黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

クイーンをぜんぜん知らない

2019年01月30日 16時05分52秒 | ファンタジー


 先日、私の洋楽好きを知っている近所の自治会長から、ちなみに彼は70歳を過ぎているのだが、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を観たかいと聞かれて、一瞬言葉に詰まった。彼の問いかけが意外だったからではない。実は私は、クイーンがロックバンドだという程度の知識しか持ち合わせていなかったので、彼らの映画を観ようとはまったく思ってなかった。
 私の場合、60年代にブレークしたロックバンドやシンガーなら、曲だけでなく、姿かたちまであらかた憶えている。しかし、70年代のロックシーンとなるとちょっと自信がない。10代のときと20代のときの感受性にはかなりのギャップがあるということなのか。
 70年代を代表するのは、やはりデビッドボウイ、レッドツェッペリンだろう。それにTレックス、イーグルス、ディープパープル、ピンクフロイド、キングクリムゾン、キャロルキングたちのサウンドは今でも鮮やかに思い出せる。忘れてならないはエルトンジョン。ずい分レコードを聴いたおぼえがある。けっこう知ってるじゃん。
 なのにクイーンのことはぜんぜん知らない。調べたところ、彼らは71年に結成、73年にデビューし、91年フレディーマーキュリーが死去するまでの約20年間、ロック界の第一人者だった。
 そのころの私は、彼らのサウンドが好みじゃなかったのだろうか。確かにハードロックにしてはメロディアスで、ブルース、ジャズっぽさが感じられない。そこが不満で耳をそらした? しかし、私はサイモン&ガーファンクルや甘ったるいビージーズさえもかなり聴いたのだが。
 10日ほど前のこと、札幌で用事を済ませると、自治会長の誘導尋問に促されるように、駅中の小ぎれいだが小さな映画館に足が向いた。土曜日の昼過ぎ、「ボヘミアン・ラプソディ」の客席はいっぱいで、前列の方しか空いてなかった。目が回り出したら席を立とうと覚悟して座った。
 フレディーの生誕地がアフリカだと、つい先日のテレビで知ったが、インド系のゾロアスター教徒だったこと、ザンジバルで起きた紛争を避けてイギリスに移住したこと、バイセクシュアルだったこと、HIV感染により肺炎を起こして亡くなったこと、父親や友人たちとの軋轢と和解など、クイーンを知らない私には映画すべてが驚きの連続だった。これだけ衝撃的な人物、グループに、なぜ自分が冷淡だったのか釈然としなかった。
 彼らが確執を乗り越えて出演したアフリカ難民救済のためのライブエイドのことを、私はよく知っている。ミックジャガーがティナターナーのスカートをはぎ取り、ボブディランを囲んだキースリチャードとロンウッドが煙草をふかしながら「風に吹かれて」の伴奏をした。そのときのディランは歌いにくそうにしていたことなど。そこにクイーンがいたとは、まったく憶えていない。
「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスは、ライブエイドでの彼らのパフォーマンスだ。クイーンのメンバーが数十万人の観客が待ち受ける舞台に躍り出た辺りから、私の涙腺はなぜかもろくなった。館内は暗かったので、無駄な抵抗をやめ涙の流れるままにしておいた。(2019.1.30)

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黒猫との が書店に登場

2019年01月29日 17時24分55秒 | ファンタジー


 今年は雪が多いですね。風邪などひいてませんか。
「黒猫との の冒険」のハードカバー本が、札幌駅西口前の紀伊國屋書店の書棚に並びました。(新刊・自費出版コーナー)
 自分の本を書店で見るのはちょっと恥ずかしいやらうれしいやらで不思議な気分です。機会があれば見てやってください。 (2019.1.29)

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病室からのメッセージ

2019年01月28日 23時17分03秒 | ファンタジー

最初にかわした世知記事の額田のダイナは 

ないあくみあいです AM2:20 病室にて MH

今日、30年来の友人の病床を見舞ったらこのメモを渡された。私のブログに載せてほしいというのだ。

本人も意味がわからないこのメモを長く記憶にとどめよう。(2019.1.28)

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本がない

2019年01月24日 23時03分20秒 | ファンタジー


 ここ2週間ばかり、本を探している。読みかけの「初期仏教」」(岩波新書、馬場紀寿)がない。この本のことは、昨年11月23日のブログに載せた。この国のヒトビトなら、釈迦に関してはある程度の基礎知識がある。2,500年前に、バラモンの権威を否定し、ヒトの運命は身分によるのでなく、振る舞いによって決まる、つまりみな平等だと説く一方、台頭する武装勢力に対し非暴力を訴える。こうした行動をするにはどれほど強靭な勇気と知力を必要としたか。と感嘆しながら読み進めていたのに。
 ブログに書いた直後の11月末には、クラス会参加のため東京に行き、すぐさま年末のあわただしさに突入した。その矢先だった。同窓生のOの訃報が届き、追い打ちをかけるように、古い付き合いの職場の先輩が亡くなった。この間、私の日常の時の流れが、いささかとどこおったような感じがする。今思えば、その辺の日々の記憶が曖昧模糊としている。大事なものをほろってしまったような感じだ。本なら買えば済むことだが、それでも失くしたのは惜しい。
 (ほろう、とは北方圏の言葉で、払う、拭い去るといった意味)

