黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

本が読めるぞ

2017年11月21日 14時45分56秒 | ファンタジー

 本が読めるという恵まれた境涯になってふと思ったこと。手に取る本が一般読者向けに書かれた学術系の本ばかり。とりわけ歴史や人類学、民俗学系のものに偏る。なお、自国の歴史文学には以前から手を出さないことにしている。学術本と向かい合って史実を追おうとする努力が徒労に感じられると困るので。ただし西洋モノは別。彼の地とは文化の土壌が違い過ぎて、何読んでも見ても本質まで踏み込めない。なので、西洋に関する教養程度の知識は、なんら差しさわりがない。
 難しい本に深入りしすぎて頭が痛くなったときは、仕方なく傾向の違う文学書を開くといったところか。でも文学を軽んじると逆襲に遭う。たとえばピアス物など、おもしろすぎてその傾向の作品からしばらく抜け出せなくなることがあるので注意を要する。エンタメ系は頭の中が楽観的になるので、もちろんご法度。
 なぜ歴史書に魅かれるか。答えは実に単純、想像力をかきたてられて胸がワクワクするから。それならエンタメ系を読むのと変わりがない。実は、冒険小説やSFを読んでいた子どものころと同じ気持ちなのだ。好きな古代史に限らず、歴史学とは、一般的に史実とされることでも、問い詰めれば疑問が煙や霧のように立ち上ってきて、解釈が無数にあることがわかってくる。歴史学とはミクロの史実の探求の積み重ねと言う人がいるが、創造力を働かさなければ歴史学なんてぜんぜんおもしろくないし、そもそも想像力無くして学問の進歩はないと思う。
 私にとって、歴史学をおもしろくする秘訣とは、一日中、こんなことばかりに頭を巡らすこと。
 一例をあげると、中国の実在を確認できる殷王朝は、北方の狩猟民の狄人の国であると言われている。その点ではオホーツク人と同族。勇猛果敢なオホーツク人をもってしても、古代のアイヌの人々を征服できなかったのは、なぜ?
 大昔から、大陸や半島では様々な民族の往来が激しく軋轢も大きかった。その地から列島を眺めて、緑豊かなのどかで平和そうな土地に移住したいと思うのは当たり前。列島のあちこちにやって来た人々によってこの国ができ上がったとするのがごく自然で理にかなっている。
 とすれば、実在する最古の天皇とされる継体大王や、実在が疑われる厩戸皇子とはどんな人物か。継体有縁の地、福井や高島とはどんなところだったのか。列島に仏教が正式に伝来してわずか数十年後に法華経の解説ができた人物とは、はたして列島人だったのか? 考えるほどに、疑問は糸の切れたドローンのように不規則に高く舞い上がる。(2017.11.21)
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今日の雪

2017年11月19日 13時42分32秒 | ファンタジー

 昨夜遅くから雪が降り続いている。20センチ以上積もったか。この時期としては大雪の部類。写真は朝の10時ころ、雪が小休止したところ。この後、猛烈に吹雪出した。(2017.11.19)
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本は読むもの

2017年11月08日 15時10分33秒 | ファンタジー

 久しぶりに読書にいそしんだので、その辺りの事情について若干コメントしてみたい。
 この10日間で読んだのは、「アイヌ学入門」(瀬川拓郎、講談社現代新書)、「オホーツクの古代史」(菊池俊彦、平凡社新書)、「中国の神話」(白川静、中央公論社)。私がこれらの本を読む気になったのは、先日ブログに書いたように、先史人類形態学のM教授から縄文人の系譜に関し、インパクトの強い講義を受けたからだ。
 白川先生の本を手に取ったのは、中国に勃興した民族の拠りどころとなった神々たちの物語を調べることによって、民族の興亡が一定程度、想定できると思ったからだ。40年振りにその本を開くと、詳細な書き込みが最終ページまで続いていた。
「アイヌ学入門」を読んで、アイヌ民族の輝きに満ちたいにしえの歴史とその後訪れた過酷な運命、とりわけ東北地方の奥深くまで印された彼らの足跡には改めて感慨を深くした。この本には気にかかった点がいくつかある。アイヌの祭りや祓い、宗教上の用語などに和人と共通性があることについて、アイヌがそれらを和人から受け取ったと単純に解釈しているところ。両民族の文化の基底部に共通する概念、つまり縄文的なルーツを探求してみるべきなのではないか。
 また、陰陽師や修験道が蝦夷地に入り込み活発な活動を繰り広げたのは、宗教的な伝道活動のためだけだったのだろうか。この本では、金属精錬技術を持って入植した渡来人について言及しているが、その技術を習得したアイヌや和人たちの財力は想像を越えるものだったと考えると、また別の視野が開けるのではないだろうか。
「オホーツクの古代史」によると、モヨロ遺跡の担い手であったオホーツク人は現在のニヴフ人(旧くはギリヤークと呼ばれた)であり、彼らはサハリン北部やアムール川下流域を本拠地とし、遠くは千島列島、奥尻や佐渡にまで、活動の形跡を残しているという。まさに彼らは北方狩猟民の雄だった。アイヌは彼らから生業や文化的な影響を受けたとされるが、勢力争いも激烈だったようだ。アイヌはニヴフを追って大陸まで攻め込み、元軍と幾度も衝突した記録さえある。元との戦いを回避した和人の武士より、彼らの方が明らかに強かった。
 別の本によれば、アイヌはニヴフから、熊送りの習俗を学んだとされる。私見にすぎないが、両者は飼い熊を儀礼に用いる点では同じだが、儀式の細部はそれほど似ていないと思われる。一例をあげると、初日の室内での祭礼において、上座に置かれる熊の姿がまったく異なる。アイヌは皮をたたんでその上に装飾された頭蓋を載せるが、ニヴフは高く組み上げたやぐらの天辺に、皮をつけたままの頭蓋を安置する。頭蓋から垂れ下がってやぐらを覆う皮は光輝き、生きていたときよりいや増して神々しい姿なのだ。その熊の姿形が甲骨文の竜字に通じるであろうことは、私の「龍」の物語に詳細に記述した。殷という国は、シベリアの北方に住していた種族の南下によって建てられたとも言われている。確かに白川先生らが指摘するように、殷人には、北方から中原に侵入した騎馬民族の風貌が感じられる。
 今週、日本古代史の講義を受けに行く予定なので、急ぎ、山尾幸久先生の「古代の近江」を読み出したところ。300ページもの学術論文に、最近得意になった斜め読みが通用するかどうか。こういう本はゆっくり読みたい気もする、ピアスの「トム」や、カミュの「最初の人間」のように。(2017.11.8)

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