書いたことがある。このことは日本語だけに当てはまることではないと思う。
 NHKの「猫のしっぽ」のベニシアさんのイギリス英語が、静かな音楽を伴って流れてくると、私の耳は、はなの耳のようにピィーンと反応する。その調べは、アメリカ英語と違い、語尾までよく聞こえてわかりやすく、よけいな抑揚がないので言葉の響きがやさしく伝わってくる。この世にいるとは思えない癒やしと充足感が漂う。ちょっとオーバーかも。
 彼女の言葉は、イギリスの貴族や上流階級が使う、いわゆるクイーンズ・イングリッシュというのだろうか。しかし、エリザベス女王の語りは、言葉の端々に針金のような引っかかりがあって、舌足らずでせわしない印象を受ける。やはり個人差があるのだろう、語る側ばかりでなく聞く側にも。
 針金と言えば、とののしっぽは三カ所で折れ曲がっていたが、小さなころドアに挟んで先端がちぎれてしまい、曲がりが二カ所になった。はなのしっぽは、あるんだかないんだかわからないくらい短い。猫のしっぽにも様々な個性があるものだ。(2014.4.17)
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猛獣はな  害獣ヒト

2014年04月11日 13時55分48秒 | ファンタジー

 ネコ族は猛獣だ。
 はなは遊んでいるうちに興奮して身も心も凶暴になる。ひとしきり暴虐の限りを尽くすと、ふと我に返って自分の手や体をなめる。ときにはごめんねというように、しっかり咬み跡がついた父さんの手もなめる。このように、ネコだって、過失があれば悪かったねと謝罪の意を伝えることができる。
 ヒトはどうか。ヒトは往々にして、自分が悪くないかのように、知恵を絞ってカモフラージュする。悪質の度合いが大きければ大きいほど、その傾向が強い。
 ○○細胞や戦時中の○○婦を巡る人心の混乱などを見ると、ヒトの浅ましさがよくわかる。それらの過失に関わったヒトは相当数に上るだろうと思うが、みんなで過失を犯したなら、ヒト一人分の責任は蚤虱(のみしらみ)より小さいとばかり、誰一人として自分が悪うございましたと言わない。それどころか、「一人一人に責任があるのではなく、組織が悪い、悪くない自分が謝る理由はさらさらない」と居直る輩が圧倒的に多い。
 私の場合も、社会的な立場上、何度かそういう事件に遭遇したが、その都度、社会や組織、ときには他のヒトに責任をなすりつけてきた、一切合切包み隠しているが。そうしてみると、ヒトはネコより数段、悪逆非道であり、害獣の部類と言われても仕方がない。(2014.4.11)

 
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五島のもなか

2014年04月09日 14時10分31秒 | ファンタジー

 先日、職場の同僚から五島列島の旅土産「さざえもなか」をいただいた。地球外生命体みたいなサザエが描かれた包み紙を開き、恐る恐る一口頬ばってみた。すると、濃厚な黒餡と邪魔にならない薄皮の味が口中にパッと広がり、水墨画かと見まごう絵と文字の包み紙にも負けないくらい、それはそれは懐かしい味がした。私は感激のあまり、サザエを喉のあたりに詰まらせてしばし絶句。隠れキリシタンで有名な五島には、やはり江戸のころの生活文化が時を超えて綿々と伝わっているのだと深く感得した。(2014.4.9)

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雨の横浜、写真に写らない景色

2014年04月08日 10時31分18秒 | ファンタジー

 写真をまた撮り忘れた。この日、羽田空港から横浜駅へ向かうバスからの眺望は、東京方面の沿線と何ら変わったところはなかった。そんな気がしたのは、大雨のせいで港もタワーもぼんやりとした影となって、灰色の景色の中ににじんでいたからだろう。携帯のカメラで撮影しても、ほとんどピンボケの写真にしかならなかったと思う。古い乗り合いバスが、横浜駅地下のバスターミナルにずぶ濡れで着いたときは、地名のないどこかのビル街に迷い込んだ気分だったが、不安はなかった。
「横浜に着くと何だか落ち着くんだよね」「そうね」
 駅地下の人混みの中、明るくおしゃれな店々を見るともなしにうろついていると、私と同じくらいの年格好の二人の女性の会話が聞こえた。ここが落ち着く場所なら、彼女たちはきっと、ついさっきまで東京の道路下三、四階に埋まっている横文字のショッピングタウンで、ギュウギュウ詰めになりながら買い物をしていたのだろう。確かに、東京に比べると、横浜の地下街は北にあるそれと雰囲気が似通っていて親近感がある。地下街の規模が小さいから、それとも港町というのは、本人に聞かなければぜったい当てられないような土地からやってきた者ばかりで、かえって気が楽になるのかもしれない。
 その日の午前、三十数年ぶりに横浜の地にやってきた私は、雨合羽を頭から被って通学した小学生のように、たどたどしく道を探しながら山の方へ向かった。急な坂道は、確かに東京と違って雨の音しか聞こえなかった。目的の家は高台のてっぺんにそびえた大きなマンションの中にあった。初対面の彼は、大きく腕を広げて、私を迎い入れてくれた。
 期待と不安が詰まった私の鞄は、彼に会った後、急に軽くなったような気がした。年のせいなのか、病気をしたからなのか、この頃、どんなことが起きても、これこそが良い方向へ舵を切っているんだと、無理しなくてもそう思えるようになった。(2014.4.8)
 

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ハロウィンの家

2014年04月01日 11時05分39秒 | ファンタジー

 昨年の暮、雪がそろそろ降り始めるころ、我が家からサント・ヴィクトワールの山並へ向かう方角の空き地に、コンクリートの丸い基礎が出現した。こんな住宅街に、鉄塔でも建つのだろうかとひやひやしていたら、変な家の形が積み上がってきた。こりゃスカスカの鉄塔の方が景観が保護されたのにとがっくり。ようやく本格的な降雪になった今年、ニョッキリ出現したのはサイロのような円筒型の家。陽が沈むころになると、その家は、我が家の一番大きな窓にくっきりと影を投じる位置にある。つまり、手稲山の一部に引っかかっていた寺院の姿をほぼすっぽり隠してくれた。
 あたりが薄暗くなり、円筒の家に初めて灯がともる。トタンをつぎはぎして作った丸屋根には、四個の三角窓がくり抜かれていた。目じりをつり上げた道化の目ようなぼんやり明るい三角窓に、ついつい引き付けられるうちに、あることに気がついた。丸屋根全体が、例のカボチャのランタンの雰囲気なのだ。
 ハロウィンという西洋の祭りの淵源には、古代人たちの宗教的な儀式が存在したという。しかし、宗教的文化的に異なる環境に住む我々には、大人から子供まで仮装して騒ぐとか、カボチャなどをくり抜いて遊ぶといった、表面的な事象しか見えない。クリスマスに抱くイメージと同じだ。
 その晩、眠りにつく直前のこと。私の脳裏に浮かんだ三角窓のひとつが、ギイーと萎びた音を立てて開いた。その奥から何か古びた顔がぬっと出てこようとするのが見える。そのイメージを抑えられなくなった私は、布団から飛び起きて、魔法よ解けろと大声で叫んでいた。(2014.4.1)
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