黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

今年の夏は

2010年09月10日 11時24分25秒 | 日記
 今年の夏は暑く長かったですね。2、3日前から夜風が涼しいなと思っていたら、昨日あちこちの庭にコスモスが咲いているのを見つけびっくりしました。なにせインドア派なものですから、季節の移り変わりに目がついていかないのです。
 それはそうと今夏のテレビ番組では、いつになく戦争関連のノンフィクション物に興味をひかれました。私の父親が現在の北方領土の島で闘い、武装解除後、シベリア抑留されたことを子どものころから聞いていましたが、そのことによって特別あの戦争に興味を持つことはありませんでした。まして、テレビに映る戦争時代の映像に、父親の姿がだぶって見えるような気持ちを味わったことは、これまで一度もなかったと言っていいと思います。
 父の戦闘が、千島列島の西端の、カムチャツカ半島にもっとも近い位置にある占守(シュムシュ)島で行われたことを私が知ったのは、父が亡くなって四年も過ぎたつい最近、薄っぺらな冊子を家の小さな本箱で見つけたことがきっかけでした。その冊子は、父の死の直後、占守島遺族会から父親あてに送付されてきたのですが、私はそのとき何の興味もなかったので、父の死亡通知と遺族会脱会の願いを送ったきり、その冊子の所在さえ忘れていたのです。
 冊子を開くと、そこには戦後数十年も経って、ようやく島への墓参が実現したときの感動が、何人もの人たちの手でつづられていました。読み進めるうちに、父から聞いた断片的な話、たとえば機関銃手としてソ連の戦闘機目がけて撃ちまくったというような話だけでなく、父にとって口にすることができなかった多くのつらい出来事があったことに初めて思いが至りました。
 テレビの短いルポルタージュは、ロシア人が、占守島に残された日本軍の戦車をロシア国内に運んで展示しようとする動きを追っていました。その内容はともかく、昔そこで激しい闘いがあったことを伝える朽ち果てた戦車の影が、誰も住む者のない荒涼とした草原にたたずむ光景は、あまりにも寂寞としていて、その映像を見た自分の気持ちをどんなふうに表現していいのか、今この文章を書いていても思いつきません。
 来週からは、とのとヴァロンの冒険が新たな展開に入りますので、今後ともおつき合いください。(了)


コメント
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