黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

中途半端な知的動物

2014年08月29日 11時13分58秒 | ファンタジー

 こんなタイトルを思いついたのは、チャールトン・ヘストンが出ていた「猿の惑星」の新作が公開されるという新聞記事を見つけたからだ。内容は、この地球で現実に起きている戦乱を寓話化したものだという。サルとヒトとの間の不信が次の不信を生み、そこからわき上がる激情を互いに制御しきれなくなり、どんな結末になるかわかっていながら、どんどん殺戮に突き進んでしまう。この事態を止められる者は誰一匹いない。これと同じ無惨な現場をこの地球上に見る度、サルやヒトが進化の途上で獲得してしまった中途半端な知恵にどんな意味があるのか、もう一度原始時代に戻ってやり直すしか解決策はないのでは、とつくづく悲観の坂を転げ落ちていく。
 こんなことを書き出すと際限なく過激に偏っていきそうなので、別の話にしよう。
 実は、九月五日でブログ開設五周年を迎える。五年前のこの日、退屈を持てあまし、見よう見まねで始めたのだが、こんなに長く続けられるとは思いもしなかった。ほんとうに読者の皆様の辛抱強いアクセスのたまものだと感謝している。誰にも読んでもらえないなら、どんなに自分勝手な私でも、間違いなく短期間のうちに精根尽き果てたと思う。
 もう一つ、はなの存在を抜きにしてブログの存続は考えられない。彼女は、初回からずっとブログのトップを飾り、その時々の姿を惜しげもなく披露して、私を鼓舞してくれた。五年という歳月の中で、はなのネコ相は、当時のあどけなさをぬぐい去って、大人びた知的な雰囲気を漂わせるようになった。手っ取り早く言うと、押しも押されもしない、おばさん顔になった。
 はなの自立した生態を見ていると、ふと思うことがある。彼女らネコ族がこの地に君臨するとき、サル・ヒトなどの中途半端な知的動物は一掃されるだろうということ。これが現在、考案中の「ブタたちの陰謀」第二部のテーマでもある。(2014.8.29)
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ようこそここへ いつからここに

2014年08月26日 14時12分55秒 | ファンタジー
<この写真はブログの内容と関係ありません>

 明治の末年、私の祖父と祖母は連れだって、豊かな東北から、この島の北方に位置する未開の土地に入植した。そこは蝦夷地と言われたころとほとんど変わりなく、農業には向かない地勢の土地。どれほどの入植者がいて、先住の人々との関係はどうだったのか。懸命に開墾したのに、その後どんな事情があったかわからないが、彼ら家族は昭和に入ってその地を離れた。三十年以上前、私がその入植地で生まれた叔母と一緒に訪れたとき、そこはうち捨てられて草ぼうぼうの自然に帰っていた。
 父親が亡くなって、除籍に関する古い時代の資料を取り寄せた。そこには父が長男と記されていたが、聞いていたところによると、入植前に生まれた年上の兄姉がいたはずだ。さらに祖父母どちらかの母親らしい名前があった。一緒に入植したと聞いた記憶はない。
 祖父母がやってきた経緯について、叔母の一人がぽつりと言ったことがある。
「祖母ちゃんの二度目の結婚は、駆け落ちだったって聞いてるの」
 駆け落ちなら、二人きりでその地にやってきたはずだが、それについて祖父母以外、証明する者はない。
 最近知ったことだが、アルジェリア生まれのアルベール・カミュは父親がフランスから移住したと信じていたが、実際は二代も前の曾祖父の代のことだったという。カミュは生前このことをほんとうに知らなかったのだろうか。日本のように戸籍があってもあやふやなのだから、彼が知らなかったとしても不自然ではないかもしれないが。
 私など、この地では三世と言われているが、ほんとうはどうだったのかと訝しく思っている。当時の戸籍が申し出により作られたとしたら、伝聞と同じであり史実にはほど遠い。いない人がいたり、いたはずの人があとかたなく抹消されていたりしても驚くには当たらない、親戚縁者の中には口にできない事実をしまい込んだままの者がいるのではないか、などとつい疑ってしまう。なにしろ現代でもちょくちょく起きていることだから。
 この島の南の地では、先祖は戸籍が作られる前から住んでいたのでどんな出自やらわからない、という場合がある。歴史を客観的に見た、実に正直な発言だ。いずれにしろ、両足で蝦夷地を踏みしめている者として、他民族のことをとやかく言うのは自身の存在を否定することにつながりかねないと知るべきであろう。(2014.8.26)
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運勢とは見解の相違?

