黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

美術館行き

2013年05月07日 14時47分35秒 | 美術系

 四月の下旬から昨日にかけて、数えてみると、四つの美術館を巡った。東京駅前の三菱一号館美術館で開催中のクラーク美術館展、渋谷東急の文化むらミュージアムでやっていたルーベンス展、明治の日本画などを収蔵する明治神宮外苑の聖徳(せいとく)記念絵画館(写真)には四月、札幌芸術の森美術館の生誕一〇〇年佐藤忠良展には冷たい驟雨の昨日、よろよろしながら行ってきた。
 ルーベンス展に行ったのは開催最終日の日曜だった。厚着をした人波に押されながら、大小の人の頭越しに通り過ぎる絵の連なりを見るうちに、中世ヨーロッパの古く暗いイメージが思い起こされた。
 クラーク美術館展は、モネ、ルノアールなど、一九世紀印象派の有名な画家の絵が、壮麗な洋館造りの三菱一号美術館の迷路のように続く部屋という部屋に、ゆったりとかけられていた。モネたちの光りと色彩のあふれた絵の中に、どこにでもありそうな田舎の風景画があった。そのバルビゾンという村の絵に、ルソーの名前が記されているのを見つけたとき、私は一瞬わけがわからなくなった。私が知っているルソーは、ピカソもお気に入りのアンリ・ルソーだけだったので、かのルソーがこんな印象派風の風景画を描くのだろうかと、そのときの私は激しく動揺した。というより、拍子抜けした。
 参考までに、アンリ・ルソーは一八四四年、フランス、マイエンヌ県ラヴァルに生まれた。彼の絵は一見稚拙で子どもでも描けそうに見える。目を皿にしてのぞき込むほどに、何と解釈していいか混乱を引き起こすような、つかみどころのない絵ばかりだ。まともな風景画なんてあろうはずがない。
 その美術展の絵は、テオドール・ルソーと銘が打たれていた。テオドール・ルソーは、一八一二年生まれのフランスの画家で、一八三〇年代以降、バルビゾンという村に画家仲間とともに長期滞在し、もっぱら風景を描き続けた。一九世紀後半の印象派の台頭に先立って活躍した彼らを指して、バルビゾン派といい、トロワイヨン、ドービニーをはじめ、ミレーもこの派に含まれるという。同じルソーでも、一方の印象が強烈すぎると、もう片方の影は限りなく薄くなり、私のような浅学の者から、名前さえ間違えられてしまう。
 翌日、東京での用事を済ませ、たまたま神宮外苑方面を通りかかったとき、堅固な石造りの巨大な建物が見えた。それが聖徳記念絵画館だ。建物に入ってはじめてその由来を知って驚いた。一九二六年建設、明治天皇の生涯の事跡を、多くの日本画と洋画によって顕した美術館なのだ。日本画には、前田青邨が肩の力を抜いて描いたような、薄ぼんやりの色調を帯びた絵や、鏑木(かぶらぎ)清方が明治天皇の皇后を描いた、匂い立つような美人画が印象的だった。
 実は、私は彫刻作品をゆっくり鑑賞したことがない。昨日見た佐藤忠良の作品には金属の彫像から受ける堅さや冷たさは微塵もなかった。彫像の中から各々の個性の輝きといったものが、にじみ出してくるように感じられた。子どもの彫像からは溢れんばかりのやんちゃな生命力が伝わってくるようだ。絵などと違って、作品に頬を擦り付けられるほど間近で、三六〇度の方向から彼ら彼女らを見られるのも、親近感が沸く一因なのかもしれない。
 こんな風に、今年のゴールデンウィークは光陰矢のごとく、飛んでいってしまった。(2013.5.7)
コメント
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