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太郎冠者

2019年01月11日 17時22分05秒 | ファンタジー


 師走18日、大学の同じクラスだったOの訃報を聞いたときはあまりのことに茫然自失した。12月1日のクラス会でO本人からの手紙の紹介があったので、リタイア後、大学院で子供より年少の学生たちとともに勇んで研究に励んでいるとばかり思っていた。
 私は、大学に1年目だけはまともに通ったものの、その後の3年間、流れ者のように暮らし5年目に復学した。なので、同じ専攻の者らとほとんど交流がなかった。わずかに大学とのつながりを保てたのは、KそしてOのお陰。
 年が明けて、在学中のOが語ったことのひとつを思い出した。それは、マルクスを超える学問体系を打ち立てたい、といった内容だった。当時はまだマルクス主義の勢いが盛んなころだったので、とてつもないことを言うヤツだと驚いた反面、彼の志の大きさにちょっと心を打たれたことがありありとよみがえった。
 奥様から送られてきたOの最近の論文「太郎冠者」を読んだ。まさしく歴史学を学んだ者の論考だった。Oが取り上げた益田太郎からもそしてO自身からも、誰人もその時代のしがらみから抜け出せないのは重々承知の上だが、できることなら大空に羽ばたいてみたい、破天荒な立ち回りをやってみたいといった願望が、気のせいかもしれないが感じらてならない。
 君と30数年ぶりで会った平成20年京都、そして27年熊本のクラス会は何ものにも代えがたい思い出だ。
 最後まで毅然として逝った君と出会えたことは誇らしい。ほんとうにありがとう。(2019.1.11)                                       

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阿古屋

2019年01月09日 22時53分52秒 | ファンタジー


 阿古屋のテーマで何を書こうとしているのか、私にもわからない。
 たまたまだが、年末のテレビでシネマ歌舞伎「阿古屋」を鑑賞した。主演の阿古屋を演じるのは、ご存じ坂東玉三郎。
 この出し物の眼目は、平家を追討する源氏の侍と遊女との息が詰まるようなせめぎ合いの場面。
 平家滅亡後、平家の武将・景清の恋人阿古屋は、鎌倉の源氏方の詮議に引き立てられた。逃亡した景清の居場所を聞き出そうというのだ。知らぬと述べる阿古屋に対し、代官・重忠は心に偽りがあれば演奏の音色が乱れるはずだとして、琴・三味線・胡弓の三曲を演奏させる。しかし、阿古屋は乱れのない見事な演奏を披露し、解放されるのだ。
 私の場合、古典芸能の観劇途中で決まって飽きがきて投げ出してしまうのは、つまり無理に観ているからなのだろう。ところが、この阿古屋の演目には身ぐるみはがされるかと思うくらい心を奪われてしまった。
 どんなところに?
 玉三郎の弾き語る琴・三味線・胡弓の演奏は確かにすばらしいと思うが、残念ながら、私にはそれら楽曲を聞き分ける耳の持ち合わせがない。そんな者にも、阿古屋の匂い立つような色香には圧倒された。なにしろ演じている役者、玉三郎の姿がいつの間にかかき消えて、阿古屋の魂魄しか私の網膜に映らなくなったのだから。やはり演者たちの精進して獲得した技量は大したものだ。
 玉三郎が何度も観劇して参考にしたという文楽「阿古屋」の人形が、どんな輝きを放つか観てみたいものだ。(2019.1.9)

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弥生ヒト つづき

2019年01月03日 16時56分42秒 | ファンタジー


 福岡の安徳台遺跡は、かつての倭の奴国の中心地だったことはほぼ間違いないと言われている。遺跡からは、甕棺に埋葬された支配階級の女性の骨が出土した。その骨は、鳥取の弥生ヒトのものと同様、弥生ヒトの形質をしているのだが、決定的な違いがあった。甕棺の骨から縄文ヒトのDNAが検出されたのだ。つまり、九州北部にやってきた弥生ヒトは、時間をかけて先住の縄文ヒトと同化しながら、勢力を拡大したと考えられる。
 とすれば、現代までの2千年の間に、列島ヒトのDNAに含まれる縄文の割合はどんどん高まったはず。ところが予想に反し、現代列島ヒトのDNAの構成は、古代の福岡ヒトとほとんど変わらないという。
 今の時代は国境があるので勝手に他国へ侵入できないが、その当時の列島は海から入り放題だった。半島や大陸から渡来する者と先住民との軋轢は相当なものだったろう。天武朝が成立するまでたびたび起きた倭国の乱とは、おそらくこんなところに要因があったのかもしれない。
 今回のDNA分析からわかった最大の収穫としては、卑弥呼が現代に生存していたら、この辺りの中年女性と見分けがつかないということのようだ。(2018.1.3)

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お正月から太った話

2019年01月01日 11時41分49秒 | ファンタジー


あけましておめでとうございます 
はなは今年で満15歳。体重がいちだんと増え、太っちょネコ雑誌のモデルにスカウトされそう。母しゃんは胴回りが立派だけれど、はなの貫禄には遠く及ばない。大食いなのに太らない父しゃんに比べたら、断然、存在感がある。二人は悔しまぎれに、はなは丸くなってもオバン顔だと言う。
先日、便秘薬をもらいに病院へ行ったら、はなの体型を見て目を丸くした先生から「あら太った? 運動してる?」と聞かれた。うちの家族はみんなインドア派。はなのほんとうの姿は、寒さと粗食に耐えるノルウェージャンなのだけれど、いつしか家族に感化され軟弱なネコになった。毛皮を着替えたらいいんじゃないかって? そんなこと言われないように、今年こそ母しゃんといっしょに減量、父しゃんは増量。
お正月早々、体重の話で失礼しました。我が家はみんな仲良くやってます。今年もどうぞよろしく。

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