2014年08月22日 15時37分32秒 | ファンタジー

 ブログのスタート画面で星座登録しているので、ログインするとき今日の星占いの運気は何番目かすぐ目に付く。見るのは嫌なのだが、登録しないと別の星座の運気が表示されるので、仕方なく登録している。今日は十番目だった。なのに、生命保険の外交の女性が机の上においてくれたチラシには、「今日のラッキー星座」総合運第一位となっていた。星占いだけでなくあらゆる占いにまったく興味ない私は、この違いに初めて気がついて面食らってしまった。当たるも当たらないのも云々なのだから、違うのは当たり前なのだが。占いする方々の言い分もあるだろう。生まれた月を基にした運勢、運気には様々な解釈があるということなのだ。星座だけでなく、他の要素をいろいろ取り入れて、独自の占い方法を編み出していると解釈すればなんら問題はない。
 占いだけでなく、物事の見方は様々だ。一人一人の考え方に違いがなければ、かえって気持ち悪い。先日、集団的自衛権について、長崎の被爆者から首相に反対意見が投げかけられた。これに対し、首相は、会合終了後の非公式の場で「見解の相違だ」と切り捨てた。私の知る限り、国民の意見に対し、こんな扱いをした歴代首相を見たことも聞いたこともない。(2014.8.22)
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最愛のミュージシャンは誰?

2014年08月14日 16時20分55秒 | ファンタジー

 最愛とは、ふつう子や伴侶の掛かり言葉として使われるので、六十代になった男にとって、最愛という表現に叶いそうなミュージシャンはなかなか釣り針に引っかからない。
 十日間くらい思い悩んだ末、記憶の淵からこそこそ現れたのは、十代の美空ひばり。いや、小林幸子や瀬戸の花嫁の小柳ルミ子、都はるみもかわいらしかった。はたまた、ジャクソンファイブ時代のマイケル? こう書いていること自体、なんだか照れくさい。
 私にとってミュージシャンとは、持って生まれたキャラクターと斬新な言葉で、世間一般の決まり事に抵抗し、自由を勝ち取っていくというようなイメージなのだ。
 最愛とは別な話だが、つい先日、佐野元春が新しさとは何かについてこう言っていた。
「おとなたちに一撃を食らわせろ、という気持ちをいつまでも持ち続けていたい、おやじの齢になっても」
 年を取れば、若いころの気持ちを鮮明に思い出すようになると言うが、その時代の自身を取り戻すことが、老いに打ち勝つ最良の方法なのでは。それこそ最愛のミュージシャンが見つかるかもしれない。(2014.8.14)
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最近のことなど

2014年08月12日 13時17分57秒 | ファンタジー

 最近何をしているかというと、四年も前にいったんできあがった「黒猫とのの帰還」の校正作業。読み直せば修正箇所は次から次と際限なく現れる。きっと何年かけても、これででき上がりという満足には行きつけないのだ。
 話は変わるが、つい先日、政権側のある国会議員が、集団的自衛権への危惧について発言した市長に対し、国会議員になってから言えと恫喝したそうだ。市長といえど国民。政治的発言ができるのは国会議員だけで国民には認められないと言うのなら、その国はもはや民主主義国家ではないと思うのだが。
 ところで、この国には以前から、発言がはばかられる特定のテーマというものがあるらしい。天皇制への意見を筆頭として、国旗国歌法関係、日本と東アジア周辺諸国との外交関係、国家権力と国民の権利関係、原発容認論の背景、日本人単一民族観、差別問題等々について、問題の淵源などを自由闊達に議論しようとする人がどうしてこんなに少ないのだろう。集団的自衛権もその中の一つなのは疑いようがない。国民の理解を深めたいと言っていたのはその場を取り繕っただけで、発言を封じたいのが本音か?
 ○○白熱教室がはやっているが、そういうテーマこそ取り上げて、物事を自由に議論することを国民は恐れないという意志をはっきり表示すべきではないだろうか。(2014.8.11)
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